01.interview, People

La-son Suzuki

Off 18683

見た目はマレーシア人、しゃべると関西人、そんなおいしいギャップの持ち主La-son Suzuki。関西から上京してきて感じたオーバーグラウンドとアンダーグラウンド、それぞれの状態から自らが目指すダンサーとしてのスタンスが見えてきたと語ってくれた。裸一貫で勝負しているようなまっすぐなマインドと、苦しくてもユーモアを忘れない。冷静にシーンを見つめ、野心を持ちながら、自分の感性がどこまで通用するのかこれからも彼の挑戦は続く。

 


 

  • S__14090257La-son Suzuki
    13歳からダンスを始め、若くして関西のアンダーグラウンドを代表する数多くのチームとユニットを組み、ビッグイベントに多数出演。ソロパフォーマンスはR&Bの選曲をベースとしてPOP、ANIMATIONを取り入れたJAZZHIPHOPスタイル。プロダンサーとして数多くの振付やダンスコンテストの審査員も務める以外に、ファッションモデルとしても活動の幅を広げてきた。またフィットネス業界を軸に新たなエンタテインメントを展開するべく2015年7月に現・所属事務所エイベックス・マネジメントとアーティスト専属契約を締結し、『VO2MAX』として活動を開始。現在はソロパフォーマンスに力を入れながらも、ダンスクリエイターとして国内だけではなく海外でも精力的に活動を行っている。
    ■VO2MAX公式サイト
    http://www.a-vo2max.com/

 

 


 

 

ダンスに触れた中学~予備校時代。「ダンスでビッグになってやる!」

 

TDM ダンスを始めたきっかけは?

 

 

 

La-son
モテたかったからです(笑)。ただ、僕のモテるという基準はいろんな人からプロポーズを受けるくらいのレベルを想像していたので、そこまでにはならなかったですね(笑)。実際、モテたというよりは注目されたとは感じています。
あとは、中学生の時のミュージカルとの出会いですね。ゆとり教育の時代背景からなのか、選択授業に、ミュージカルがあり、それはオーディションに合格しないと受けられないものでした。それに受かり、その後にもいろんなオーディションを経て、2年間主役をやらせてもらいました。そこで、歌は他に上手い人がいたので自信はつきませんでしたが、ダンスの自信はつきましたね。

 

高校では、ダンス部を作りたすぎて、生徒の上に立てば作れるんじゃないかと、生徒会に入りました。生徒会長は大変そうなので、副会長を目指しましたが、選挙で負けて会計になりました(笑)。あとはバイトをして、バイクを買って、自由が利くようになったので、ストリートで練習しているダンス仲間が出来ました。学校もダンスも充実させようと必死でしたね。16歳で初めてダンスレッスンをさせてもらうようになり、その頃から、趣味もプライベートも一緒に頑張る生活になっていきました。

 

その後は、大学受験をし、予備校に行きました。その頃、最近サカナウマゴンとして活躍されている、GONさんのショーをクラブで初めて観て、衝撃を受けました。震えました。あの空間と人をダンスでROCKしている人たちを見て、あんな風になりたい、自分もクラブで踊りたいと思うようになりました。

 

それからしばらくして、ショーでお金をもらい始めたころ、「自分はダンスでどこまでいけるのだろう…」「ダンスで生計を立てていきたい」と決めて、予備校を辞めました。「俺の思うかっこいい人生にする!ダンスでビッグになってやる!」と意気込んだ18歳でした。

 

 

■上京への抵抗。「冒険しない奴には成長はない。」

 

La-son S__14090251関西で、ゲスト、バックダンサー、学校での指導など、プロとして描いていた目標がすべてこなせたと思いはじめました。同時に、業界の限界も見えましたし、ここで続けるには工夫が必要だし、その挑戦に価値があるのかを考えました。結果、「ここで自分は終わりたくない。」と、フランスに行くか、日本に残るか悩みました。

 

フランスが選択肢になったのは、Snuki(スヌーキー)というフランス人ダンサーと出会ったからです。仕事で知り合い、第一印象はお互い最悪でしたが(笑)。Snukiはオーバーグラウンドにステータスを感じていましたが、僕はアンダーグラウンドが大好き。当時は価値観が理解出来なかった事もありましたが、いつの間にか「この人は嘘がなくて面白いし信用出来る」と思うようになり、ものすごく仲良くなっていたんです。「こんな面白いやつがいる国なら勝負出来るかもしれない」と思い、フランスを視野に入れました。また、日本で稼働するにしろ、関西以外の世界も知らないといけないと思っていました。

 

結果、ものすごく悩んだ末に、東京に行く事を決めました。

 

 

 

TDM
東京に出てくる事に抵抗はなかったですか?

 

 

 

La-son
もちろんありましたよ。まず、周囲では「東京の真似をする関西人はダサいよね」という会話がよくありましたから。それは関東をライバル視してるから。関西はコンテストのシーンが盛り上がっているので、コンテストに勝つ事がステータス。大阪からゲストショーで東京に行くならいいけど、東京に移ってまでやるのは違う、というアンダーグラウンドでの感覚が自分にも当然ありました。 

ただ、東京にはSnukiもいるし、価値観を共有出来る知り合いが出来たので、その人たちに会いに行く、仕事ではなく遊びにいくという感覚で通っていました。すると、東京の人は東京の人で、関西と同じように悩んでるし、楽しんでるし、苦しんでる事が分かりました。それを自分が理解し、前向きな心を持って受け入れれば、東京の人ともうまくいくんじゃないか、壁を作るのではなく、バリアを張らずに接していければ、自分の色も消さずして交われるんじゃないかと思いました。東京に通う内に、だんだん東京での仕事も増えていったので、「ここで勝負していきたい」と思い始め、上京しました。

 

東京に行かない事をステータスに感じていたのは、おそらく東京に行かなくてもダンスで食べていけている自分にステータスを感じていたからだと思います。誰かの真似ではなく、関西で生計もたててるし、わざわざ東京に行く必要はないと思っていました。変な自信を持っていたんです。でも、だんだんそんな自分が寂しいなと思い始めました。冒険しない奴には成長はないと気づきました。それが23歳です。

 

 

■生み出す場所とそれを広げる場所、それをつなげるパイプになりたい。

 

 

La-son
S__14090253東京に出てからは、正直大変でした(苦笑)。16~18歳くらいのトゲトゲしさを、また復活させなくてはいけなかった。…いや、違う。余裕がなかったから自動的に復活したんです。結果、見た目は外国人ですが、「俺は関西から来たんやで!!」というテンションで、自分に合わないものはダメ!とバリアを張ってしまっていましたね。でも、今振り返ると、周りからは間違ってると思われたかもしれませんが、その時の自分に対しては正しかったと思います。それからだんだん、人と競って上がっていくのではなく、応援してくれる人を増やしながら上がっていきたいと考え、結果、オーバーグラウンドでの活動に移行していきました。クラブで踊るのも大切だし、好きだけど、オーバーでの仕事も増やして行きました。外国人派遣事務所などを回って、何件か仕事をしてみて、自分がオーバーグラウンドからどういう条件で必要とされるダンサーなのかをなんとなく味わい、アンダーとオーバーの違いがだんだん分かっていきました。

 

 

 

TDM
どんな違いでしたか?

 

 

La-son
違いはたくさんあります。どっちが良くて、どっちが悪いという事はありません。その比べ方は良くない。これは、東京で過ごし始めて、肌で感じた事ですが、アンダーグラウンドは何かを生み出す場所、オーバーグラウンドはそれを使って大多数の人に広めていく場所。アンダーもオーバーも役割分担がすごいんです。互いをディスれないし、互いに協力し合えるものだと僕は思っています。普段身を置いているのはどちらでもいいから、互いを否定し合うのは無くした方がいい。

 

個人の感覚としてどちらが好きかどうかはあるけれど、あくまで、これらは方法。互いを支えあって仕事を増やせるような環境が出来たらいいと思います。

 

アンダーグラウンドで、ある程度、突き抜けた人が持つ影響力と、オーバーグラウンドの方の影響力のパワーは互角だと思います。ただ、オーバーは広いけど浅い、アンダーは深いけど狭い、それだけ。

 

そして、最近はそれらを繋ぐ人が大事なんではないかと考えました。両方をつなぐパイプ役に自分がなってみたいと。やり方はたくさんあると思いますが、僕の場合は、まず何かで影響力のあるものを作る事。人気者にならなくてもいいから、影響力を持ちたい。その人の考え・思想にファンが付く状態。そして、その活動が何かに貢献出来ている状態。

 

ダンスの世界でやっていきたいから、自分の価値観を守ろうとする意識の先に、影響力を持ちたいという欲求があります。そして、何かにものすごく貢献出来ると影響力を持てるし、ビジネスとしても成り立つと分析しました。そこを目指す事で、自分のダンスの環境を守る事が出来る。

 

■先輩たちがくれたチャンスを自分たちが広めていかなくてはいけない。

 

La-son
S__14090254同時に、もっとダンサーがダンス1本で食べていける人を増やしたいです。ダンサーで生きていく事が夢ではなく目標として成り立つ為に、自分の世代がもっと活動を広げていかなくてはいけない。先輩たちがくれたチャンスを自分たちがしっかりとキャッチして広めていかなくてはいけない。今のところダンスだけで生活が成り立つ人の仕組みは、レッスンを増やすか、バックダンサーの大きな仕事をするか、振付や演出を続けるかくらいだと思います。ダンサーとして選択出来る仕事を増やさないといけないと感じます。

 

本当ならあと20年はプレーヤーとして踊れるかもしれないけど、それをやり終えてから初めて活動を広げる事を考えるのでは遅い。プレーヤーとしてやりつつも、少し先の事を考えながらいろいろ動いていかないと、広がらないと思います。だから、僕は、「アイツ、いろいろやってるな」と思われてていいんです。仲間は、ある程度の影響力のぶつかり合いの中で、互いの可能性を落としあえる関係。だからこそいつも一緒にいなくてもいいし、考えが違っててもいいと思います。

 

また、ダンスは盛り立て役ではなく、主役として一般に溶け込む方法をある程度マニュアル化すると浸透出来ると思います。例えば、振付には著作権がありませんが、誰かの楽曲を使って歌のレッスンをするように、誰かの振付作品を使ってダンスレッスンが成立するような領域になっていけば、振付作品への権利料が発生出来る。そういうレベルにそろそろなってもいいのかなと思います。オリジネーターは一時的なものではなく、その影響力がずっと残ります。だから、オリジネーターを目指したいです。

 

 

TDM
La-sonにとって、ダンスの魅力とは??

 

 

 

La-son
S__14090255ダンスの与える影響は体にいいし、心にもいい。ダンスにハマると本当に楽しいし、僕みたいに依存してしまう人も大勢いますよね。何らかのきっかけでプロになる人もいれば、ならない人もいる。その違いだけであって、みんなダンスの魅力に取りつかれている意味で同じです。これから、もっと広げていく為に挑戦していきたいです。

 

ダンスは僕にとって自分を知ってもらうツールでもあり、誰かと踊っている瞬間は様々な方とボーダレスになれる機会を与えてくれます。ダンスと出会ってからしばらく経って今ではそれを主軸にエンターテイメント全般で展開出来るたくさんの事に挑戦して行きたいと思っています。だからこそ違う世界にどんどん飛び込んでいって、クリエイトマインドをワイドにして行きたいです。

 

ダンスを仕事にしている方にもダンスを楽しみたい方にも形を変えて、いろんな方向からステキな空間を提供できるように頑張ります!

 

 

interview by AKIKO
’17/11/17 UPDATE

About the author / 

tokyodancemagazine

Related Posts


Post Tab

最新イベント