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ぱお

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全国キッズダンサーの登竜門ALL JAPAN SUPERKIDS DANCE CONTESTや、ダウン症のエンタテイメントスクールLOVE JUNXの運営など、ストリートダンスシーンの構築にも力を注ぐ沖縄出身チーム「琉球の風なの!?」のぱお。自身のプレイヤーとしての葛藤や、勝ち負けだけにこだわるキッズダンサーたちへの危惧を抱く中、純粋にダンスを楽しむLOVE JUNXのメンバーに感動し、心突き動かされている彼が、将来見据えていることとは。来年、自身のチーム「琉球の風なの!?」が結成20周年を迎える彼にこれまでの活動を振り返ってもらった。

 


 

  • ぱお

    ダンスチーム「琉球の風なの」所属。テレビ番組「RAVE2001」「スーパーチャンプル」など出演。ジャパンダンスディライトvol.7特別賞獲得後現在はALL JAPAN SUPER KIDS DANCE CONTESTや世界ダウン症の日などの大型イベントの主催者として活動中。

 


 

琉球の風なの!?時代。相方へのコンプレックス。

 

TDM:まず、ダンスをはじめたきっかけは?

 

ぱお:中学校の時に、TV番組「元気が出るテレビ」内のコーナーの「ダンス甲子園」を見たのがきっかけです。当時、沖縄では深夜に再放送されていたのでVHSに録画して、翌朝それを見てから登校し、ダンスが好きな奴らで集まってダンス甲子園の話をするという日々でした。

 

ダンススタジオも、ダンスをやっている人もいなかったので、ずっと「ダンスやりたいな~」と思いながらもできないまま19歳になった頃、ファッションだけはストリート系でキメていたので(笑)、小学校の時の同級生とたまたま会った時に「ダンスやってるの?」「いや、やってないんだよね。」「俺やってるから一緒にやらない?」と誘ってもらったのがきっかけで踊るようになりました。ちなみに、ぱおという名前は、小学校2年生からのあだ名で、一緒に踊っていた同級生はずっとその名前で呼んでいたので、それがダンサーネームになりました。「ぱお」の意味は何もないです(笑)。

1994年、JAPAN DANCE DELIGHT(以下、ディライト)VOL.2でEXISTを見て、「かっこいい!」と思い、コピーをするようになり、ディライトを目標にしてVOL.6に出場しました。それから翌年も沖縄から大阪に行ってディライトに出場しました。それが21~22歳の頃で、ダンスをはじめてまだ3~4年でした。最初は10人くらいのチームだったんですが、その中から、後の相方ジャンジャンと僕が先輩に誘われてユニットを組むことになり、チーム名をどうしようかと考えた時に、沖縄っぽい名前がいいということで、当時の大河ドラマ「琉球の風」をそのままチーム名にしました。先輩との「琉球の風」は一度だけだったんですが、その後、メンバーにいたジャンジャンと2人でチームをやってみようかということになり、1999年に「琉球の風なの!?」として活動し始めます。2人で活動し始めると、県外からもゲストのオファーがくるようになりました。相方に何も言わずに「RAVE2001」にビデオを送って出演決めたり、「少年チャンプル」「スーパーチャンプル」はディレクターさんと知り合って、映像を見せたら「出演OKですよ。遠距離チーム面白いね。」と出演することになりました。

 

 

相方はチームの衣装や、振付や構成、曲を主に担当していました。昔から相方ジャンジャンの才能がすごすぎて、だんだん「踊っていても僕のことは誰にも見られていないんじゃないか」と思うようになっていきました。前のチームではネタを一緒に作っていたんですが、相方が100%作るようになってから賞が取れるようになって、だんだん「相方は僕じゃなくてもいいんじゃないか」「僕よりもうまいやつはいっぱいいるのに」「このままだと僕のダンス人生はまずい」と相方の才能へのコンプレックスがありました。それくらい相方のことを尊敬もしていたんですが、「このままだとやばい」と思い、「僕もダンスを一生懸命やりたいから、1年間1人で修行したい」と話したんです。大阪では「琉球の風なの!?」が結構知られていたので、誰にも知られていない場所で一からやりたいと思い、上京しました。結局、それから16年東京にいます。

 

ジャンジャンは今、那覇の国際通りで串カツ屋さんをやっていますが、今だに解散という話もないですし、今でも「踊ろう」と言ってくれます。ジャンジャンは一時期、沖縄で別のチームを組んでいましたが、その時期のジャッジをした時に、名前の後ろに「琉球の風なの!?」を入れてくれていました。待っていてくれることに感謝ですし、結果的に、あの時上京してよかったと思っています。来年で「琉球の風なの!?」は20周年なので、何かしようかなと考えています。

 

 

LOVE JUNXを観た時の衝撃。「僕はこの気持ちを取り戻さないといけない」

 

 

ぱお

そんないろんな出会いがあって、僕は会社を作ってALL JAPAN SUPERKIDS DANCE CONTEST(以下、スーパーキッズコンテスト)も立ち上げて仕事がうまくいくようになって、LOVE JUNXにも関わるようになって、結婚もして子供もできて、もう地元には帰れないなと思いました。

 

TDM : LOVE JUNXに関わることになったきっかけは?

 

ぱお:もともと沖縄に住んでる時からPaniCrewが好きで、ダンスをはじめてから最初に目標にしたのが、植木豪くんでした。豪くんとクラブで遊んだり、練習にも誘ってもらえるようになったので、大阪ではなく東京に行こうと思えたんです。その後、PaniCrewのメンバーが経営している会社に協力させてもらうことになって、スキルジャムというダンススタジオの運営メンバーになりました。そこで受付をしていたある日、LOVE JUNXを立ち上げた牧野アンナがレッスンのアドバイザーとして入ってきました。僕も沖縄出身なので、彼女のことは知っていたので話してみたら「今、ダウン症の子にレッスンをしているんです。」「へ~。今度遊びに行きますね。」と会話が弾み、後日、PaniCrewが行く日に僕も一緒についていって、LOVE JUNXを初めて見ました。

 

 

牧野アンナ:

スーパーモンキーズのリーダーとしてデビュー。沖縄アクターズスクールでチーフインストラクターを務め、安室奈美恵、MAX、SPEED、DA PUMP、知念里奈、三浦大知、山田優、黒木メイサ、他を育成。2002年ダウン症児者と出会い、アクターズを辞め、ダウン症児者のためのエンターテイメントスクール「LOVEJUNX」を立ち上げる。

 

当時、自分もダンスの修行で東京にいたので、自分を一流ダンサーだと思い込んで「よし、彼らに僕もダンスを教えてあげよう」と思っていたら大間違い。ものすごく衝撃を受けました。彼らの中に、ダンスが「上手い」「かっこいい」とかは一切関係なくて、「いかに楽しく踊るか」なんですよ。僕やPaniCrewメンバーの目の前で楽しく踊って見せてくれます。「あ、僕はこの気持ちをもう一度取り戻さないといけない」と思い、LOVE JUNXに通うようになりました。当時朝9時からのレッスンでしたが、それまでの完全な夜型生活を変えて、頻繁に通いましたね。

 

LOVE JUNX

LOVE JUNXを初めて見た時の衝撃は今だに忘れられなくて、「多くの人に見てもらいたい」と思い、今でも、LOVE JUNXの裏方として動いています。僕が通うようになった翌年から、世界ダウン症の日というのが世界で制定されました。その当時、スーパーキッズコンテストなどもやっていて、イベント運営のノウハウがあったので、「世界ダウン症の日にイベントをやりましょう」と提案して、代々木公園でイベントをやってから、現在では大阪、沖縄で開催し、DA PUMPや三浦大知くんやPaniCrewなど、いろんな方にも参加して頂き、年々盛り上げてもらっています。

 

TDM:LOVE JUNXを拝見した時に、正直、ダウン症の方でもあんなに踊れるんだと驚きました。ダンスにおいてダウン症はペナルティにならないんだなと。

 

ぱお : 最初はいろんな障がいの方向けにもやっていたらしいんですが、難しくなってきて、アンナはいろんなことに手を出して中途半端になるくらいなら、ダウン症だけやろうと決めたようです。最初はいろんな批判も受けていたみたいですが、これくらい定着したら、そういった声もなくなり、今や、全国のダウン症の方に知って頂いています。ダウン症の子は寛容で、言ったことも守ります。叩いたり大きな声を出すようなイメージがあるかもしれませんが、そんなことはなくて、僕は普通に一緒にホテルに泊まったり、ご飯食べたり、家に遊びに行ったりもしています。

 

今年は北海道にもLOVE JUNXを立ち上げることになりました。そのきっかけは、昔、北海道から「琉球の風なの!?」を映像で見たのがきっかけでダンスをはじめて、沖縄まで僕らのことを探しに来てくれた10年以上の友達がいるんです。その友達が、今や北海道でダンススタジオなどを複数経営する方になっていて、北海道LOVE JUNXの話を相談したら、「一緒に仕事ができるなんて…」と泣いて喜んでくれまして(笑)。つながりってすごいなと思いましたね。

 

今年9月30日に北海道でLOVE JUNXのライブを開催しました。東京でも中野サンプラザで開催して、2000人くらい集まりました。ダンス発表会のようなダンスナンバーとか、劇団もあるので演劇や、去年CD歌手デビューをした子がいるので、そのLIVEなどをやりました。

 

 

■好きに踊って、勝ち負けは関係なく“いかに自分が楽しめるか”

 

 

TDM : スーパーキッズコンテストはLOVE JUNXとは別の軸で動いてますよね?

 

ぱお

ALL JAPAN SUPER KIDS DANCE CONTEST

はい、また別ですね。僕がLOVE JUNXのイベントなどで行けない時もあるので、社員で回るようにしています。13年前の立ち上げ当初は全国8会場くらいでしたが、今は、年間全国のべ26か所でやっています。当時、ストリートダンスのイメージはあまりクリーンではなかったので、キッズダンスイベントをクラブでやると、保護者の印象はよくありませんでした。そこで、クリーンなイメージにするためにも健全なショッピングモールで、しかも観覧無料でやろうと決めて、以来そのスタンスでやっています。当時、ショッピングモールでやっているダンスコンテストはなかったので、僕らが日本ではじめたと言ってます。甲子園と一緒で、その地区の代表にならないと決勝大会に出られないので、強豪チームがかなり燃えてくれていて、レベルは上がっていますね。

 

TDM:全国で開催しているということですが、各地のダンスシーンは様々ですか。

 

ぱお:各地のローカルなダンサーたちは大体5分の1くらいですかね。あとは、北海道大会に関西のチームが参加しに来るなど、その開催地以外のチームが、チャレンジしにくる傾向が多いです。なので、各地のダンスシーンが見えてくるというわけではないですね。あとは、主要都市ではなく、他のコンテスト主催者がやらないような地域で開催することも、影響しているかもしれません。でも、僕らはどこでやっても人が来てくれるので、そこは自信を持ってやらせてもらっています。各地のケーブルテレビでも放送がありますので、テレビにも映れるというメリットを感じてくれる方も多いんだと思います。過去に、山口県ので開催したことがあり、正直、人が集まるのか不安でしたが、驚くほどたくさん集まってくれました。

 

TDM : 今までの活動を通して、何か感じることはありますか。

 

ぱお

スーパーキッズコンテストを立ち上げた当時は、まだキッズコンテストというものがなかったのですが、この13年で、たくさんコンテストが増えて、増えれば増えるほど、入賞できるかどうかだけを目標にして踊っている子が増えているので、目的が変わってきているなと感じます。僕は同時に、LOVE JUNXのみんなとも触れ合っているので、キッズダンサーの子たちにも、LOVE JUNXのメンバーのように、心からダンスを楽しむ気持ちを忘れないで欲しいと思いますね。LOVE JUNXのメンバーの方が本当のダンサーだと思います。好きに踊って、勝ち負けは関係なく“いかに自分が楽しめるか”なので。だから、いい刺激になればと思って、スーパーキッズコンテストのファイナルにはLOVE JUNXをゲストに呼んで、世界ダウン症の日にはスーパーキッズコンテストのファイナリストをゲストに呼んでいます。

 

 

■親、振付師、主催者との交流会で現場の声を聞く。

 

 

TDM:何か迷ったり壁にぶつかったりする時の克服方法は?

 

ぱお:あまり深く考えないようにしています。決断する時は、人にあまり相談もしないですし、悩まずに“やる、やらない”を決めることが多いですね。自分でやると決めての失敗はいいんですけど、誰かに相談して失敗した時にその人のせいみたいになるのも嫌なので。

 

TDM : 社長としても活動されていますが、会社としてはどんなワークスタイルですか?

 

ぱお:運営メンバーと、WEB系、デザイン系をやってくれる人の4~5人でやっています。社員とはほぼ会いませんね(笑)。出勤時間も出勤日なくて、会社に来たい日に来て、帰りたい時に帰る。あと「子供の行事は絶対休め」と言っています。なぜなら、僕が休みたいから(笑)。

 

年間で言うと、毎年4月~1月が毎週スーパーキッズコンテストをやっています。同時に、4~6月はアリオカップというコンテストもやっていて、10~3月三井ショッピングパークのコンテストもやっています。あとは、スーパーキッズコンテストよりも参加条件が下のランクのチャレンジカップというコンテストも同時進行でやっていまして、ほとんど毎週末イベントで埋まっていますね。平日はそのエントリー管理や、打ち合わせなどの準備作業です。現場は社員に任せていて、僕は行ける時は行きますが、LOVE JUNXや打ち合わせなどで行けない時もあるので。僕が行かなくても運営が回せるようにはしています。営業はあまり行かないですね。ホームページがしっかりしていれば連絡が来ますし、そこから仕事につながることの方が多いです。

 

TDM : コンテストに参加するキッズの親との関係性で何かケアしている部分はありますか?

 

ぱお:昔は親御さんとも仲が良かったので、本番の後の打ち上げに誘われていろいろと交流していましたが、ここ5~6年はないです。でも、今年になってまた誘ってくれるチームもいて、やっぱり一緒にお話しすると、僕らが見えてないことがいっぱい見えてきますね。子供たちのサポートの仕方を聞くのですが、役割分担や衣装、練習方法などの仕組みがすごいんです。とあるチームは、4ページにわたって年間のコンテスト表を作っていて、たくさんのコンテストにエントリーするのを事前に計画していて、それらのホテルの手配や、エントリー手続き、お金の工面などがものすごく大変そうでしたね。運営側としてわかってはいても直接意見が聞けるのはすごく勉強になりますね。

 

親だけでなく、参加してくれているチームの振付の先生だけで集まったり、キッズコンテストのオーガナイザー、キッズダンススタジオのオーナーだけで集まって交流会もしています。先生たちから「キッズコンテストのこういうルールはどうなの?」という意見がもらえて、なるほどなと思うことがたくさんあります。情報交換ができて面白いですね。

 

■ダウン症のための学校を作りたい!

 

TDM:今後の展望はありますか?

 

ぱお

LOVE JUNXではやりたいことはたくさんありますね。大きいところで言うと、ダウン症の映画を作りたいですね。アンナがストーリーの構想はなんとなく決めていて、去年作ったCDをテーマソングにできたらなと思っています。

 

あとは、北海道、東京、横浜、大阪、沖縄にLOVE JUNXがあるので、あとは、東北と九州と名古屋にもLOVE JUNXを作って、4年に一回武道館に集まってライブをしたいという夢もあります。武道館をダウン症の人たちのエンタテイメントライブで満員にしたいですね。障がい者のイベントと聞くと、まだまだ暗いイメージがあると思いますが、アーティストにも協力してもらって、主役はダウン症の彼らのエンタテイメントで、明るく楽しいイベントを作れたら嬉しいですね。

 

 

あとは、もっと大きな夢としては、ダウン症の子たちの学校を作りたいです。それは、だいぶ先の目標ではありますが、学校法人ではなくてアクターズスクールのような、芸術学校のイメージです。LOVE JUNXでは今小学生以上対象で、ダンスがメインですが、高校生以上を対象に、なかなか障がい者が習えないようなことを学べるようにしたいです。受付や先生もダウン症の方を雇えば、雇用も増えます。これは大変な規模になると思いますが、本当に実現に向けて徐々に動き出そうかなと思っています。国からの助成金はなかなか難しいので、どこかの企業と組めたらと考えています。

 

僕は幅広くいろんなことをやるより、得意なことだけを突き詰めることに決めたんです。キッズダンスとダウン症のこと以外はやらない、その代わりその中でいろんなことをやりたいと思っています。

 

 

■2019年は「琉球の風なの!?」20周年!!

 

 

TDM : ご自身のダンスライフは?

 

ぱお

琉球の風なの!?

 

自分のことはもうプレイヤーだとは思っていません。レッスンは3年前に全部やめました。でも、ジャッジムーブをする機会もあるので、そこで恥をかきたくないから、そのために練習はしています。ただ、来年「琉球の風なの!?」の20周年には沖縄で何かやろうかな~と(笑)。

 

最初にネタを作った時に、相方と「このネタは20年後にやりたいよね」と話していたんですが、それが来年なんですよ。まさか20年後も一緒にやっていると思わないし、今年初旬に相方が「来年20周年だよ。あのネタをやろうって話してたよね。」と言ってくれたので、それはやりたいなと思っていますが、それ以外は未定です(笑)。自分でもこんなにダンスの世界にいると思いませんでした。ダンスで稼げなくてずっとアルバイトしていた20代の僕は兄から「就職しないならダンスはやめろ」と言われていました。でも、今は会社作ってやっている僕を見て「好きなことだけやれて羨ましい」と応援してくれています。

 

先日、テレビで見てきて純粋にファンだったLL BROTHERSのMASAYAさんに、スーパーキッズコンテストの審査員でお会いすることができました。打ち上げで一緒に飲みたいがために呼んだのですが、最初は緊張してうまくしゃべれませんでした(笑)。ずっと続けていたら、自分の原点の人とお話ができるんですよ。それってすごいこと!夜中に録画してまで見ていたあの人と仕事している…と、めっちゃ感動しますね。

 

TDM:では、最後にキッズダンサーにメッセージをお願いします!

 

ぱお:さっきも話したようにだんだんキッズダンサーは勝つためのダンスしか目指していない印象があるので、LOVE JUNXみたいに、心から楽しめるダンスを目指してほしいです。中学や高校生に上がる時に勝てなくなるから辞めてしまうという子も多いんですが、やるからには続けてほしいし、続けるなら楽しい方がいい。勝つ喜び、負けた悔しさも大事だと思いますが、勝っても負けても楽しくあって欲しい。学校の先生を好きになると勉強が好きになることってありますよね。だから、ダンスの先生との相性も大事だと思います。あとは、ダンス友達はたくさん作った方がいい。先生や仲間と楽しく踊っていってほしいです。

 

TDM:素敵なメッセージをありがとうございました!!

 

[関連リンク]ALL JAPAN SUPER KIDS DANCE CONTEST

[関連リンク]LOVE JUNX

 

 

interview by AKIKO
photo & edit by imu

’18/10/17 UPDATE

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tokyodancemagazine

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