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Jumi Lite

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LiteFeetというダンスのジャンルをご存じだろうか? HIP HOPカルチャーを背景にN.Y.の地下鉄から生まれた新しいダンスで、今最も注目されているダンスだ。その日本に於ける第一人者Jumi Lite。本場のオリジネイターらによるトップクルーにも所属し、日本にLiteFeetを広める活動だけでなく、本気で「LiteFeetで世界を変えたい」という想いと真剣に向きあう彼に、LiteFeetを始めたきっかけや活動などを聞いた。

 


 

 

  • Jumi Lite

(LiteFeet Nation Japan/ XYZBOYZ aka Brotherhood Jpn/BrweckfastClub/ WAFFLE NYC)

 

日本に於ける “LiteFeet” の第一人者であり、本場NYでも屈指の実力者として知られる気鋭のダンサー。#LiteFeetは世界を救うキャンペーン (#litefeetSaveTheWorld) を掲げ、ライトフィートダンスと笑顔で世界を救う為に活動中。
JANET JACKSON, JOEYBADA$$, Lil Mama, RonBrowz, DJ Webstar, Lumidee, 等、海外アーティストとのミュージックビデオ出演やコラボをこの数年で実現させている世界的にも注目のダンサー。

 


■ダンスを始めたきっかけは映画「YOU GOT SERVED」

 

TDM:ダンスを始めたきっかけを教えてください。

Jumi16歳の時に「YOU GOT SERVED」(ユー・ガット・サーブド)」という映画を観た時に、「やべえ!かっけえ!」と思ったのがきっかけです。当時ちょうど失恋して、この映画に出てる人たちみたいになってモテたい!という思いもありました(笑)。そこからビデオを観まくって、地元川崎のストリートで見よう見真似で踊っていて、クラブに行くようになってからは「俺の居場所はここだ!」と通うようになりました。不良の行き場がないからダンスしてたというありがちな流れで踊っていたら、ある日すっごいかっこいいダンサーに声をかけられて、一緒に練習するようになったんです。

TDM:そのダンサーとは?

JumiKING OF SWAGのDee君です。それまでは、俺が川崎で「YOU GOT SERVED」に一番近いと思ってたのに、もっと近い人たちがいた(笑)。その頃、Dee君の仲間にはs**t kingzのNOPPO君やkazuki君もいて、その人たちと僕は6対1とかでダンスバトルしてたんです。でも、Dee君は当時からセンスの塊だったし、光ってたので、同じ事やってても彼は抜けないと思って、自分の道をゼロから探すために17歳の頃に離れたんですけど、なかなか差別化出来る道を探せないまま18歳になって、一度社会人になりました。

 

 

TDM:どんな仕事をされてたんですか?

JumiADSLとかネット回線の営業を3年間やっていました。その時は、僕にとってダンスは、踊りたい時に踊るし、踊りたくない時には踊らないというものだったので、ダンスを辞めている感覚はなかったです。でも、21歳で「やっぱりダンスで生活したい」と思い、ダンスで生活する方法を考えたんですけど、当時は仕事という面ではプレーヤーか、インストラクターの2パターンしかなかった。

それ以外に何か在り方がないかなと思った時に、当時SNSのmixiで、クローズドなコミュニティが結構あって、これを利用して、社会人ダンスサークルみたいなものを作ればなんとでもなるんじゃないかと思って始めたら、なんと2カ月で50人くらい集まったんです。それから週2回のサークルを1年半くらいやっていました。多い時で100人近くいましたね。

TDM:当時では画期的ですね!

Jumi教えるにはスタジオで雇われないとダメというルールの中に居たくなかったので、安い公民館を借りたり、当時はダンススタジオのレンタルはまだあまりやってなかったので、スタジオに直接掛け合って「イントラにはなりたくないけど、ここでレッスンをやりたいのでお借り出来ないですか?」って交渉しました(笑)。そうやって借りたスタジオの、同じ時間の隣のレッスンは全然人が入ってなくて、俺たちサークルはめちゃめちゃ人が入ってるという現象が起きてました。

サークルだと、僕が店長や社長ではなく〝リーダー〟なので、僕の色を伝えやすいし、年上の人やサークルに来てる子供の親御さんたちも応援してくれるのでやり易い。サークルをやって、たくさんの人に出会うようになって、イベントにも出たりしてました。

実は、俺のサークルの隣でレッスンをやってたのが、後にチームメイトになるAZSA君で、AZSA君は当時クランプで、ガンガンクラブイベントに出てダンスシーンの一線にいて、方や俺はクラブイベントとか出てなくて無名なのに「なんでこの人のレッスンにこんなに人が入ってるの!? 」って思っていたらしいです。でもやってる事はカッコいいと気になってくれていたらしく、俺から声かけて一緒に練習し始めて、俺とAZSA君とサークルにいたKEN-TAと3人でXYZ BOYSを結成しました。

 

■LiteFeetとは、ジャンルじゃなくて総称

 

TDM: LiteFeetとの出会いは?

Jumi当時、世界中にどんなダンサーがいるのか知ろうと、3人でとにかくYouTubeを漁っていて、見つけたのがLiteFeetだったんです。サークルの真ん中で靴を脱いだり、帽子を脱いで飛ばしたりして周りの皆が一斉に足踏み鳴らしたりしている奇天烈な世界を見て衝撃受けちゃって、3人共「やべぇ、これかっけえ!これやろうぜ!」となって、コピーをする所から始めたんです。

TDM:そもそもLiteFeetとはどんなダンスか教えてください。地下鉄で踊っているというイメージなのですが…。

Jumi2015年辺りにCBSが取り上げてくれて全世界に広まったんです。LiteFeetは始まりがたぶん2005、6年くらいなんです。なんでこんなに曖昧かというとLiteFeetは、名称じゃなくて総称なんです。

元々Voice of Harlemというハーレムの現状やカルチャーなどをラップにしているラッパーがいて、そのVoice of Harlemのツアーに参加したダンサーが今のLiteFeetの創始者のMr.YouTube。そのMr.YouTubeがダンスとして展開していったものがLiteFeet。今は〝LiteFeet〟といえばダンスのジャンルみたいになってますが、〝かっこいい足〟という意味なんです。それがYouTubeで話題になり、やる人が増えて「じゃ、誰が一番かっこいいのか、バトルで決めようぜ!」とアメリカらしい展開になったり、大人たちはクラブで踊ったり、いろんな人たちやいろんな場所でそれぞれに展開されて広まっていったカルチャーなんですよ。その中の1つが、一番有名になった電車でのパフォーマンスなんです。

その前に、「NO MUSIC」や「Tone Whop」など、N.Y.のHIP HOPのヴァイブスが詰まった曲から生まれたステップや、ダンススタイルとしては、ドギーとかジャーク、ハーレムシェイクやチキンヌードルスープなどが生まれていった流れがあって、その総称なんです。
表現の仕方にも違いがあって、例えばKRUMPでは「アイツやったぜ!凄いぜ!」みたいな時は「back」と表現するんですが、LiteFeetはそれを「lite」と表現します。

TDM:なるほど。そこからどのようにして日本のLiteFeetの第一人者と言われる立場になっていたのですか?

Jumiそれから5年くらいは、N.Y.に毎年行く生活を送ってたんですけど、上手くなるためのはN.Y.に住んじゃった方がいいと思って、その頃に「俺はアジア人初のLiteFeetダンサーになって、世に自分の名前で広めていく!」という覚悟を決め、名前をJumiから〝Jumi Lite〟に改名して、N.Y.に住む事にしました。

まずは観光ビザで3カ月くらい行く事になって、最低限の服と20万円程持って渡米したんですけど、空港から電車に乗って着いた駅で、怪しい2人組に声をかけられてる隙に、なんとスーツケースの持ち手にかけてたお金の入ったカバンを盗られちゃったんです。

 

 

TDM:着いたその日にですか!?

JumiN.Y.に到着して1時間も経ってないです(笑)。とりあえず、不動産に払う3カ月分のアパート代がなくなっちゃったから住む所もないので、泣きそうになりながら現地の友達に連絡しまくって「明日からどうしよう…」と言ったら「いや、お前にはLiteFeetがあるじゃん。来い!」と言われて地下鉄に連れていかれ、「Jumi踊れ!金稼げるぞ」と。そう言われたら「やるしかねぇ!」と思って、夢中で踊ったんです。そしたら、いつの間にか手元に300ドルくらいあったんです!

その日以来、友達の家に寝泊まりしながら、毎日地下鉄でパフォーマンスしてお金を稼ぐ生活をしてたら、10日間くらいで失くした金額より稼げちゃったんです。それでようやくアパートを借りれる状況になって、そこから俺のリアルLiteFeetライフが始まりました。

TDM:まるで映画みたいですね…。

Jumi別にそれをやりたくて行ったわけじゃないんですけどね(笑)。でも、今考えればあの経験が全てを変えてくれましたね。それからはトントン拍子で、ある日いつも通りパフォーマンスをしてたら、読売新聞N.Y.支社の記者に「N.Y.で夢を追ってる若者の記事を書こうと思って悩んでいたら、目の前にあなたが現れて、声かけちゃいました。取材させてもらっていいですか?」と声をかけられて、取材されたり、帽子を使ったパフォーマンスをしてたので、帽子のブランドから声をかけてもらってモデルをやったり、靴のブランドからもモデルとして起用されたり、ダンスだけじゃない仕事もたくさん来て、2015年にはN.Y.ファッションウィークにも出ました。その時は、HIP HOPのWEBマガジンなどの他にも、なんとThe New York Timesなど新聞3~4誌の翌日のトップ面に出たんです!

TDM:凄いですね…。日本人ではなかなか出来ない経験ですよね。

Jumi僕は、日本よりもN.Y.での方が有名なんです。SNSも見てくれてる人は84%がN.Y.で、ほとんどが外国人。でも、その分、めちゃめちゃ叩かれましたね。特にFacebookでは闘いました。「俺はお前嫌いだ」「いつもこいつらはこうやって俺らの文化を奪っていく」とか、「くそアジア人が!」とか、心無い事を平気で言われました。でも、実際現場に行って気づいたのは、言ってくる奴は現場にはいない奴なんですよ。本場N.Y.の現場にもいない。現場のレジェンド達が、「Jumiはちゃんとやってるよ」と常に言ってくれているので、現場ではそういう雰囲気はないんです。

でも、SNSはそういう面もありますが、今日の僕はSNSの世界なしではありえなかったし、LiteFeetは、常にSNSと隣り合わせのカルチャー。もっと言えば、カルチャー自体それなしでは考えられない。先程話に出てきたLiteFeetのレジェンドの1人も、名前が〝Mr.YouTube〟ですからね。

 

 

TDM:SNSがある時代に出来たダンスだから、SNSありきで広まったんですね。

Jumiそうなんです。僕からしたらクランプには「RIZE」という映画があるし羨ましい。LiteFeetは、映画もMVも何もない。MVで取り上げられたのは、過去ハーレムシェイクとチキンヌードルスープだけで、LiteFeetという総称になってからは取り上げられた事がない。だからSNSを駆使して自分たちで発信していかなきゃいけない。個人の発信力はLiteFeetのスキルの1つと言ってもいいですね。

でも、N.Y.のLiteFeetのレジェンド達はやらないんです。やらないというより、そもそも自分たちがたまたまやってた事が広まっただけで、彼らの生活は何も変わってない。LiteFeetの良さを伝えるには、映像だけじゃ伝わらないから、パスポートを取ってどんどん世界に出て行った方がいいと言っても、「どうやってパスポートをとっていいかわからない」という状況だったんです。

だから俺も賢くはなかったけど、一から仕事の仕方を教えたり、パスポートの取り方教えました(笑)。その時はパスポートセンターまで行くお金もなかったレジェンドを、俺がパスポートセンターまで送って、一緒にパスポートを取りに行った。その彼は、今や世界中をワークショップで飛び回っています。

 

■LiteFeet初の世界大会をN.Y.で開催

 

TDM:そのきっかけを作れた事はとても大きいですね。

Jumi僕もLiteFeetに感謝してるし、守りたい。守りながら広げていきたいと思っているんです。LiteFeetのスタイルは、1人のために皆が声をあげて、成功したら皆で喜ぶ。こんな人間らしい場所ないし、このLiteFeetは絶対世界中に広がるべきだと思っています。だから、世界大会を開催したんです。

TDM:世界大会ですか?

Jumi広めるためには、LiteFeetで世界一のスターを作ればいい。そのためには大会が必要だと思って、2017年に「世界大会やります!」と告知したら、14カ国も集まったんです。
ZULU NATIONにも所属しているDR.RICHさんがコミュニティを開いていた場所でやったんですが、プレイヤーだけで200人は超えていて、通路まで埋まるくらい人が集まりました。オーガナイズは僕と奥さんと日本人の仲間でやってたんですけど、僕はMCもやって、音楽を流したり、プロモーションもしたり、すごく大変でしたが、〝LiteFeetのワールドカップをやる〟という夢が叶った日でした。

TDM:夢が叶った後、活動に変化はありましたか?

Jumiありました。夢は叶ったけど、やはり世の中に広めたり、下の子を引っ張っていったり、LiteFeetを背負ってるから、自分一人が成功すればいい訳ではない。でも、そういう活動をしているとプライベートが削られるんです。そこで自分が1回壊れて、もうLiteFeetなんてどうでもいいという心境まで陥ってしまった。

そんな時、父と一緒にゴルフに行ったんです。父は昔、俺をプロゴルファーにしたいという夢があって、俺は中2までゴルフをやっていました。久しぶりに一緒にいってみたら、やっぱりゴルフは楽しくて、自分が叶えたい夢は叶えたから、今度は人の夢を叶えようと思って、父の夢だったプロゴルファーになる事に決めたんです。そこから猛練習して、今年の5月プロテストに合格しました!僕はプロゴルファーになれたんです!

TDM:プロゴルファーですか!?では、今後は二足のわらじで行くという事ですか?

Jumi違います!何をやってても俺がやってる事には変わりないので、言うなればJumi GOLFですかね(笑)。LiteFeetもゴルフも頑張ってる姿をバンバン発信していきたい。
そして、不思議な話なんですけど、ゴルフをやるようになったらダンスが上手くなったんです。ダンスといい感じの距離が取れるようになったんだと思います。父は喜んで僕のライセンスの写真を周りに配りまくってるらしいです(笑)。

そして、実は最近、僕が勝手に必ず叶えたいと思ってた夢がやっと叶いました!先日のKRUMPのワールドカップ「KOB 10th Anniversary」で、師匠のDee君と同じゲスト枠としてショーケースとゲストジャッジをする事です!15年かかりましたが(笑)夢が叶って本当に嬉しいです。

 

■本気でLiteFeetで世界を救いたい!

 

TDM:現在はどういう活動をしていますか?

Jumi僕は今の日本のダンスシーンに、どこか居心地の悪さを感じていて、本当に自分のやりたい事は何かを模索して、思いついた事があるんです。実は、僕がどうしてもなりたいものは〝ヒーロー〟なんです。本気でLiteFeet スーパーマンになりたいんです。その為には、年に1回でもいいから実際に行動する事が大事だと思って、去年の12月から〝LiteFeetは世界を救うキャンペーン〟というプロジェクトを始めました。

そのプロジェクトとは、僕が得意とする帽子のパフォーマンスに絡めて、僕が世界中の情報が届きづらい場所の小学校などに行って、子供たちに被せてあげるパフォーマンスをして、その帽子をプレゼントするというもの。帽子のパフォーマンスは、皆めっちゃ笑顔になるんです。それをSNSで説明し、「なんでもいいから皆さんの家に眠っている帽子をください!」と呼びかけたら、段ボールで6箱くらい集まりました!最初はクラウドファンディングにしようと考えて、散々時間をかけて進めてたんですけど、リターンが必要だったりと、この活動とは相性が合わず最終的に辞めて、自力でWSのついでに行く事にしました。
そして、クラウドファンディングは出来ませんでしたが、フレンドファンディングという小さな規模のファンディングで、帽子を現地に送る送料を募ったら18時間で5万円以上の支援が集まりました!

 

 

TDM:素敵な活動ですね。では、今後の目標を教えてください。

Jumiプレイヤーでいつつ、僕がN.Y.と日本を通じて活動してきた事を次は下の子たちに伝えたいですね。レッスンというスタイルではなくて、大切な事を教育という視点から仲間と一緒に伝えて、広げる場を作りたいと思っています。

場所はオンラインでもオフラインでも、届けばなんでもいいし、〝ダンサーが伝える〟という事には変わりがないので、手段はダンスでもしゃべりでも構わないんです。だから、その一環として、IGTVで、ChicagoFootworksの第一人者Yamatoと一緒に、足のダンスにフォーカスしたミニTV 「足インチ脚フィート」を始めました。ChicagoFootworksもLiteFeetもマイノリティだし、コミュニティが小さいからこそムーブメント作りやすい。俺らがやってる事が刺さる人には刺さると思ってやってます。
そして、LiteFeet最大級のオンラインコミュニティ、「LITEFEET DOME(ライトフィードドーム)」というものも開設しました!そうやって、LiteFeetダンサーとしての活動も、ゴルファーとしてツアーにも出たりも、Jumiという人間のやる事を後輩や若い子や子供たちにもどんどん見せていきたいと思っています!

TDM:今後の活動の広がり期待しています!今日はありがとうございました!

 

interview &edit by Yuri Aoyagi
photo by AKIKO
’19/12/30 UPDATE

 

 

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tokyodancemagazine

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