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ラスベガス特集第2弾 Yasu Yoshikawa

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エンタテイメントの聖地・ラスベガスで活躍する3人の日本人パフォーマーに出会った。シルク・ドゥ・ソレイユに代表される巨大な特設ステージから、身体一つでチャレンジできる小劇場まで、パフォーマーの在り方は様々。彼らの意識やこれまでの軌跡、取り巻く環境をお伝えすることで、パフォーマンスや舞台作りのお役に立てればこれ幸い。

 

2人目は、日本人パフォーマーのヨッシーことYasu Yoshikawa。彼 はPlanet Hollywood Resort & Casino の常設シアターの一つ「V」シアターでラート(大きいリング)パフォーマーとして活躍している。巨大なショービジネスの中で生きる術を見出していくヨッシー。現在はトレーニングキャンプなども企画し、表舞台以外の活動も広げている。世界規模で活躍するパフォーマーのセカンドステージへの挑戦にも注目していきたい。

 


 

  • Vshow22Yasu Yoshikawa(吉川泰昭)
    奈良県出身。直径45㎝~2mまで、大小さまざまな種類のラートを操るパフォーマー。2001年、学生時代に全日本ラート選手権で優勝以降、好成績を納め続け、2011年には第1回全米シルホイール選手権優勝、全米ラート選手権 優勝など、好成績を納める。 2004~2011年「マッスルミュージカル」に参加。以後、ラスベガス、ロサンゼルスを拠点にショーに出演。エンタテイメントショーSpiegelworld「EMPIRE」出演時には、ニューヨーク、ポートランド、オーストラリア7都市、ニュージーランド3都市、カナダ3都市を巡るワールドツアーにも参加。そのほか、国内外のメディア出演やショーに出演。現在は、ラスベガス「Vショー」に出演中。

 


 

 

■ラートとの出会い。日本ではなく、世界を見ていた恩師。

 

TDM 現在の活動状況について教えてください。

 

 

 

Yasu Yoshikawa
「V」というショーに出ています。僕はマッスルミュージカル「祭」というショーで3回ラスベガスに来ていますが、初回で僕たちの後にやっていたショーがありまして、それが「V」でした。入れ替わりの激しいラスベガスで長く続いているショーの一つです。シルク・ドゥ・ソレイユや他の有名なショーも見たんですが、「V」を観た時に、衝撃を受けました。パフォーマーは身一つでやっていて、最終的に自分もこんな能力を持てたらいいなと思いました。

 

▲「V」トレーラー

 

 

 

TDM
「V」はどんなショーですか?

 

 

 

Yasu Yoshikawa
繝ィ繧キ繧ォ繝ッ縺輔s・・_DSC0900バラエティ(Variety)やベガス(Vegas)の意味が込められていると思うんですが、特徴としては司会者がいて、ピン芸人が5分間のショーをします。日本で言う寄席に近いです。シルク・ドゥ・ソレイユにも憧れがあり、ラスベガスのオーディションに挑戦し、100人以上受けた中で7人には選ばれ、登録もしてあるんですが、実際にショーに出たのはそこから2~3人でした。やはりその時のクリエイションの段階で選ばれるかどうかだし、その時に望まれたポジションに合う能力を持っているか、タイミングにもよると思います。シルク・ドゥ・ソレイユに出るのは本当に厳しい。その時に、「今の自分のスタイルでいてはだめ。何か周りと違う演技をしなければいけないんだ。」と気づきました。それから、ラートで一般的な2輪ではなく、フラフープのような1輪のものなど、いろんな輪っかで回るようになったんです。

 

 

 

TDM
いつからラートを始めたんですか?

 

 

Yasu Yoshikawa
僕は大学から始めました。琉球大学の農学部で森林のマングローブの研究をしに進学したんですが、ラートに出会い、ハマってしまいましたね(笑)。ラートという競技は、全日本大会で勝つと世界選手権に進めます。教わっていた先生は実はラート協会の会長で、知らないうちに全日本大会にエントリーされて、出場することになりました。練習中は世界選手権のビデオを見せられて「お前らのやりたい技を見つけてやれ」と言われて、そればかり練習していました。

 

そして、全日本大会に出場した時、他の出場者の技が簡単なものばかりであることに気づきました。僕らもルールをよく理解していなくて、全日本大会では難易度A~Bの技を4つくらい入れて、Cの技は1つで十分らしいんですが、僕らは難易度Cの技を5つも入れていたんです。先生に「みんなと技が違う気がするんですけど…」と聞くと「君たちに世界を見せるために、こうしたんです。」と。先生は日本のレベルではなく世界レベルで考えていて、僕たちを世界に羽ばたかせる為に、難しいことを教えてくださっていたんです。

 

その気持ちに応えたいと思い、それからも練習を続けて、次の全日本大会で世界選手権への出場権を獲得しました。

 

■輪っかなら何でも回る人になろう。

 

 

 

Yasu Yoshikawa
初めて世界選手権に出た時に、すごいパフォーマーがたくさんいて、彼らを見て心が踊りました。「自分もこういう人になって、いろんな人に楽しんでもらいたい!」と思い、パフォーマーを志すことを決めました。それが大学3年生の時です。

 

卒業後、TV番組「SASUKE」に出演し、プロデューサーが同じ方だったことがきっかけで、マッスルミュージカルにも出演することができました。出演して3か月が経った頃、「ラスベガスを観て来い。そこで何かをつかんで来い。でも、旅費は自腹で。」とお達しが来て、休日を使って見に行きました。そこで観たのが、シルク・ドゥ・ソレイユの「KA(カー)」と「O(オー)」でした。舞台が動き、水を使い、座席にスピーカーがある…舞台そのものがエンタテイメントになっていることに衝撃を受けて、自分が進むべき道はラスベガスにあるんじゃないかと思いました。それが25歳くらいの時です。

 

 

▲「KA」トレーラー

 

 

 

▲「O」トレーラー

 

日本に帰国後、今まで自分が思っていたエンタテイメントの固定概念を取っ払わないといけないと思い、“ラートのパフォーマー”にとどまらないものを模索していました。すると「世界には1本の鉄のリング(シルホイール)で回っている人がいるらしい」と聞き(ラートは2本の鉄のリングをつないだもの)、「自分も輪っかの人間としてやらなくてはならない!」と、直径2mくらいのクリスマスリースのフレームをもらって、自分でゴムを巻いて,それで練習し始めました。

 

当時は今のようにYouTubeなどが浸透していなかったので、ニューヨークで観たシルク・ドゥ・ソレイユの「Corteo(コルテオ)」を思い出しながら練習していましたね。

 

それから、輪っかをもっと小さくするなど、バリエーションを増やしていきました。とにかく自分は“輪っかなら何でも回る人”になろうと決めました。自分のリミットを外したかったんです。それが29歳くらいの時でした。

 

 

■クラウンのワークショップ。観客とショーをつなげる役目。

 

Yasu Yoshikawa
その後、2011年にマッスルミュージカルを退団し、武者修行しようと、クラウンのワークショップを、マジシャンのTanBAさんとラスベガスで受けました。そこにはクラウンだけでなく、パフォーマーやアクターたちも集まり、とにかく面白い人たちばかりでした。

 

内容としては、お題が出されて即興を見せます。例えば、カーネーション1本を渡されて、「じゃ、それを持って向こうから歩いてきて、笑わせて!」という無茶振り大会なわけです。だけど、周りは面白い人ばかり。もちろん、失敗もたくさん見ました。自分たちもたくさん失敗しました。大体、意気揚々とクラスを受けるんですが、帰り道は落ち込む日々の繰り返し。正解がないので、毎回「今日はこれをやろう!」と準備をして行っても、うまくいかない。そんな時、先生から「このポイントで突き抜けてみろ」と言われて、やってみたら面白くなる。先生にいろいろと引き出してもらえて、ものすごくいい授業でした。

 

日本の演劇界でも同じようなワークショップはあると思いますが、大きな違いは、自分の演技が完成すればそこで終わりではないということ。クラウンは観客とショーをつなげるという、ショーの中で一番大切な役目があります。その為には、常に変わる観客と、いかに繋がるか。事前に100~200パターン用意したって通用しないこともあるんです。

 

ということは、いかにその場で観客の反応に対して対応できるか。その訓練をさせてもらいました。今でもとても難しいことなのですが、お客さまを前にしていると突然パーン!と、するべき方向性が降りてくることがあります。その時は、観客と一緒に楽しむことができ、会場が一つになった達成感と喜びを味わえますね。そういうパーン!をいろんなパフォーマーにも体験してもらいたいですね。

 

 

「なぜ試してもないのにできないって言ったんだ!まずやれ!!」

 

Yasu Yoshikawa
ある日先生から「お前らこんなに面白いんだから一緒にショーをやったら絶対面白い。」と言われ、毎月100人くらいの会場で、夜中の12時半から始まるショー「1230show」を始めました。ワークショップで生まれたものを発表したりしていて、僕はTanBAさんと2人組として出ました。でも、最初は、ダダ滑りしました (苦笑)。お客さんは笑いに来てくれているのに、ポカーンとさせてしまいました。クラウンをお客さんとの繋がりが大事なのに、あの時はうまく繋がれていなかったんです。地獄でしたね。でも、TanBAさんとへこたれずにやっていこうと6ヵ月間頑張りました。

 

 

▲「12:30 SHOW」オープニングパフォーマンス

 

 

 

TDM
ラスベガスの観客の方は、日本と違って、楽しんでいるときはものすごく楽しみますよね。

 

 

Yasu Yoshikawa
_DSC0880はい。だから、ラスベガスのパフォーマーは日本人の反応に驚きますね。本番中はものすごく静かで、終わった後にものすごく拍手をする。きっと楽しんでいるんだろうけど、声も出さないし、自分だけで楽しんでいるように見える。こっちの人は演者と観客が一体となって楽しみますからね。そういう意味でも、僕は最初お客さんの反応に応えられていなかったんだと思います。

 

クラウンが大切にしているのは、自分のやることではなくて、相手の反応をいかに料理していくか。それができていなかった。ただ、回数を重ねていくたびになんとなく方向性がわかっていきました。すると、だんだんウケるようになりました。「よし、次の段階に進もう!」と思った時に、それまで、あえて封印していたラートをショーでやってみることにしました。ものすごく狭いステージでしたが2mくらいの輪っかで回ってみたんです。すると、ある日、終演後に男性が話しかけてきました。「3mの円形ステージで回ってみないか?」「いや、2mの輪っかを3mのステージでやるのは無理ですよ。」と話していたらクラウンの先生が飛んで来て「こいつ、何でもできるから連れてってくれ!」と。「なんてこと言うねん!」と思ったけど、男性が帰った後にものすごく怒られて、「あの人は有名なプロデューサーだぞ!あの人に認められることはすごいことだ!なぜ試してもないのにできないって言ったんだ!まずやれ!!」と。「そうか…そうだな。」と思い、急いで先生経由で彼に連絡を取ったんですが、結局音沙汰はありませんでした。

 

その後は、3mの円を練習場に描いて、ずっと練習をしていました。3mのステージでは2mの輪っかでいろんな技はできないので、楽しませる為には他の要素を入れなければいけない。プロデューサーの彼はクラウンのショーを見に来て俺に声をかけてくれたんだから、自分のキャラクターが必要なんだろうと思い、追及していくようになりました。

 

しばらくして、プロデューサーの彼から「まだ興味があるなら劇場に来なさい。」と連絡が来ました。彼らの劇場のテントに、輪っかと音楽も用意して行って、失敗しながらもなんとかやり切ったら、「面白いからやってみないか。」と言ってもらいました。

 

ただ、ビザの関係で日本に帰らなくてはならず「ビザがあれば出られるのにな。」と言われて終わってしまいました。

 

■パフォーマンスはするのではなく、観客と一緒にやるもの。

 

Yasu Yoshikawa
帰国した頃、東日本大震災のすぐ後で、エンタテイメントの世界は自粛ムードになりました。ただ、その間も「ビザさえあればあのショーに出られたんだ」という言葉を胸に、狭い場所での練習と、誰かに喜んでもらいたいという気持ちで、与えられた場所でパフォーマンスしていこうと決めました。すると、ボランティアの方から「東北を回ってもらえないか?」と1週間ほどツアーを回らせてもらいました。

 

集会所も流れてしまっていたので、プレハブ小屋での畳の上でやってほしいとか、浸水した後の体育館など、いろんな場所がありました。ツアーでは、パフォーマンスの場所を与えてもらえることへの感謝と、見てくださっている人と一緒になって楽しめる経験をさせてもらいました。「そうか。自分はパフォーマンスをするんじゃなくて、一緒にやらせてもらうものなんだ。」ということに気づけましたね。約半年後、またプロデューサーから連絡があり、「新しいショーを作るから、クリエイションから入ってほしい。ビザはこちらで手配する。」と言われて、「EMPIRE」というショーに出ることが決まりました。

 

 

▲「EMPIRE」トレーラー

 

クリエイションが始まってみると、パフォーマー全員、美男美女ばかり。「おお!俺もこの中に入っていいレベルってことか!?」と一瞬舞い上がりましたが、渡された衣装は、サスペンダーの付いたぶかぶかのズボンだけ。靴はないと言われ、髪の毛はツインテールにしてくれと。役を聞いたら“半裸のアジアの変な奴”。「そっちか~なるほどな。」と合点がいきましたね(笑)。

 

ショーの最初の10分間は、何かをやって、お客さんを楽しませるのが僕の役目でした。曲をもらい、「演技は全部任せるから、頭の中のものをぶつけてこい。」と言われました。しかし、ざっくりしたもの以外、細かいことが何も決まらず、ずるずると1週間が経ち、突然プロデューサーに見せることに。

 

曲がかかり、「これはインプロだ。クラウンのワークショップの時と同じだ。」と腹をくくって、やってみた時に出てきたキャラが、そのまま採用されるものになりました。降りてきてくれましたね。追い詰められて、やるしかない状況で、研ぎ澄まされる感覚がありました。

 

 

▲「EMPIRE」でのホイールパフォーマンス

 

さらには、フープだけではなく2本の輪のラートでやってほしいと言われて、「それは無理」と言いそうになりましたが、クラウンの先生の「できないと言うな。まずやれ!」という言葉を思い出し、とっさに「もう少し小さいサイズならできる。そうすれば、世界にひとつだけのオリジナルの演技ができる。」と伝えて、特注で作ることに。あの時断っていたら仕事仕事になっていなかったかもしれません。そして、今では世界で一つの吉川専用ラートとして、本番でも使っています。

 

 

■トレーニングキャンプでパフォーマーにきっかけを提供したい。

 

TDM 日本人パフォーマーの特徴として何か感じますか?

 

 

 

Yasu Yoshikawa
海外では日本人の強みを感じています。それは、勤勉であること。これはすごく大切なことで、目標に向かってしっかりやろうと練習します。しかも、細かい所にも気が付くのは素晴らしい。日本の教育はすごいなと思います。ただ、集団では素晴らしいんですけど個人は弱いですね。自分から話しかけることすらも恥ずかしがると思うんですが、こっちに来たらそんなこと言ってられないですからね。かなり、もまれますから。

 

 

TDM
今後の展望を教えてください。

 

 

 

Yasu Yoshikawa
繝ィ繧キ繧ォ繝ッ縺輔s・・_DSC0912全部で4つありまして。 

まず、今、自分が出演している「V」というショーを拠点として、アメリカ全土で演じられるパフォーマーへとなりたいです。そのためには、今ある技だけでなく、今自分の頭の中にある演技や発想を具体的に形にしなければいけないと考えています。

 

2つ目は、ラスベガスのショーの面白い情報サイトを立ち上げたいと思っています。ニューヨークで翻訳をやっている方で、ニューヨークのいろんなショーのレビューを書いている方と繋がったので、ラスベガスのショーをもっと楽しんでもらえるようなレビューの読めるサイトで、ショーを観る道しるべになるようなサイトを作りたいです。

 

3つ目はラスベガスで行われるパーティーに、パフォーマーを派遣したいと思っています。

 

4つ目はトレーニングキャンプです。僕がラスベガスに来た時の気持ちをそのまま伝えていきたいと思い、考えました。僕はラスベガスがどんな街かを知らずに2005年にやってきました。シルク・ドゥ・ソレイユの名前は知っていたけれどツアーショーしか観たことがなく、初めてこちらで観た常設のショーが、先ほども話した「KA」でした。一流の会場で、一流のパフォーマーが見せてくれたショーを観て、今まで自分がやってきたものは何だったのかとものすごく衝撃を受けました。それ以後、拍手をもらった時には「このショーはラスベガスでも通用するだろうか」と常に考えるようになりました。パフォーマーなら、あの世界を知るのと知らないとでは大きく違うと思います。そういったきっかけを、いろんな方に見つけてもらえたらなと思っています。

 

例えば、ラスベガスに観光メインでショーを見るのと、練習ができる環境がある中で見るのとは全然違います。また、現役パフォーマーが練習している所で練習ができるので、タイミングが合えば、本人たちに会えるかもしれませんし、彼らがどんな練習をしているのか見ることができます。

 

その練習を経てからショーを見ると、ただの観客ではなく、「自分があの舞台に立つんだ!」という気持ちで見られると思います。それはたった1日のことですが、1~2か月分のトレーニングに値すると思います。そういった経験を提供していきたいです。自分が持っている固定概念を破って、目を覚ましてもらえるようなプログラムにしたいと思っています。

 

これらの4つはいずれも責任が伴う重要なことだと思っているので、その為にもいろんな方の協力のもと、実現していきたいと思っています。

 

 

 

TDM
では、最後にパフォーマーを目指す方にメッセージをお願いします。

 

 

 

Yasu Yoshikawa
僕は小学校の時、体操をしたかったのですが、体操クラブがありませんでした。母親にやりたいと言ったら「ここには体操クラブはないけど、今ここで与えられたもので何か一つを頑張って続けなさい。そして、楽しみなさい。すると、それが貯金になって、将来絶対役に立つから。」と言われました。そこで見つけたのが鉄棒でした。毎日それだけをやりました。今、それがラートの2輪の時にめちゃくちゃ生きています。母の言葉通りでした。

 

大事なのは、何かを継続すること、そしてそれを楽しむこと。途中で嫌になる時もあると思います。そういう時は別の角度から見て新しい楽しさを見つけることで、もっと楽しくなると思います。共に頑張りましょう。

 

 

 

TDM 今日はありがとうございました!

 

 →関連リンク:ラスベガス特集第1弾 UmA ShaDow

interview by AKIKO
Edit by imu
’18/04/18 UPDATE

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tokyodancemagazine

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