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ストリートダンスの偉人達 YUKO SUMIDA JACKSON(後編)

Off 20110

マイケル・ジャクソンのツアーに、ただ一人の女性バックダンサーとして抜擢され、マイケルと踊った唯一の日本人として知られるダンサー、ユーコ・スミダ・ジャクソン。
単身L.A.に渡り、Newsweek誌「世界が尊敬する日本人100」に選ばれるほどの成功を収めたにもかかわらず、誰もがうらやむマイケルとのシーンを「一番見たくない映像」と笑って語る彼女の物腰は柔らかく、一流を知る人の余裕と強さを感じる。そんな彼女が歩んできた人生の軌跡をたどりながら、当時のシーンや裏話、ダンスへの想いなどを聞き、貴重な記録として前編・後編でお届けする。
全てのダンサー必読です!


 

  • YUKO SUMIDA JACKSON

単身L.A.に渡り、マイケル・ジャクソンやベビー・フェイスのワールドツアーに参加。
世界を舞台に成功を収めた日本人ダンサー。
産後復帰後、ニューヨーク大学で特別ダンス講師を務め、2004年帰国。
現在「劇団四季」やワークショップでアウェークニング指導の他、スポーツカジュアルブランド『Yuko Sumida Jackson』を展開中。
2007年、Newsweek誌にて”世界で尊敬される日本人100人”の一人に選ばれる。
主な著作に、「アウェークニングエクササイズ」(DVD)、
「ヨガを超えた『アウェークニング』なら憧れボディが手に入る!」(ムック本)、
「ヨガを超えた『アウェークニング』なら無敵のボディが手に入る!」(ムック本)、
「アウェークニング」(ムック本)がある。

 


※YUKO SUMIDA JACKSON(前編)はこちら

 

■もう1つの夢だった家族。そして別れ。

TDM:マイケルのツアー以外ではどんなお仕事をしましたか?

YUKOベイビー・フェイスのUS、ジャパンツアーやプリンス、ポーラ・アブドゥルのなど、いろいろなアーティストの仕事や、CMやファッションショー、イベントの仕事などしていました。
マイケルのツアーとツアーの間の期間は何をしていてもいいから、マドンナのツアーのオーディションも受けたりしました。でも、そこで数名の女性ダンサーの枠に受かったんですけど、女性は髪の毛を剃って、マドンナの指名で私にはトップレスでポールダンスをやって欲しいとのことだったので、正直すごく考えてお断りしました。その後マドンナと、とあるパーティーで会ったとき「あなたがユーコね…。」と言われました(笑)。断る人なんていない彼女の要望を断ったことで印象に残ったんだと思います。私はこだわりがありすぎるんです。ジャネット・ジャクソンの仕事も断っちゃったし…。

TDM:ジャネット・ジャクソンも断ったんですか!?

YUKOそう。「if…」という曲のMVでね。そのときエージェントから離れていたので、直接オファーがきてギャランティを提示されて、拘束時間など諸々の条件を考えても「え?」と思う額だったんです。それを伝えたら「じゃあいいです。なぜならタダでもやりたいタレントはいっぱいいるんだよ。」と、プロダクションが言ってきたんです。私はそれにカチンときて「じゃあ、タダでもやる人にやってもらってください。」と断ったの。それはジャネットの言葉ではなくて、あくまでもプロダクションの人の言葉なんだけど、いくらジャネットの仕事でも、そこまでしてやりたくないと思ったんです。今となっては大好きな曲だし、やればよかったと思っているんだけど(笑)。

TDM:いや、プライドを持って仕事をしているわけだから、間違ってない価値観だと思います。でも、それはジャネット本人が聞いたら怒ることかもしれないですね。

YUKO絶対そうだと思います。でも、ジャネットの意思ではなくても、プロダクションの人はそういうスタンスだったから、タイミング悪くそういう人たちの仕事が私に来てしまった。守るという意味ではプライドかもしれないけど、そこを守っていかないと全体的にも上がっていかない。ダンサーの地位が認められていかないところでもあると思うのでお断りしたんですよね。

TDM:マイケルのツアーが終わってからはどんな生活だったんですか?

YUKON.Y.での原点の生活に戻ってレッスンに浸りたくて、みんなから「なんで行くんだ!?」と反対されたけどN.Y.に帰りました。でも、そんな生活をしていたら、マイケルの振付師から「ショートフィルムを撮るから帰っておいで。」と言われて、1カ月半「Ghost」というショートフィルムを撮りにL.A.に行きました。その間に、日本でも、歌を出さないかという話があって、アメリカと日本を行き来しながら、LUV 2 SHYというユニットで、久保田利伸さんの作曲で私が詩を書いたり、歌の活動を1年半くらいしたんです。それはなかなか自分のやりたいプロジェクトにならなくて辞めちゃったんですけど、その活動中にL.A.で再会したのがジョージ・ジャクソン(※7)で、再会して1週間でプロポーズされその後約2ヶ月もしないころ電撃結婚したんです。

※7ジョージ・ジャクソン:過去にマイケルなどが所属したデトロイト発祥のレコードレーベル・モータウンの重要人物。

TDM:再会して1週間でプロポーズですか!?

YUKOタイミングでしょうね。その頃は、私の中でダンスを辞めたときだったから、私のもう1つの夢だった“家族を作りたい”という強い想いもあったし、ロスに行って間もないころに出会っていたジョージは私のことを当時から好きでいてくれたので、すぐプロポーズしてくれたんです。
それからジョージはモータウンのCEOに就任したのでN.Y.に引っ越さなきゃいけなくて、当時できたばかりのトランプ・タワーに入居したんです。

TDM:トランプ・タワーに住んでたんですか?すごい!

YUKO31階だったんですけど、上の階にはジャネット・ジャクソンも住んでましたね。それから私も日本とN.Y.を行き来する生活が始まり、その翌年に娘のコナが生まれました。コナが生まれて1カ月後に、ジョージの仕事の関係でバハマにできた新しいホテルのオープニングレセプションに招待されて3人で行ったんですが、なんと、そのときのゲストがマイケルで、そこで再会しました。これは余談なんですけど、そこでマイケルの部屋でごく限られた人たちだけでプライベートパーティが開かれるはずが、マイケルの体調が優れずドタキャンになったんです。そしたら、マイケルのマネージャーから「マイケルが赤ちゃんにだけは会いたいと言っているから連れて行っていい?」と言われたんですが、首も座ってないコナを行かせるわけにいかなくてお断りしました。当時は、虐待の噂でツアーもキャンセルになっていたような時期でした。私はマイケルは決して汚い心ではなく、純粋に子供を愛していたんだと思っています。彼は子供のことが大好きなんですよ。子供に会うと癒されるから。でも、そのことを変な風にジャッジしてメディアに言う人もいるし、利用する人もいるので、騒ぎになってしまったんですよね。

TDM:そうだったんですか。それからはどんな生活だったんですか?

YUKOジョージは、レーベルの生き残りが懸かった大変な時期に入り、モータウンを任されて忙殺されていたので、そんなときに私が家を空けていたら家族を守れないし、私の夢が中途半端になると思い、アーティスト活動は一度全部辞めました。今思うと、家族を作るという夢の真ん中にいた一番幸せな時期でしたね。でも、それから娘が1歳過ぎた頃、ジョージが42歳のとき脳溢血で亡くなってしまいました。

もうそこからは本当に大変でした。ビジネスに関わることでも、アメリカでは妻が全部決めていくしかなくて、とにかく、どう判断したらジョージがハッピーになるかという想像だけで物事を解決していくしかなかった。私が想像もしなかったようなところから津波状態にトラブルやいろいろなことが押し寄せてきて、周りの人たちは人が変わったようになり、多額の弁護士料を払ったり、2年半に及ぶ裁判も経験したり、毎日の仕事が闘い、残務処理という日々を送っていました。

TDM:壮絶な経験をよく乗り超えられましたね。

YUKOコナがいたからだと思います。彼女がいっぱいミラクルをくれたから。でも、異国で周りのみんなが敵のような状態だったので、誰も知らないところに行きたいと思い、コナが2歳半のときN.Y.を出てパリに行ったんです。しかし、パリにいてもいろいろ残務処理は残っていて、結局6カ月でN.Y.に帰り、コナが5歳のとき、日本に帰りましたが、ようやくすべて終わったのはコナが18歳のときでした。アメリカは言ったもん勝ちみたいなところがあるから、考えられないことで訴訟を起こせる国、と言っていいでしょう。きっとマイケルも大変だったんだろうなって思います。

 

■自分がなりたいダンサーにはなれなかった

TDM:その当時はもうダンスは踊ってなかったんですか?

YUKOそれが、ジョージが亡くなって1カ月後に、私がどうしても以前から入りたかった
N.Y.で人気の小さなカンパニー、EVIDENCEがオーディションをやることを知って、受けることにしたんです。こんなタイミングにって思いましたが受けないと後悔すると思い思い切ってオーディション会場の長い列に並びました。ダンスが光で希望でした。結果、そのときは、身も心もボロボロの状態だったのに1人枠に受かったんです。なぜか、オーディションでできないはずの動きができたり、あれは絶対何か私以外の力が加わっていたと思います。

TDM:ジョージさんが応援してくれたんでしょうか。

YUKOそんな気がしましたね。それから、そのカンパニーと6カ月間、ジョージの残務処理をしつつ、ベビーシッターを頼りながら、アメリカ内のツアーを回りました。そして、その最終公演のときに、ステージから観客席を見たら、ジョージが座っていて私を見ていました。その横には私もいて、第三者として冷静に私を見ていたんです。錯覚かもしれないけど、それを感じたときに「あ…もう人前で演じるということはこれが最後にしよう」と決めたんです。なぜなら、ステージで踊っているときは、現実とはまた違う、一種のハイ状態というか、すごく気持ちのいい自由な世界。それを冷静に見るということは、私にとってとても残念なこと。現実と変わらないですからね。
だから「これから私の身体を使って感動を表現するパフォーマーとしては人前に立たないほうがいいな」と思ったんです。
その冷静に見える感覚を良しとする方もいると思いますが、私にとっては幕が下りた瞬間だった。それ以来、決まっていた残りの仕事だけはして、ダンサーは辞めたんです。それが33歳でした。

TDM:33歳ならまだまだ踊れる歳だと思うのですが…。

YUKOそうかもしれないけど、そのときはすごく自然に受け入れられた。それは、自分では想像も出来なかったような仕事もたくさん出来て、ダンスで世界も周れて、マイケルを通して、ダンスを通して世界中で素晴らしいものも見れたから。それと、辞めることを決めたもう1つの理由は、この一生をかけても自分がなりたいダンサーにはなれないという結果が自分で見えたからなんです。もっとスキル的にもジャンル的にもやりたいことはあったし、技なども極めたかったけど、仕事の充実とはまったく正反対に、自分が求めるダンサーには一生かけてもなれないと思ったからなんです。否定的、悲観的な感情ではなくね。

TDM:すごくストイックですね。ダンスを辞めてからはどんな活動をされてたんですか?

YUKOダンスと並行して、ずっと身体づくりを研究したり実践はしていたのですが、実は、コナが6カ月くらいのとき、浅利慶太さんと偶然再会して「もう一回死ぬまでにユーコちゃんのダンスが見たいと思っていた」とおっしゃってくれたので、「もし何かやらせてもらえるとしたら、私がずっとやってきた身体作りを紹介したいです」と話していました。その後、本当に劇団四季でワークショップをやらせていただく機会があり、私がやってきた身体作りのノウハウを「アウェークニング」と名付けて、私が日本に帰ったときには、毎日団員の方たちに教えるようになったんです。
そこから、本を出したりアウェークニング中心の活動をしていて、日本で自分のアウェークニングのスタジオをオープンすることになったのですが、ちょうどオープン1週間前にマイケルの訃報を聞いたんです。

TDM:ほぼスタジオオープンと一緒のタイミングということですよね?

YUKOそう。だから、私はマイケルから頂いたものをここで伝えていかなきゃいけないんじゃないか、と思いました。そこで始めたのが、“ダンスwithマイケル”というレッスン。オリジナルの振付をそのまま伝えてマイケルと踊っている感覚になってもらいたいし、マイケルのリハーサルでの姿勢なども伝えることによって何らかしらの感覚を感じて欲しい。これは私にしかできないことだし、やるべきだなと思って始めました。今もワークショップという形で全国、海外でやらせてもらっています。
マイケルのファンは本当に熱いんですよ。私に触るだけも喜んでくれる(笑)。こんな私にそんな感覚になってくださって、私を通してマイケルを感じてくれるなら、もう「どうぞ!どうぞ!」って感じなので(笑)、世界中で行われているファンイベントなどは行ける限り行ってますね。

 

Michael jackson Tribute Event “Kingvention” in London
2016 ゲストスピーカー出演時

 

■ビジョンや目標を立てた時点で、もうその行くべき方向に向かっている

TDM:現在はどんな活動をされているんですか?

YUKO4年前に娘が高校に上がるときに拠点をL.A.に戻したので、アウェークニングスタジオはクローズしてしまったんですが、今は日本とL.A.を行き来しながら、マイケルのワークショップや、アウェークニングのレッスン、海外のイベントに出演したり、イベントのプロデュースや演出などもしています。
そして、最近では、身体づくりの一環として、セルラム・トリートメントというスキンセラピーの輸入元もしています。

 

TDM:ユーコさんから見て、今の日本のダンスシーンはどう感じますか?

YUKO日本に帰ってきたときにびっくりしたのが、ツアーダンサー、バックダンサーなどプロとしてのダンサーの種類がカテゴリー分けされていたことでした。ハリウッドや他の場所でもそうですけど、少なくともみんなアーティストとして、“バックダンサー”ではなく“ダンサー”として仕事をしています。それぞれ責任と誇りを持っているし、“後ろ”というイメージとは違うんですよね。これはシンガーなども同様の考えです。

全国にワークショップなどに行って感じるのは、ダンスの本当に大事な部分を忘れてしまっている人たちも多いのかなって。「よそ者は入れたくない、自分のスタジオだけ守りたい」など、同じ地域の中でもそれぞれに縄張り意識があって、地方でワークショップを開催しても告知できないことなどがあってびっくりするんです。たぶん、地方から海外や東京に出る人たちは一匹狼が多いから地元に残らない。だから、残っている大人たちが、そういう意識を変えていかないと、みんなでひとつになってダンスを盛り上げていくことは難しいと思います。環境や経済的にその囲われた場所から飛び出せる子はいいけど、そうじゃない子は悲しい現実になってしまう。それは大人の責任。だから私自身は少なくとも囲うことは絶対にやらない。生徒さんにも「どんどん外に出なさい」と言っています。気づく人、気づかない人、選ぶ人、選ばない人、残る人、残らない人など、チョイスはたくさんあるし、誰だって原石なのに、キッズや若い子に対して周りの大人がそれを止めて囲ってしまったらダメだと思う。囲んでしまうとそれ以上に成長できないし、自分も成長できないし、それをるってダンスの魅力とは相反することじゃないかと思います。
ダンスを踊っているということは、ダンスが言葉以上の表現だということにピンとくるからだと思うから、囲うことに捉われるのではなくて、もっと現状を超えたところにビジョンを持っていれば、たとえ現状がつらかったとしても、いい形で乗り越えられると思います。

だから、場所に関係なく、ダンスに関わる人たちみんながきちんと誇りをもって、意識を高めて、一ダンサー同士、スタジオが繋がっていけば、もっとみんなで盛り上がっていけるのではないかと思います。ダンサーって単独でできるものだから、人と繋がらなくてもできちゃうけど、だからこそ大事な部分で繋がりあうことが大事だと思います。

TDM:本当にその通りだと思います。では、最後に今の若いダンサーたちにメッセージをお願いします!

YUKOダンサーになることを選んだとき、自分のためにはなんでもできると思うんです。でも、それってある意味すごく近いゴールでしかない。なりたいダンサーを描き、そこに向かって頑張る、そして自分と自分以外の存在への幸せを望み、そこから「踊りを通して、自分以外の人に対して何ができるのか?」ということを考えてみて欲しい。
まず、自分を囲むコミュニティ、次はそのコミュニティの少し外側と、というように。それこそマイケルみたいな人は、地球単位で考えていたと思いますが、自分の快感だけじゃなく、自分の快感を通してダンスの素晴らしさをどういう形でどう伝えていくのか。そういう視点での大きな目標を1つ持つといいのかなと思います。もちろん、“今は楽しいから踊る”でも全然OK!だけれど、それだけではそこですぐに終わってしまう。人間って、ビジョンや目標を立てた時点で、もうその行くべき方向に向かっていると思うんです。どこに向かうかは、そのときの自分を信じて決めるしかないんだけど、決断した先にあるものが輝いていればそれでいいと思う。
ダンス以外のことでも、今はつらいところにいても、光が見えたら光に向かって行くしかない。だから、光をどこに見つけるかによって自分の在り方が明確になってくるんじゃないかなと思います。ただ、環境変えただけでは、新しい環境も良く思えない場合もあるから、結局、自分の捉え方次第なのかなと。レッスンや練習する時間もすごく大事だけれど、若い時期にきちんと自分に向き合って、迷って迷って答えを探す作業をしてほしい。人任せにしないことが一番いいのかなと思いますね。

TDM:行動してきたからこそ言える素敵なメッセージ心に響きます。今日は貴重なお話をありがとうございました!

 

interview &edit by Yuri Aoyagi
photo by AKIKO
’18/12/27 UPDATE

 

★現在ユーコさんが輸入を手掛けるスキンセラピー

セルラム・トリートメント


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