90年代からダンサーとして活躍し、世界大会で優勝経験も持つハウスダンサーHERO。そして、キッズの頃からバトルで名を馳せKING OF SWAGのメンバーとして、数多くのトップアーティストや世界から注目されているダンサーYusei。湘南と川崎に住み、古くから繋がりのある2人は、コアなシーンに身を置きながらも、一方では川崎市や行政と連携し、地域事業や教育に携わる活動も行っている。その活動に至った背景や、行政とダンサーが共存する仕組みや経験談を語ってもらった。
・HERO(至芸)
風貌、雰囲気、そしてその卓越したスキルは然るべき説得力を持つハウスダンサー。97年にハウスダンスに出会い、度々の渡米。NYCでジャッキングと出会い、彼のダンススタイルに大きな影響を及ぼした。世界大会に位置づけられる「Cercle Underground」(2013)、「STREET DANCE KEMP Crew battle」(2017)、「JUSTE DEBOUT」日本予選(2018)などでの優勝。持前のキャラクターで世界各国のダンサーから信頼を集める。現在は「至芸」のメンバーとして、国内外でのショーやバトル、ワークショップで活躍。学校教育では、東京や川崎市立小中学校の表現体育等の授業や高校のダンス部で指導している。
Instagram:@ hiroakahero
Twitter:@ HIROakaHERO
・Yusei(D-BLAST / KING OF SWAG)
地元川崎を拠点に、世界から注目されるオンリーワンダンサー。ダンスクルー「KING OF SWAG」の活動をメインに、数多くのトップアーティストのサポートや振付師として活躍。バトルでは「DANCE ALIVE HERO‘S FINAL 」全国優勝。「Cercle Underground」(2016)や「STREET DANCE CAMP」(2017)での世界大会優勝など、唯一無二の表現力とダンススキルを兼ね備え、全身から溢れ出るパッションは人々に感動と生きる勇気を与えている。常に学ぶ姿勢や気持ちを大事にし、ジャンルレスに進化し続けることで、独自のスタイルを築き上げ、ダンススタジオ「STUDIO S.W.A.G.」を世界に発信し続けている。
Instagram:@ yuseidblast
YouTube:@KINGOFSWAGofficia
■19歳のHEROが、2歳のYuseiをナンパのダシに!?
TDM:お2人の出会いを聞かせてください。
HERO: 最初はYuseiのお母さんのお姉さんのHANAさんが湘南でダンススタジオをやっていて、そこで知り合いました。僕の地元の先輩でB-BOYチームFLOOR MASTERSに所属しているTOMOYUKI君と一緒に海に行くと、よくYuseiの家族がいて(笑)両親がすごく気さくだったので「飲んで行きなよ~」と誘ってくれて、まだ赤ちゃんだったYuseiを「ナンパのダシに使っていいよ!」なんて言ってくれたり(笑)。僕が19歳、Yuseiが2歳くらいでしたね。
TDM:2歳の頃から知っているんですね!
Yusei:はい(笑)。俺はキッズの頃からHEROさんがジャッジしているバトルにも出ていたし、ショーも見ていました。その頃はイベントでたまに会うくらいでしたが、うちの家族が川崎で経営しているstudio S.W.A.Gが赤字になったときに、 HEROさんと、HEROさんのチームメイトのNAOKIさんにスタジオのサポートをお願いすることになったんです。それをきっかけに、僕は当時ヒップホップを踊っていましたがハウスも始めて、毎日のようにセッションしていたのが、小学校5年生から中学生でした。
HERO:Yuseiは中学卒業してL.Aに行ったんだよな?
Yusei:そうですね。親に学費の代わりに留学費を払ってあげると言われて、高校に行かないでL.Aに3~4カ月行きました。海外は伯母のHANAさんのおかげで短期では何回か行ったことはありましたが留学という形は初めてでした。ダンス留学後、兄貴ののDee(※1)が作ったチームD-BLASTにやっと入れてもらえました。それまでは、兄貴とは8歳離れているので「子供とは踊りたくない。チームに入るのはまだ早い」と言われてたので念願でした(笑)。
※1 Dee・・・KING OF SWAGのリーダー。ChrisBrownをはじめ、さまざまなビッグアーティストとの共演や振付を手掛け、日本のみならず海外からも注目されるダンサー。
HERO:でもYuseiは幼稚園や小学生ぐらいでもう深夜のクラブに来ていたよね(笑)。
Yusei:行っていました(笑)。もちろん両親も一緒でしたけど、今では考えられないですよね。当時はブレイキンをやっていたので、兄貴のチームのショーのときに、「キッズが出ると盛り上がるから、ここだけヘッドスピンしろ!」と言われて一瞬だけ出たりしていました。出番が終わるとすぐ帰らされて、今考えるといいように使われてましたね(笑)。
TDM:今もスタジオはHEROさんたちがサポートされているんですか?
Yusei:留学後に、スタジオが安定してきたこともあって、「スタジオはやっぱりお前らのものだから、お前らが頑張れよ」と言ってくれて返してくれました。でも、今もHEROさんはインストラクターとして、ずっとサポートしてくれているので感謝しかないですね。
約15年前のあるキッズイベントにて(右上がHERO、右下がYusei)
■「ダンスで幸せになることを考えよう」と始めた小学校の訪問レッスン
TDM: HEROさんは小学校でダンス指導されていると聞きましたが、どのような経緯だったのでしょうか?
HERO:僕やチームメイトのNAOKI(※2)君もダンスで海外に行っていたので、海外での経験を元に「ダンスで何かできないか」と話し合ったのが活動のきっかけです。
ヨーロッパでは、子供たちや地域の人たちが環境をよくするための慈善活動をダンスで行っているのを間近で見ました。また、約20年前、親交のあるハウスダンサーRICKYSOUL(※3)が黒人の歴史やルーツを手話とハウスダンスで表現していて、耳の聞こえない人にも伝わっているのを見て「ダンスでこういうことができるんだ」と思ったし、NAOKI君も、当時N.YのハウスダンサーWhichway sha(※4)たちと、スウェーデンの慈善活動のイベントに参加したり、ダンスで慈善活動ができることを経験して自分たちの意識が変わったんです。
僕らが日本でやっていた活動は、クラブのショーや遊び中心だったけど、会社も立ち上げて、自分たちの案を企画書にして、キッズや地域のいろいろな所にアプローチをかけてみたんです。
※2 NAOKI・・・日本のハウスダンスの第一世代 TAIL WAGS の元メンバーで、現在は至芸として活動中。独特のボディコントロールを駆使したスタイルで、N.Yのパイオニアのハウスダンサーとの共演や、海外での舞台経験など、グローバルな経験を持つハウスダンサー。
※3 RICKYSOUL ・・・フランスのダンスクルーO’Trip Houseのメンバーであり、世界大会『JUSTE DEBOUT』のジャッジも務めるハウスダンサー。
※4 Whichway sha・・・N.YのカリスマダンスチームDANCE FUSIONのメンバーであり、リズムを切るように強調するジャッキングスタイルのパイオニア。
TDM:ヨーロッパのダンスシーンを見て価値観が変わったんですね。
HERO:そうですね。他にも、スイスのジュネーブでは、観客がスーツや黒タキシード着ていて、休憩中にはワインやシャンパンが配られるような大きな劇場で、マルコ・ポーロの本を題材にしたストーリーの舞台を、バレエ、クランプ、 ブレイキン、ヒップホップ、ハウスの5つのジャンルのダンスで表現していて、ストリートダンサーでもこんな大きな劇場で物語を表現できるのを目の当たりにしたんです。しかも、低所得者も高所得者も関係なくダンスを見る環境が整っていました。
ドイツでは20年前くらいからB-BOYの世界大会BATTLE OF THE YEARをテレビで特集していたり、フランスも、今は国の情勢などもあって状況は変わっていますが、当時は国がストリートダンスを芸術として認めている環境があって、いかに日本が遅れているかを実感しました。そういうシーンを見てきて思いが強くなって、日本で何ができるのかを考え、「まずはダンスで幸せになるためのことを考えよう」と動き始めたんです。
TDM:具体的にはどのようなことから始めたんですか?
HERO:まずは子供たちに教えていこうと、 いろいろなジャンルを取り入れたショーとワークショップを合わせた1つのプログラムを作って、当時、僕が教えてた生徒さんに幼稚園の先生がいたので、その方に掛け合って、1回目を実施してみました。協力して欲しいダンサーに声がけをして、TERRY、KITE、FISH BOY、群青、KENZO、HOMARE、CRiBの2人、至芸のメンバーが協力してくれました。KITEにはロボットの動きのワークショップをやってもらいました。
幼稚園で行った初めてのショー&ワークショップにて(2008年)
TDM:豪華なメンバーですね!その活動はそのまま続けられたんですか?
HERO:第1回目をやった後に、その様子を撮った映像を編集してDVDを作り、子供たちや地域の方たちに知ってもあるために企画書も作って、神奈川の幼稚園や小学校を調べて、アポを取るために一件一件ひたすら電話して、バイクを走らせてポスティングもしたんですけど……連絡は0件でした。
TDM:0件!?そこからどのように状況が変わったのでしょうか?
HERO:地域のお祭りに出るなど活動をしている中で、川崎市の子供を支援している方と繋がり川崎市の小学校の校長会でプレゼンできることになったんです。そこで、ある校長先生が「うちで試してみませんか?」と言ってくださり小学校での活動が始まりました。現在まで様々な小学校でやらせていただき、今も定期的に継続しています。そのうちの2校に関しては10年以上継続しています。
体育の授業や未来教育の枠を使って、長いところは週2回で2カ月のところもあるし、 週1で1カ月間ぐらいなどさまざまです。教える学年もそのときによって違いますが、だいたい低学年ですね。全学年に1日で教える時は疲れますが、逆に子供たちからパワーをもらっていますよ。
TDM:ストリートダンスの授業に対して、学校の反応や手応えはいかがですか?
HERO:授業は、運動会と、地域の方などをお招きしての年1回の発表会を行うのですが、そのどちらもすごく評判がよくて「こういう機会をもっと作って欲しい」という声がたくさんあがっています。校長先生によって方針も変わるので続かないこともありますが、1つの小学校では校長先生が変わってもこのダンスの授業を文化にしたいと言ってくださりこれを根付かせ、継続できる様に毎年引継ぎをしてくれています。
長期的な変化としては、学校の雰囲気や風紀がよくなっているのを感じます。あまり治安がよくない地域の小学校では体育の授業中に寝転がって話を聞いてる子がいるくらい荒れていたんですけど、どんどん変わっていきました。
TDM:そんな変化が!?どういったことが影響しているのでしょうか?
HERO:僕たちは必ず、授業の第1回目に、まず子供たちと2つの約束をするんです。1つ目は、「とにかく一生懸命やるということを覚えよう。ダンスを一生懸命できたら、将来、君が何かなりたいものが見つかったときに、一生懸命やることができるはず、それに絶対なれるよ。」
2つ目は、「協力することを覚えよう。先生が注意する時間が長ければ、踊る時間も短くなってしまう。何が今大事なのかを考えたら、踊ることだから、文句を言ったり心の声を外に出さないで、心で喋って、皆と協力してダンスを踊るということを覚えよう」と言っています。「この2つ約束でダンスなんてできなくていい。 楽しんでくれたらいいよ」と。
TDM:授業での子供たちへの接し方で気を付けていることはありますか?
HERO:時代と共に教育現場もすごく変わったし、親の考え方も変わってきてるので、子供たちや親との接し方や言葉遣いは常にアップデートするようにしています。良し悪しは別として、今は強い口調はよくない。あとはスキンシップは大事だと思っているけど、肩を軽く叩いただけでも「それが痛かった」とか言われたりすることもあるので、昔より軽くやっていますね。
今までの小学校にての授業の様子
ダンスの発表の運動会にて(2012年) 子供たちから貰ったたくさんの手紙(2012年)
■つっかかってきた奴が「皆やろうぜ!」とダンスの中心人物に変わっていった
TDM:継続することで他に得たことはありますか?
HERO:職業として得た財産は、子供たちの引き出し方や、子供たちとの接し方のスキルが身についたことです。支援学級の子たちにもダンスの授業をしているので、障害児への接し方も学びました。その子たちはより純粋で、音楽が鳴ったら自由に楽しんでしまうので、楽しみながらも気持ちをコントロールすることを先生と教えながら進めています。普通の授業は集中力が45分間続かない子たちもダンスの授業では続くんですよ。
本当に子供たちのためになるんだったら、僕たちはやりたいことをやらせてもらっているので、出来る範囲の中でやるという〝奉仕〟だと思っているところがあるので、正直報酬面は微々たるものです。長年続けているので、子供たちが大人になっても街で声をかけてくれるのが嬉しかったり、何よりも子供たちがすごく楽しんでくれる反応があるので、その子の中に少しでも印象が残っているんだなと思うとやり甲斐があります。
TDM:今までで一番印象に残っていることはありますか?
HERO:この活動を始めた頃に行った浅草中学校で有名な校長先生がいらして、その方の「本物を見なきゃ何もわからない。本物で学べ。」という考えの元、先生たちも情熱がある方ばかりだったんですけど、ドラマに出てくるようなスレてる子がいっぱいいたんですが「おい!こっちは本気でやってんだから、そういう態度は失礼だと思わないのか!?」みたいな本気のやり取りを続けているうちに、一番つっかかってきた奴が、最終的に「皆やろうぜ!」と中心人物になっていったのには感動しましたね。
TDM:ドラマの世界ですね!やりたくない人をやりたい気持ちにさせるのは難しくないですか?
HERO:難しいですけど、Yuseiにも小学校の活動を手伝ってもらっていて、俺の中ではそれをできるのがYuseiなんですよ。
Yusei:いやいや!俺もキッズからダンスをやってたので「今日やりたくねえな」と思う日もあるよな、とかキッズ側の気持ちが分かるんですよ(笑)。当時は俺も生意気な態度とっていたと思うんですが、そのときもHEROさんたちは「何でやんねぇんだよ」じゃなくて「え?これ楽しいよ?」「もっと自由でいいよ」「生意気でもいいから1回一生懸命やってみろよ」という引き出し方をしてくれていたのを覚えているんです。今は兄貴から受け継いだstudio S.W.A.Gで、キッズレッスンをメインに教えているんですが、教える側になって、もっと引き出してあげたいと思っています。今はすぐパワハラと言われてしまう中で、どう引き出してあげたらよいかと思ったときに、HEROさんのやり方を思い出して、「今やったら、かっこいい?かっこ悪い?」というのを聞いて、「やらなくてもいいけど、今やった方がかっこよくない?」と言ってみる。そうすると子供は単純だから「うん。確かに!」となるんですよ(笑)。
「ダメだよ」と言っちゃうと何がダメか分からないんですよね。俺はよかれと思って怒っても、子供によってはただの恐怖になっちゃって、「一生懸命やっていたのに怒られたからもうやりたくない」となっちゃので、「やりたくないなら遊んでても、帰ってもいいよ。でも、せっかく来ていてお金も払っているのに、やらないともったいなくない?」と、選択肢を用意して、考える猶予を与えることをすごく意識してます。
親御さんたちもそのやり取りを見て、信頼してくれたのか、ありがたいことにキッズの数が増えてきて、「ダンスが好きで、もっとダンスを頑張ってみたい」という熱い子たちがたくさんいてすごく嬉しいです。
小学校での授業のあと、講師を務めたダンサーたちと(2013年)
TDM:キッズの育成とご自身の活動とは、どうやってバランスを取っていますか?
Yusei:それはまだ試行錯誤中です。キッズたちの活躍の場を広げてあげたいと思いつつ、個人やチームの活動も忙しいとなかなかバランスが難しいです。親御さんからしたら「お金払ってるのにまたいないの?」と思うのも分かるので、なるべく代講は出さないようにしていますが、バランスが取れているかと言われるとまだまだですね。
「他の仕事あるので会社休みます」は普通の社会人ではありえないけど、ダンサーはそれを当たり前のようにやってしまう。以前は俺もレッスンの大切さを疎かにしちゃってましたが、コロナ禍も経てスタジオも受け継いだときに、自分だけよければいいというのは違うなと気付きました。でも、俺はダンサーの気持ちも分かるから、「どうしてもやってみたい仕事のときは、早めに代講のアナウンスを出そう。急に明日いませんとか、ただSNSに代講情報をアップしておけばいいわけじゃないよ」と言っています。
早めに伝えられれば、 親御さんも理解してくれて応援してくれるので、俺は代講を出すときは、「実はこういう仕事があって、この仕事にはこういう思いがあるので、今回はこの仕事を優先するんですけど、代講してくれる〇〇先生は、俺とは違う角度で丁寧に教えてくれると思うので、よかったら受けてみてください」みたいに、自分の口からちゃんと伝えることを意識しています。ちょっとしたことなんですけど、なるべく子供と親御さん1人1人に伝えるのが大事だし、普段からのコミュニケーションを大切にしています。
TDM:それは親御さんも安心しますよね。プレイヤーとして第一線で活躍されてる中で、なかなかその考え方はできないと思うので素晴らしい対応だと感じました。
Yusei:いや、今まで本当に調子に乗っちゃっていた時期もあったんです。小さい頃から恵まれた環境にいて社会経験が少なかったし、ずっとダンスの環境にいざるを得なかったから、それはそれでキツかったですけど(笑)、周りに迷惑かけていたので、本気で兄貴に怒られて「お前は一回ダンスから離れて、ちゃんと職に就いて社会を知った方がいい。誰も知らない地域で1から仕事を習って、社会の厳しさに揉まれてこい」と言われて、2019年頃の半年間は道路工事の舗装の仕事をしていたこともありました。
TDM:そんなことがあったんですね!離れてみてどんなことを感じましたか?
Yusei:マジできつかったですね。何も楽しくないし、音楽も聞くと皆の顔が浮かんできちゃうので聞きたくないし、どんどんマイナスの方向にいって精神崩壊しそうでした。その生活をサポートしてくれた恩人が「お前は絶対ダンスに戻れるから、頑張れ今は!」と言ってくれていて何とか過ごしている中で、仲間の大切さや、踊れることやお金貰えることは当たり前じゃないと気付きました。
また戻って1から頑張ろうと思った矢先にコロナ禍になってしまったけど、「この経験をちゃんとこれからに繋げたい」と思っていろいろ真剣に考え始めました。そのときが一番のターニングポイントですね。
■ダンスで経験してきた〝いいもの〟をたくさんの人たちに伝えたい
TDM:そんな修行期間も経て、現在Yuseiさんは、川崎市と連携して、ダンスコンテストを開催されていますが、その経緯も教えてください。
Yusei:はい。地元の川崎にLe FRONT(ルフロン)という施設があるんですが、約20年前にルフロン杯というコンテストをやっていて、小学生のときに、兄貴が出ていて観に行ったことがあるんです。兄貴が「ルフロン杯またやりたいね」と言っていて「やるとしたら俺だろうな」と思ってKATSU ONE(※5)さんに相談してみたら「できるよ!たぶん」と言っていただきました。行政の方との会議に呼ばれて、周囲に教えてもらいながら人生初めて企画書を作ってプレゼンをしました。「これぐらい下手な方が気持ち伝わるかもよ」と言われるくらいのものでしたが(笑)、とりあえずその企画書を持って熱く語ったら、「コロナも明けたし、復活したら面白いね」と言ってくださって、川崎市に助成していただいて開催することができたんです。今年も10月27日に3回目の開催が決まっています。
※4 KATSU ONE・・・2024年のパリ五輪に向け、公益社団法人日本ダンススポーツ連盟ブレイクダンス本部長/理事に就任。世界ダンススポーツ連盟ブレイキンアドバイザーにも就任し、世界規模で活動を行っている傍ら若手育成にも力を注ぐ、日本のレジェンドB-BOY。
TDM:行政でのプレゼンも、取り繕うことなくYuseiさんらしく挑んだということですよね。
Yusei:そうですね。KATSU ONEさんに「スーツ着た方がいいですか?」と聞いたら、「いや、逆に着ない方がいい」と言われました(笑)。めっちゃ緊張しましたけど、市長が音楽や芸術にすごく理解のある方だったので、気持ちのみでいけたのは運がよかったですね。
TDM:実際にルフロン杯を開催してみていかがでしたか?
Yusei:超大変でした(笑)。1回目だったのでジャッジのブッキングから、図面作りや発注など、何から何まで全部俺がやらなきゃいけなくて、1カ月ぐらいはパソコンの作業ばっかりでした。「スピーカーのサイズいくつですか?」とか、そんなことも聞かれるんだ!?と思いました。
初回のルフロン杯の様子
TDM:それがなぜもう1年やってみようと思えたんですか?
Yusei:1回目は「俺がやると言ったからにはやらなきゃ」という勝手な思い込みで背負い過ぎましたが、そのおかげでいろいろ把握もできたんです。それに、結構人が集まってくれたのも達成感に繋がりましたね。ルフロンの方も「次はもっと協力しますよ」と言ってくれたり、コンテストでは優勝して嬉し泣きしている子たちを見たり、子供たちに「ありがとうございました」と言われたりして、正直、売り上げはほとんど経費に消えましたが(笑)「俺が一番求めていたものはこれだ」と思いました。
2年目は、後輩やチームメイトにも頼ったり、HEROさんにもジャッジで入ってもらったり、予算の配分もいいバランスでできました。この3年目は、続けていくために、予算を市と交渉するなど、予算組みや企業協賛金の使い方も勉強していかなきゃいけないなと思っているところです。
TDM:お2人に共通するのは、行政との連携は、お金よりもモチベーションや、やりがいを求める部分が大きいんですね。
HERO:そこに尽きるかもしれないですね。自分たちがダンスという力を持っていて、ダンスを通して経験してきた〝いいもの〟を、どうたくさんの人たちに伝えて知ってもらうか、というところなんですよね。テレビやメディアの力を使って芸能活動でダンスのよさを広めるダンサーも素晴らしいけど、俺らはこのやり方で広めている。元々ダンスは豊かなもので、人のためになれる要素がいっぱいあるものだと思うので、お金とのバランスを取ってやっていくのが一番無理なく楽しくやれるんじゃないかなと思いますね。行政の場でやらせてもらえることは、ダンスの裾が広がるかもしれないと思えるので、僕にとっては嬉しいことですね。
Yusei:俺も、行政だからといって抵抗は全然ないし、逆にその力を貸していただけるというのはありがたいなと思っています。
TDM:ダンサーの中には、行政や学校ならではのルールに、少なからず抵抗を覚える人もいると思いますが何か苦労したことはありますか?
HERO:苦労という程ではありませんが、ある企画でフランスのダンサーLes Twinsを小学校に呼んだときに、彼らは日本の状況を知らないからいろいろ説明した上で、すごく大きいトゲトゲのアクセサリーをつけてたいので「これがもし子供たちに当たったら危ないしトラブルの原因になるから一応外してもらっても大丈夫かな?」とお願いしたら「これはファッションだから」と少し難色を示したんです。そのときは理解ある校長先生が「彼らは憧れられて成り立つ仕事の人だから、このままで大丈夫です」と言ってくれたので成り立ちましたけど、そういう調整はたくさんありますね(笑)。でも、今は、服装や外見に関しては行政や教育現場でもそこまで厳しくない風潮がありますね。子供たちも〝自分は表現者として活動している〟ということを学校側に伝えていれば、例えば髪を染めていても理解してくれる場合が多い。今はジェンダー問題もあるし、ランドセルも男の子がピンクでもいいよという時代なので、規律が少し緩くなってきている感覚はありますね。
Les Twinsを招いての授業(2013年)
TDM:これからは、地域や行政と関わっていくダンサーも増えてくると思うのですが、何かアドバスはありますか?
HERO:ダンサーは、身なりや口のきき方など絶対マイナスのイメージから始まるので、まずは自分がどういう人なのかというのを最初に知ってもらうことが大事だと思います。僕も最初はドレッドで、色黒くて、ピアスして、というスタイルだったから「なんでこの人が学校にいるの?」という目がありました。でも、どれだけ自分が情熱を持ってやっているかを伝えれば、壁が崩れて、そこからは受け入れてくれるようになるということは、僕の長年の経験で確信を持って言えるので、初めから何か大きなことをしようとするのではなく、まずは自分を知ってもらうことが大事だと思います。
■ダンスはもっと自由に楽しむためにあるもの
TDM:お2人は幅広く活動されてる中で、今のダンスシーンをどんな風に感じていますか?
Yusei:イベント自体が増えているのはすごくいいことだと思うんですが、ナンバーイベントに偏ってる感じがします。そのナンバーに出ている子たちは、ゲストショーやジャッジムーブは見ないんですよね。自分たちの出番が終わったらもう打ち上げに行こうみたいな感じの子が多くて、俺は世代的に、例えばハーレムやチッタで踊れることはまだ当たり前じゃなかったけど、今の子たちは参加費さえ払えば出れちゃうから、そういうステージでも「ステージせま!」「楽屋ねえよ」とか文句を言う若手たちがいて、すげえムカつきます(笑)。イベントはノルマ付けてるから人も入っていて盛り上がってるようには見えるけど、裏ではこういう時代なんだと残念になりますね。
いい作品もたくさんあるし、参加している子たちが悪いわけではないんですけど、どうやったら本当に盛り上がるんだろうと思ってしまいます。バトルイベントもたくさんあるけどお客さん全然いない。俺は、バトルの、出る人も応援する人もジャッジも皆が一体で盛り上がっている感じがすごい好きだったのに、今はジャッジの仕事で呼ばれても、いいホテルに泊まって、いいジャッジ陣がいて、いい環境でやっているイベントなのにお客さん全然いなくて静かということも多いんです。
TDM:自分が楽しむダンス、ということで完結してしまっているということですよね。
Yusei:いい意味でも悪い意味でもビジネスがそれで成立しちゃってるんでしょうね。
HERO:今の子の特徴は、自分のやることさえ終わればそれでいい。例えばアルバイトでも、どんなに周りが忙しくても時間が来たら上がっちゃう。「何が悪いんですか?」という考えだから、「なんでゲストショー見なきゃいけないんですか?」ということなんだろうね。裾野は広がっているけど、ダンスのリアルなものの価値というのは減っている気がします。
僕らは〝いいもの〟に対して「ウオー!」と盛り上がるけど、今の子は友達だから盛り上がる。それもアリだけど、知らない人は見ない、知ろうともしないでは、いいものが廃れてしまうし、本当のダンスの価値が理解できないままになってしまうと思います。有名になりたいとか、バトルで勝ちたいという気持ちもとても大事なことだけど、ダンスが技術の学び場だけになっちゃっていると感じます。ダンスは笑顔になれるもので、もっと自由に楽しむためにあるものだと思うんですよね。
TDM:裾野が広がった分、課題もありますね。そんな中で、今後お2人の目標というか、やりたいことはありますか?
Yusei:今は自分のスタジオをもうちょっと盛り上げたいですね。関わってくれている人をもっとバックアップしたいです。チームはリーダーを受け継いだんですけど、スタジオ運営とチーム活動は俺の中では繋がっているので、まずは拠点のスタジオを盛り上げて安定させることに今は集中しています。ダンサーとしての自分のことは、まずは拠点を固めて、余裕が出てきたら考えたいですね。
HERO:ダンスに関わらずですが、自分が付き合っている人たちに感謝と恩があるので、ダンスと音楽で何か恩を返したいと思っています。ダンスと音楽を通していろいろな人たちを繋げられたらいいなと思うし、継続的に子供たちのことや地域のことをよりサポートしていきたいです。あとは、俺もアラフィフですが、先輩たちも責めているし、Yusei含めて後輩たちもハイレベルで勢いある活動をしているので、それに遅れないように、自分のダンスも頑張って、僕もそこに身を置けたらいいなと思っています。
TDM:ありがとうございます!お2人それぞれの今後の活躍に期待しています!
interview & text by Yuri Aoyagi
interview & photo by AKIKO
’24/07/23 UPDATE
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