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YOKO

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L.Aに本部を持つカポエイラのグループCapoeira Batuque[カポエイラ バトゥーキ]の日本支部代表であり、日本のカポエイラシーンに大きな影響を与えているYOKO。彼女は日本人女性で初のカポエイラの最高位メストレの称号を授与された。ストリートダンスシーンでのショーや宝塚歌劇団の振付など、カポエイラを軸に幅広く活躍し、長年カポエイラの普及に大きく貢献してきた彼女に、メストレ就任の経緯やカポエイラの魅力について聞いた。


 

・YOKO

ロサンゼルスに本部を持つカポエイラ団体CAPOEIRA BATUQUEの日本支部代表で、日本初で唯一の女性カポエイラ師範。幼い頃から様々なダンスを経て、1997年にカポエイラと出会う。ロサンゼルスとブラジルに頻繁に渡りカポエイラとダンスを学び指導者となる。パフォーマー、インストラクター、振付師、舞台演出、フィットネスダンスプログラム開発者と多岐に渡り活動している。

【主な経歴】
・宝塚歌劇団振付
・ダンスエクササイズプログラム『POMBA』開発、インストラクター養成
・講談社より『POMBA de 即やせ』Mook本出版
・ティップネスダンスエクササイズプログラム『Hip Make BUMBUM』開発、インストラクター養成
・舞台『Bate Batuque』総合演出
・スーパーエキセントリックシアター振付
・嵐、サザンオールスターズ、その他アーティストツアー、MVダンサー

Instagram:@yoko.capoeirabatuque

 

 

日本人女性初!カポエイラのメストレに就任

 

TDM:メストレ就任おめでとうございます!日本人女性では初めてなんですよね?

YOKO:ありがとうございます。はい、女性メストレはブラジルにもいらっしゃいますが、日本人では初めてです。

 

TDM:メストレとは師範のような立場ですよね。カポエイラの段階はどのようなものがあるのでしょうか?

YOKO:グループによって違いますが、共通しているのは一番上がメストレ(師範)、その下がコントラメストレ(副師範)。うちのグループだとその下がプロフェッソール(指導者)、インストゥルトゥール(インストラクター)、モニトール(生徒長)という感じですね。昇段はメストレが決めるので、年に1回、自分たちのメストレを日本に招聘してバチザード[batizado]という昇段式を行っています。

TDM:メストレになるための条件などはあるのですか?

YOKO:分かりません(笑)。ただ、私の師匠のメストレ・アメインに「なんで私をメストレにするの?」と聞いたら、「メストレは、いろいろな角度から評価されてなるものだから、カポエイラが上手い、生徒がたくさんいる、カポエイラの知識があるなどだけでもダメYOKOは日本をこれだけまとめて影響も与えているし、YOKOによって日本のカポエイラシーンが変わっていることは間違いないからだ」と言われました。

 

2011年 ダンスイベントにて カポエイラとハウスダンスセッション

2013年 ダンスイベントにて  ジュン、Mile、Toshi、Hiroki、Takei 

2019年 駐日ブラジル大使館主催『地獄の門を叩く男』能×空手×カポエイラ

 

TDM:YOKOさんが変化を生んだエピソードにはどんなことあるのでしょう?

YOKO:思いつくのは、ブラジルのサルバドールという街に住み、日本に支部を持つ他団体のメストレがいるのですが、そのメストレとサルバドール出身のうちのメストレは有名人同士でお互い知ってはいるけど、長年話をしない仲だったんです。でも、私はそのメストレの日本支部の昇段式にはいつも参加し、他団体であっても日本人カポエリスタ同士の交流や横の繋がりを大切にしていました。そんな中、私がブラジルに行ったときにそのメストレが空港にピックアップに来てくれたり、「YOKO、日本の皆をつなげてカポエイラの普及に努めてくれて本当にありがとう。」と言ってくれ、ブラジル滞在中にいろいろお世話してくれました。後日そのことをうちのメストレに話したら「それだけお世話になったなら、今度俺がブラジルに帰ったときに1回挨拶に行かなきゃいけないな」と、全然喋らなかった2人が話すようになり、私が副師範になったときはうちのメストレがそのメストレをL.Aに招いたりと交流が深まったんです。だから、「ブラジル人同士では埋められなかった何十年もの溝が、君によって埋まって繋がりまで作った。」と言われました。あとは、私が日本にカポエイラを広げるためにPOMBAというフィットネスプログラムを作って活動していたのも評価されたようです。

 

カポエイラ普及にためにフィットネスプログラムPOMBAを考案

 

TDM:そのPOMBAとはどういったものなのでしょうか

YOKO:カポエイラとサンバとアフロブラジリアンの要素を取り入れて2013年に作ったフィットネスプログラムです。カポエイラを広めるために何ができるだろうと考えていた時期にフィットネスでズンバが流行っていて、若者から年配の方まですごく楽しそうにやっているのを見て私は不思議に思いました。そこからヒントを得て「これってカポエイラをやっていない人が私たちを見て、何が楽しいんだろうと思っている感じと同じかも」と思ったのがきっかけです。カポエイラをやったことがない人が、道場の体験クラスにわざわざ行くのはハードルが高いけど、フィットネスクラブの1コマであったら受けてみてもいいかもと思うかもしれない!と思ったのです。

TDM:実際、どのように制作していったんですか?

YOKO:まず、音源をL.Aで作りそこに私が振付をして、全部動きの名前をつけて、運用ルールも決めて、完全に決まっている部分と自由に組み替えていい部分で構成されているプログラムにしました。インストラクターライセンスを作って、半年ごとに更新される音源とDVDで運用できるようにして、それをいろいろなフィットネスクラブで教えられるように斡旋する会社と組んで展開していました。いろいろな情報番組でも取り上げられ、講談社からPOMBAのムック本も出版しましたよ。

2014年 POMBA講談社ムック本撮影

2014年 POMBAインストラクター研修

 

TDM:1つのパッケージとして販売していたんですね。今もやられているんですか?

YOKO:コロナ前まではアップデートしていましたが、コロナでフィットネスクラブが全部閉まっちゃって、再開しても声を出しちゃいけない状況の中、POMBAはプログラムの中で、サンバの細かいステップなどを踏むキツい動きのときに、インストラクターが「エナジーヤ!(※1)」と言うと、「アシェ!(※2)」と皆で応えるコール・アンド・レスポンスで盛り上がるのが売りでした。、それができず、カポエイラパートの対面もできないとなってしまったので、一旦休止しました。その後、コロナ明けぐらいでちょうど私が妊娠して活動ができなくなって、今も更新は休止中ですがライセンスを持ってるインストラクターは過去のvol.でレッスンしている人もいます。

(※1) エナジーヤ…エネルギーという意味。  (※2)アシェ…ヨルバ語で、魂や高揚感を感じる空気というような意味。

TDM:プログラムを作るのはとても労力のいることですよね。それはメストレにふさわしいと評価されますよね。

YOKO:うちのメストレは「自分だけでやるのではなくて、広がっていくツールを生み出して発信していることがすごい」と言ってくれましたが、当時は賛否両論いろいろ言われましたよ。SNSに、ブラジルの方から〝日本人のくせに俺たちの文化を商売にしやがって〟などの書き込みもありました。でも、そこでカポエイラ界で有名な他の団体のメストレや先生たちが、「いや、これはすごくいいことだ。文句を言っているお前たちは自国の文化のために何かできているか?彼女は外国人なのにこういうことをやってくれて、むしろありがとうと言わなければいけない!」と擁護してくれて、コメント欄にポルトガル語や英語が飛び交って炎上している時期もありました(笑)。

 

 

カポエイラは格闘技をカモフラージュするための踊り

 

TDM:カポエイラについてお聞きしたいのですが、そもそもカポエイラは、アフリカから奴隷としてブラジル連れてこられた人達の遊びだったのですか?戦いだったのですか?

YOKO:両方ですね。宗教も言語も何もかもダメだと抑圧されている中で、唯一、音楽とダンスは許されていたので、労働時間以外で純粋にそれを楽しむ一方、歌ったり踊ったりしているように見せかけて、強くなるための格闘術を入れ込んでいたとも言われています。でも、格闘技メインになってしまうと、雇い主が脅威を感じてしまうから、あくまでも手拍子や歌を歌いながら、輪になってやっていたんです。

TDM:深い文化があるんですね。

YOKO:でも、強くなるためにだけやっていたわけじゃなくて、それ自体も楽しんでいたと思います。奴隷生活の中で、唯一カポエイラをやる時間だけが開放された楽しい時間だったのではないでしょうか。

TDM:なるほど。では、カポエイラの歌にはどんな意味があるのでしょうか?

YOKO:カポエイラと密接なカンドンブレというアフロブラジリアンの宗教があるのですが、そこには、水の女神、正義と鉄の神、戦いの神など、自然の神が存在します。でも、奴隷としてブラジルに連れてこられたアフリカ人は、宗教も抑圧されていて、皆キリスト教になれといわれていたので、例えば、イエマンジャ[Yemanja]という海の女神がいるんですが、それをマリア様に例えているんですよ。だから、カポエイラの歌で「♪サンタマリア~」と歌っている歌があるんですが、それはマリア様のことではなく本当はイエマンジャのことを歌っている歌なんです。カポエイラのホーダは、神様の力によって守られていたり、今までカポエイラを守り続けてきた先祖の人たちからのエネルギーで成り立っているという考え方があるので、昔の人のことを歌ったり、神様の歌がたくさんあります。

TDM:歌は全てポルトガル語だと思うのですが、一から覚えたんですよね?語学の勉強も結構大変でしたよね。

YOKO:そうですね。日常会話は理解できますが早口だったり訛りでいわれたりすると、聞き返しますし、使わないと聞き取れても言葉が出てこないので。今も週1回2時間ポルトガル語教室に通って会話したり勉強していますよ。仕事や子育てもしている中で、一日があっという間に終わっちゃうから、毎週決まった時間に行くとか、宿題を出されないとやらないから、あえて決めてやっています。

2014年 ブラジルサルバドールにてラジオ番組出演 Mestre Boa Gente

 

TDM:カポエイラの流派を簡単に教えていただけますか?

YOKO:カポエイラには、アンゴラとヘジョナウ、コンテンポラーニャという3つの流派があって、それぞれの流派の中にいろいろな団体があります。大昔は流派がなかったんですが、メストレ・ビンバという人が、ブラジルの富裕層や政府にカポエイラを認めてもらうために、帯制度を作り、格闘技性を強めてアクロバティックで華やかなスポーツにしたのが「ヘジョナウ[Regional]」です。「アンゴラ[Angola]」はその真逆で、メストレ・パスチーアという人が、カポエイラはアフリカから連れてこられた奴隷たちがルーツなので、そのルーツをちゃんと大事にしようと作った流派です。

この2人の偉大なメストレたちが2つの流派を作ったのですが、そこに属してない人たちもいて、「元々カポエイラはカポエイラだ」という考えや、「アンゴラにもヘジョナウにもいいところがあるから、好きなものを取り入れて自分の中から出てきたものがカポエイラだ」という、自由なスタイルが「コンテンポラーネア[Contemporânea]」なんです。私がいるグループのバトゥーキは、メストレ・アメインというメストレがL.Aで作ったコンテンポラーネアのグループです。

TDM:YOKOさんはどうしてバトゥーキを選んだのですか?

YOKO:私の場合は自分でバトゥーキを選んだというより、日本でカポエイラを教わったのがJUN(※3)さんで、JUNさんがバトゥーキだったからなんです。JUNさんがL.Aに住んでいたときに、メストレ・アメインのところで練習していて、カポエイラを日本に持って帰ってきたんですよ。

(※3) JUN…カポエイラを初めて日本で紹介した人物。カポエイラをエンタテインメントとして日本のダンスシーンに紹介したCAPOEIRA JAPONのメンバー。

▶過去の関連インタビューはコチラ! TDM Special Interview「CAPOEIRA JAPON 10th Anniversary 」(JUN/RYO/SHU/夏目/NON)’06/03/03

 

エネルギーが伝わってきて「私これがやりたい!」と思った

 

TDM:そもそもYOKOさんがカポエイラを始めようと思ったきっかけは?

YOKO:元々ダンスをやっていたんです。ダンス始めた理由は、幼稚園の頃から宝塚が好きだったからで、高校では宝塚音楽学校の受験予備校のようなスクールにも通って、バレエの他にも、歌やジャズダンスなどいろいろやっていました。スクールでは成績優秀で、受験クラスの上位にいたんですが、高1、高2と不合格でした。宝塚は高3までしか受けられないので、後がない!と思い、高3の一年間成績トップで過ごし、スクールの公演でも主役をはっていたので、先生からも「あなたは大丈夫!」と太鼓判を押されて、先生情報によると1次試験は関東2位で通ったらしいんですけど最終で落ちたんですよ。私も先生も周りも「なぜ!?」でしたけどね。

TDM:それはすごい挫折ですよね…。

YOKO:小さいときからの夢で、小学校の卒業アルバムに書いた将来の夢も「宝塚に入る」でしたからね。でも、やるところまでやったし、何かが足りなかったんだと思いますが、ずっとそれだけの思いで宝塚に入るために頑張っていたから、なんとなく生きるということができなくて、やりたいことがない日々が苦しかったです。

TDM:どうやって立ち直ったのでしょうか?

YOKO:バイトをしながら何をしたいのかを探す日々でしたが、ずっと遊んでこなかったので、同世代の子たちがどんなところに遊びに行って何をするのか全部ついて行ってみようと思って、仲良くしていたバイトの先輩にくっついてクラブに行ってみたんです。タバコ臭いしうるさいし全然楽しくないと思っていたら(笑)、ダンスのショーが始まったんですよ。HIP HOPのショーだったのですが、それが良かったというより、一生懸命踊っている姿を見て「やっぱり私もダンスがやりたいのかな」と思って、ジャズダンスのスタジオにまた通い始めることにしたんです。

でも、フリーターでいるのを良く思っていなかった親から、どうせなら…と、ミュージカルの専門学校に半強制的に入れられたんです。でも入ってみると同級生は皆バレエもできないし、楽譜も読めないしで、時間とお金の無駄だと感じて1週間で辞めて、その後もまたバイト続けながら、ミュージカル劇団の研究生になって、少しミュージカルをやっていました。でも、そこも違和感があって辞めて、とりあえずダンススタジオでジャズダンスやHIP HOPを続けていたところ、あるダンスイベントでCAPOEIRA JAPON(※4)のショーを見たんです。

(※4)CAPOEIRA JAPON…JUNも所属するカポエイラを日本のダンスシーンに持ってきたグループ

TDM:そこでカポエイラと出会うのですね!初めて見たときはどう思いましたか?

YOKO:「なんじゃこれ!」と思って、ズドーンときたんですよね。エネルギーがグワっと伝わってきて、「私これがやりたい!」と思いました。それからすぐレッスンを探しましたがインターネットが普及していない時代にカポエイラ教室を探すのは大変で、カポエイラと出会って1年後ぐらいからJUNさんのレッスンに通い始めました。その後、ダンスとカポエイラをやっていた私はいつしか教えるようになり、しばらくはダンスの教えと並行してやっていましたが、カポエイラの熱がどんどん上がっていって、ある時期でダンスの教えは全部やめて、カポエイラ一本にして、年に何回もL.Aやブラジルに行って学びました。宝塚に落ちたときに「次に自分の夢ができたら、もう悔しい思いはしたくない」と思っていたので、とことんやりたいと思っていたんです。

 

2000年 LA 初帯取得 non、Mestre Amenの息子と娘

2001年 L.AのBatizadoで2番目の帯取得。Mestre Amenと。

 

TDM:カポエイラと宝塚の世界観は真逆ともいえると思うのですが、カポエイラのどこに惹かれたのでしょうか?

YOKO:エネルギーだと思います。宝塚は好きでしたが、私自身は誰かのファンや追っかけになる性質ではなく自分が演じる側をやりたかったのでその後未練はなかったのですが、宝塚以上に情熱が注げるものが見つからないと私の負けだという感じはありました。そこで見つかったのがカポエイラだったんです。カポエイラも宝塚も凄いエネルギーという共通点はありますね。

TDM:しかし、見事リベンジ(!?)されて、2014年に宝塚の作品の振付もされましたよね。そのきっかけはなんだったのでしょう?

YOKO:そうなんです!きっかけは、舞台にカポエイラを取り入れたいと思っていた宝塚の演出家の方のご友人がカポエイラをやっていて、私のことを紹介してくれたんです。初めて演出家の方にお会いしたときに、「宝塚ってご覧になったことあります?苦手な方もいらっしゃるんですけど…」と言われて、「いや、嫌いどころか…」という話から、その演出家の方は、同い年で、小学生のときから宝塚が好きで、住んでいた場所も近くて「きっと同じタイミングで東京宝塚劇場に見に行ってますね」と、すごく盛り上がりました(笑)。最初は『パッショネイト・宝塚!』という作品のファベーラという場面を振付したのですが、とても話題になってくれて嬉しかったですね。その後も何作も振付させていただきましたが、やっぱり宝塚はエネルギー溢れるところなのでカポエイラやアフロブラジリアンの一見真逆に見えるものでもパワフルエネルギー繋がりでマッチしたんでしょうね。

2014年 宝塚大劇場にて振付稽古

 

人は向上するからそこに喜びを感じるようになる

 

TDM:バトゥーキの日本支部はYOKOさんが創立したのですか?

YOKO:そうです。JUNさんはバトゥーキのメンバーではありますが、ダンスの活動をメインにしていてバトゥーキの日本支部を立ち上げなかったので、2003年にジュン君(※5)と、カポエイラ・バトゥーキ・ジャパオを立ち上げました。でも、JUNさんがいなかったら私たちはバトゥーキをやっていないので、イベントの時は必ずJUNさんを呼ぶし、常にリスペクトしていて絶対的な存在です。メストレ・アメインも生徒たちに「JUNがいるからYOKOとジュンがいて、2人がいるから君たちがいて…」と必ず説明してくれます。

(※5)ジュン…石橋純。バトゥーキ日本支部代表でContra Mestre [副師範]の位を持つ。フォトグラファーとしても活動中。

TDM:とてもルーツを大事にしているんですね。

YOKO:カポエイラはそういう世界だし、もっといえば、カポエイラは黒人奴隷の人たちの辛さの中から生まれた文化ということも忘れちゃいけないと思っています。今は楽しくやっているから関係ないではく、私は日本人ですが、奴隷解放記念日や黒人奴隷にまつわる日などはSNSにポストして、思いを馳せたりもしています。生徒たちも、メストレやJUNさんに対しての私たちの尊敬や感謝の態度を見ているから、それを当たり前にやるようになるんです。親子関係と一緒で、親が普通にやってることは子供も生活文化の1つとして普通にやるようになりますからね。カポエイラはそういった精神的なことも学ぶことができると思います。

TDM:バトゥーキは何人ぐらいいらっしゃるのでしょうか?

YOKO:支部も入れて全部で100人ぐらいです。支部は高知県、長野県にあります。高知は、私の生徒に高知出身の男の子がいて、地元に帰ったんですが、高知でカポエイラの相手を探すために、商店街で〝仲間になってください。ここで一緒にカポエイラしましょう。お金はいりません〟と書いたチラシを置いて1人でカポエイラをしていたら、何人か来るようになったんです。でも、「自分は教えるレベルではないから、YOKOさん来てください」ということで私が高知に定期的に教えに行くようになりました。

東京ではあまり真面目にやっていなかった子でしたが(笑)高知で自分が主体になってやることで「あのときYOKOさんにもっといろいろなことを習っておけばよかった。教えるのはこんなに大変なんだということに気づきました」と改心して、真面目にやるようになり、仲間も増えていきました。

その後は、うちのメストレに事情を説明して、私が年2回行って面倒を見るという条件で、高知はバトゥーキのスタディグループという形で活動していましたが、今年の5月にその子がインストラクターの帯を取ったので、ちゃんと支部として活動できるようになりました。15年ぐらいかかりましたね。

2018年 Capoeira Batuque Japao 15周年Batizado

2018年 自主公演Bate Batuque Mestre Amen他LAメンバー、ジュン

 

TDM:15年!? それはすごいですね!支部組織を継続するためにアドバイスしたことなどはありますか?

YOKO:「ちょっと遊びで毎週日曜日に集まってカポエイラしようぐらいだったら皆すぐ辞めちゃうよ」と伝えています。例えば、ビリンバウは叩けるようになるのには時間がかかるんですが、最初は皆やりたがるけど、5分もすれば指も痛くて「もう大丈夫です」となるんです。でも、それを出来るようになるまで楽しくお尻を叩かないとダメなんです。人は向上するからそこに喜びを感じるようになるわけで、ただ楽しいとか出来ることだけをやっていたら「もう続けなくていいや」という気持ちになりがちかと。頑張って自分が向上すると、そこに喜びが生まれてさらに向上したいと思うようになるんだと思います。それはリーダーの子自身にもいえることなので、「皆と一緒に手を取り合いながら向上していければさらに喜びになるから、あなた自身も自分を楽しく追い込んで」と伝えています。人と人との間で生まれる動きやコミュニケーションを大事にして、理解し合えるようになってグループが成長していかないと皆すぐに辞めてしまいますからね。

TDM:YOKOさん自身が、支部の継続や、カポエイラを続けていくことに対して大変だったことはありますか?

YOKO:主力メンバーが、仕事の都合や、結婚や妊娠で離れていったりして大変な時期はありましたが、また新しい人が来て続けているし、離れた人たちがいつか戻って来られる場所を、私は盛り上げ続けて待っている役目があるから、それをモチベーションに続けてきているので辛いことはないですね。

カポエイラは私にとって人生だから、あまりストイックになりすぎると継続できなくなってしまうので、人生を楽しみながらカポエイラを楽しむのが一番だと思っています。ただ、それといい加減にやることとは違うので、やるべきときにはやる、やらなくていいときにはやらないという感じで楽しんでいます。

 

 

カポエイラの魅力は〝コミュニティ〟

 

TDM: YOKOさんにとってカポエイラの魅力は何ですか?

YOKO:そうですね…。もっと若いときだったら違う答えだったと思うんですが、今の自分にとっては〝コミュニティ〟ですね。カポエイラというコミュニティそのものが魅力です。カポエイラは、基本的には、動きでも音楽でも全てにおいて人がいないと成り立たないんですよ。上手い人と組むともちろん面白いけど、初心者と組んだときも、「どうしたらこの人から動きを引き出せるんだろう」という練習になるので、それはそれで楽しむという術を身につけると、誰とでも楽しくカポエイラができるんです。

話の合う人とじゃないと会話が楽しめないということではなくて、初対面でも趣味が違う人でも誰とでも会話を楽しくできる術を持っていれば、どこに行っても楽しめると思うんですよね。生徒にはそれをカポエイラの中から学んで欲しいと思っています。だから、レッスンや振付作品などいろいろなツールを通して、カポエイラの魅力を伝え、カポエイラ人口を増やしていきたいんです。大好きなカポエイラを、自分の中だけに留めておきたくなくて、人とシェアして、自分にまた楽しさが返ってくるような感じですね。実際カポエイラはそういうものだと思うんです。

TDM:レッスンで一番大事にしてることは何ですか?

YOKO:「カポエイラは楽しい」と伝えることに対して純粋であることですね。例えば、レッスンのときに「今日は10人だから〇円だな」みたいなことを思い始めたら、それはビジネスになってしまうから思わないようにしています。大人数でも少人数でも、どんなレベルの人が来ても、自分のカポエイラを教えることに純粋でいたいです。いつも来ている生徒であっても、毎回カポエイラの魅力に気づいて「今日ここに来てカポエイラをやってよかったな」と思えるクラスをずっと続けていきたいですね。

TDM:今後の目標はありますか?

YOKO:カポエイラを子供の世代にもっと広めていきたいです。子供は中学受験や部活で辞めちゃう子が多いので、それが大きな課題なんです。将来的に、私が高齢になってまで今の立場でいるわけにはいかないですからね。バトゥーキをやり続ける人がいて、私がおばあちゃんになっても日曜にホーダに行きたいなと思ったら、やっていてくれと嬉しいなと思っているので、その種は自分たちで蒔き育てなきゃいけないし、私たちのスピリッツを当たり前のように受け継ぐ人間を育てなきゃいけないと思っています。

実は、どんな大きなプロジェクトよりも下の世代に対しての種まきの方が大きなことであり、よっぽど大変なんです。自分が頑張ればいいだけではなくて、自分以外の人を未来に頑張らせることだからすごく難しいことだけど、どうにかしてやっていかないといけないと思っています。

TDM:カポエイラの発展を期待しています!今日はありがとうございました!

 

interview & text by Yuri Aoyagi

interview & photo by AKIKO

’25/10/25 UPDATE

★2025年11月22日(土)SSDW2025(代々木公園)にて、

YOKOが講師を務めるカポエイラ体験プログラムが開催!詳細はコチラ

 

★Capoeira Batuqueについての詳細はコチラ

 

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