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MITTAN

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プレーヤーとしてだけでなくトップ振付師として時代を駆け抜けるMITTAN。2021年、中目黒にSTUDIO MAJORをオープンし、オーナー、講師として活動している。ダンスをこよなく愛し、その未来を考えながら、周りの大切な人たちを守っていく背中のかっこよさは、誰もが真似できる存在ではない。丁寧な指導が評判を呼び、ベスト・オブ・ティーチャーとしても呼び声が高いMITTANに、指導方法やこれからの展望などを聞くことができた。これからダンスを教えていきたい人、スタジオを経営したい人、ダンサーを職業にしたい人など、ダンスとの向き合い方を模索する全ての人たち必読です。

 


 

・MITTAN

 

 

MITTAN

【総合演出 監修 振付】倖田來未 / 西野カナ / AAA
【振付 出演】安室奈美恵 / サザンオールスターズ / 黒木メイサ / MAX / SHINee / 島谷ひとみ / SMAP / Zeebra / 少年隊 / 藤井隆 等他多数。
【経営】MAJOR DANCE STUDIO / grow Dance Studio / MJ creative / 焼肉うしゆき
【イベント運営】GOLD / MJ PARK / MJ CARNIVAL / PAY DAY
その他、avex artist academy アーティスト総合科 ダンス専科 ディレクターを務める。

 


 

ダンサーのプラットフォームを作りたかった

 

 

TDM:スタジオのオープンおめでとうございます!どんな思いでスタジオを設立されたのですか?

 

MITTAN:25歳くらいからレギュラーレッスンを持ち始めて運よく頑張ってこれましたが、ダンス業界の良い面も大変な面も見てきて、ダンサーの将来を一緒に考えてダンサーのプラットフォームになるような場所を作りたいです。ダンサーについての発信ができる環境を作って、ダンサーがより活躍できるような仕組みを作りたいと思いました。

 

ダンサーとしての観点と、経営者側としての観点と、シビアにならなきゃいけないことは多々ありますが、そういう部分を少しでも打破したいという気持ちがあり、まずは中目黒に1店舗オープンすることにしました。現在立ち上げて1年ではありますが、将来的にはあと2店舗出したいなと思っています。

 

店舗を増やすことは可能ですが、ダンサーが職業として食べていけるような環境を作りたいので、、自分の目が届く範囲でと思うと後2店舗が限界かなと思います。

うちのスタジオは10代半ばの子が多くて、その子たちが、例えば5年後の20歳になった時に、「私は趣味としてやっていきます」なのか、「ダンサーとして食べていきます」なのか、そういう分岐点が必ず出てくると思うので、その時に選択肢がいっぱいあるような環境が作りたかったのと、スタジオに通ってくれている子たちが育った時に何かしら残してあげたいという気持ちが本当に強いです。

 

TDM:あと2店舗ということですが、具体的な構想はあるのでしょうか?

 

MITTAN:自分はジャズ畑というのもあるので、活躍の幅が広がるようにジャズに特化したスタジオも作りたいですし、もう一つは、シニア向けのスタジオを作ってシニアだけの発表会も出来ればいいなとも思っています。それはチャレンジでもありますが、そういったコミュニティを作りたいなと。

 

イベント制作もその一環で、若い人たちと年配の人たちとの繋がりができるようなイベントも作りたいんです。今ここのスタッフや先生たちは20代の子が多いので、例えば年配の人たちの背中をみて、「かっこいいな」と思って、歳を取ることが楽しみになるように育ってくれれば一番いいのかなとも思っていて、だからこそ年配の人たちも常にアンテナを貼って、楽しいことをたくさんしていかないといけないし、その発信がSTUDIO MAJORであればいいなと思っています。

 

■どうしたらこの子たちが将来やっていけるのかな…と。

 

 

 

TDM:「MITTANさんはベストオブティーチャー!」という声をよく聞きます。

 

MITTAN: 話題に上げてくれるのは本当にありがたいことです。生徒たちとは、ただ単にレッスンを受けにきてくれている関係だけではなく『今後のダンス人生をどのように進んだらいいのか?』などの相談にものっていますし、ダンス以外の所でもコミュニケーションを取っているので昔の生徒が改めて10年後でも、「お世話になりました」と言ってフラッと受けにきてくれたりするんです。それは凄く嬉しいですね。

 

TDM: 昔から生徒さんにはきめ細かく接していたのですか?

 

MITTAN:自分は20代の頃は全然いい先生ではなかったです(笑)。自分が真ん中で踊ってばかりであまり生徒達をちゃんと見てあげれていなかったと思います。

30代前半は気持ちに少しずつ余裕が出てきて、30代なりの経験を踏まえて生徒ときちんと話せるようになってきて、いいのか悪いのかは分からないけれど、当時はクラブに行った後、うちに泊まってダンスの話をあーだこーだ朝まで語っていました。それは今のコンプライアンス的には許されないかもしれないけれど、当時はそんなことをやって生徒と交流していました。

30代後半になってからは、なんとなく「レッスンはこういうものなのかな?」と分かり始めてきていたとは思います。

 

TDM: それはレッスンというものをどんな風に理解し始めたということですか?

 

MITTAN:〝基本的にみんな卒業をしていくものだ〟と。初めの頃は、レッスンに2週間来なかっただけで「何が駄目だったのか?」と一喜一憂して、悲しい気持ちになって落ち込んでいました。当時はどのクラスにも50人程生徒がいて、満遍なく全員をちゃんと見るように心がけていたので、手厚くやっていけばいくほど、その子達が卒業した時に悲しい気持ちになっていました。

 

でも、そのうち「大体この年代でこの子たちはこういう事を考え始める」という傾向が見えてきて、それに対してのアドバイスがしてあげられるようになれればいいのかなと思い、必ず卒業はしていくけれども、その子たちの人生だから、たとえ「ダンスをやめて別の道に進もうと思います。」と言われても、その道を全力で応援してあげれるように考えが変わってきました。

 

 

そうすると、その生徒たちが時を経て、子供を連れてスタジオに通ってくれたりとか、そういう関係性ができてきて、サークルとして、人間として付き合っていけると感じた時、悲しい気持ちではなく、応援してあげられる気持ちに自然となってきたんです。

 

だから、自分の所に囲うのではなく、その子が「ダンサーとしてやっていきたいです!」となれば、逆に「僕のレッスンを受けるだけではなく、もっとヒールに特化した先生の所に行ってこい!」と言えたりします。もちろん自分のレッスンで、ヒップホップとジャズの両方を受けてくれるのは嬉しいのですが、自分のダンスは、どちらかというと身体能力というか、大きい振付をしっかり身体を鍛えて踊れるようになるスタイルだから、女性だったら指先の使い方など学ぶ時は「自分よりもこの先生を受けた方がいいから受けておいで!」とアドバイスしています。

 

ダンサーとしてオールラウンダーであることは活動の幅を広げられると信じているし、自分は色々なジャンルに挑戦したいと思っているので、それを生徒たちにも伝えています。

 

僕も若いうちはいろいろなものをやりたくて、ポップもやったし、ロックダンスは佐久間さんの所に習いに行ったりして、24時間中、バイトを朝から夕方までやって、時間は限られているけれど、人の3倍練習すれば「そのジャンルを極めている人たちと同じくらいになれるのではないか」と思ってやっていましたね。そうしてるうちに、ちょっとずつ狭まってきて、最終的にはヒップホップとファンクとジャズの3本という感じになりました。

 

 

TDM:レッスンのやり方は今も変わりませんか?

 

MITTAN:40代の今は、完全に観点が変わって、感覚的には『講師』というイメージが強いですね。これまではどちらかというと来た人達を楽しませる感覚でしたが、今はどうしたらこの子たちが将来やっていけるのかな・・ということを考えるようになりました。30代から考えてはいましたが、40代になってさらに深くマインドが変わりました。だから、生き残っていける人たちを作っていくと今は強く考えています。

 

TDM:生徒さんたちにはどうなって欲しいと思ってますか?

 

MITTAN:人それぞれダンスに対する考え方はありますが、自分はプロになる人たちを育てたいと思っています。

 

プロになるためには、例えばライブで25曲踊る時に、最初のセクションはヒップホップだけど、次はヒールを履いたファンクがメインとなった時に「ヒップホップはできるけど、ヒールは履けません。」では通用しません。僕がオーディションの審査側で人を雇う時は、同じレベルのヒップホップを踊れる子が2人いた場合、片方はヒールで踊れます、片方はヒールでは踊れませんとなれば、確実に前者を取りますからね。

 

中には、バラードの曲でジャズを踊ってほしいということもあるかもしれない。その時に、できるとできないではギャランティも違うし、値段も変わってくるかもしれない。であれば、若いうちにJAZZとヒール、ヒップホップは必ず必須だから受けなさいと生徒には言っています。

 

■裏方に徹しながらも、ひたすら走り続ける!

 

 

TDM:そもそもMITTANさんがダンスを始めたきっかけを教えてください!

 

MITTAN:本当にかっこ悪いんだけど、ただ単に女の子にモテたいだけでした(笑)。小学生の時にローラースケートを始めて、近所のローラースケート上が当時ディスコみたいになっていて、ローラースケートで走っている人達の真ん中で、ストリートパフォーマンスする人達もいて、その人達を見たことをきっかけに「自分もキャーキャー言われたい!」と思い、小学生ながらにラジカセを持ってローラスケート場で学んだものを心斎橋のど真ん中で見よう見まねにパフォーマンスをやっていました。缶を置いてお金を入れてもらうみたいな事をやってたり、いわゆる本当のストリートダンサーみたいなことをしていました。エネルギッシュでしたね。

 

中学生になっても当時不良と呼ばれる人間が、やっぱりモテたくて、その当時、先輩がストリートダンス界にいて、自分はローラースケートもやりながらストリートダンスもやっていました。

 

その頃「MITTANは手の動きがきれいじゃないよね。」と言われ、どうしたら直せるのかと思い、ジャズダンスというものを習うと手の動きがきれいになるらしいという話を聞いて、その時はパンチパーマの不良だったけど(笑)街中のジャズダンススタジオに覗きに言ったら、当時は映画の『フラッシュダンス』の世界だから、みんながピンクのレオタード履いて、お腹出して、色付きのバンダナ巻いていて「なんだこれはー!!?」となりました。

 

TDM:それがジャズダンスとの出会いだったんですね(笑)。

 

MITTAN:でも、背に腹は変えられないから、パンチパーマの少年がバンダナ巻いて見よう見まねで習い始めて、最初はすごい恥ずかしかったけど、これはちょっと奥深いかもなと思い始めて、ジャズを頑張り始めました。でもヒップホップが好きだからヒップホップも同時にやっていて、両方やり続けたいなとは思っていました。

 

ただ、ジャズをやっていることで、ミュージカルに出演したり、アメリカに留学したり、海外のミュージカルに出たりすることができました。オーディションを受けて、アンドルー・ロイド・ウェバー作曲の『スターライトエクスプレス』というローラースケートのミュージカルに長期で出たり、歌もやっていたから、吉本興業には15〜20歳までいて、NGKホールで365日ほぼ毎日出ていたし、タレント活動もやりながら、ちょっとアイドルみたいなこともやっていて、CDデビューもしました。だから、吉本に所属しながらオーディションを受けてミュージカルも出たり、20歳まではそんな活動をしていました。

 


ロンドンミュージカルスターライトエクスプレス出演

 

TDM:タレント活動を辞めてしまったのはなぜですか?

 

MITTAN:自分がやりたいことはこうじゃないと思っていました。音楽活動もやりたくて「東京でデビューしたい!」と思い、吉本興業を辞めて東京に出てきて、バックコーラスの仕事をやりながらダンスもやっていて、その繋がりで「MITTANコーラスの振付もできる?」という話をいただいて、そこから、わりと若いうちから振付の仕事をやるようになりました。やっていくうちに、メジャーシーンの人たちがブッラクミュージックの要素を取り入れてきていて、これはどの業界もメジャーシーンとアンダーグラウンドが掛け合わさる時代が来るな〜と思い始めて 、今後もアンダーグラウンドのクラブイベントなどにも出続けながら、メジャーシーンの仕事をやっていこうと20代前半の時に思っていました。

 

モナコ安室奈美恵ミュージックアワード出演

 

そのうち、「MITTANさんっていう人がアンダーグラウンドでこういうことをやってる」「発表会ではこういうナンバーを作っているらしいよ」と噂が広がり、そこから振付の仕事がきたりもしましたね。やっぱり両立することが大事なんだな〜と思うようになっていました。たまたま発表会のナンバーをアーティストが見にきていたり、avexのスタッフがいい人材を探しに発表会に来て、仕事に繋がったこともありましたね。一つ一つ真剣に向き合って全力を尽くしていれば、全部が繋がるんだなーと今でも思います。

 

西野カナ全国ツアー演出

 

TDM:最後にMITTANさんのこれからの展望を教えてください!

 

MITTAN:今までと変わらず、ひたすら走り続けようと思っています。ただ、完全に裏方に徹しようとも思っています。後々の人生を考えた時に、いつかはこの会社やスタジオも、自分の子供なのか、ついて来てくれたスタッフなのか、誰かに渡すことに絶対になってくると思います。

 

じゃあ、その日が来るまで15年くらいかかるとして、その15年で何ができるのかな?と考えて、最終的に誰かに渡すときに、よりよい環境で渡したいなと思っています。今の子供たちが大きくなった時に、お世話になったダンス界にベストな状態で存在できるようにしたいなとも思っています。だから、まずはスタジオを最初にお話していたダンサーのプラットフォームにするために、もちろん色々な人の力を借りないと、絶対無理だから、さまざまな人達の力を借りて、イベントも、映像も、ダンスを教えることも、全部のことに足を突っ込んで、全力で頑張っていきたいと思っています!

 

TDM: 本日はありがとうございました!益々のご発展を心より願っております!

 

photo by AKIKO

interview & edit by  Sayuri

’22/2/ 6UPDATE

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tokyodancemagazine

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