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KTR

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アーティストであり、クラブショーやバトル、国内外の舞台公演に参加するなど、活動の幅広さと、その中でも確立されている唯一無二のスタンスに魅力を感じる男。彼は、洗練された体から誰が見ても納得の、シンプルかつパンチあるシルエットや技で魅了してくる。まっすぐにKRUMPを愛し、その可能性を押し広げながら、芸能界とダンス界で自身の魅力を爆発させているKTRに迫る。

 

  • KTR
    日本 KRUMP 界を牽引する次世代の先駆者としてKRUMP界だけではなく多方面から支持を集める。細やかでクリアな動きとキレのあるスキルフルなパフォーマンスを武器に、様々なコンテストやBATTLEに出場しては好成績を残し、国内に留まらず海外からの評価も高い。日本最高峰のkrumpbattle kingofbuckでの優勝を筆頭に、2013年には日本最高峰のDANCE BATTLE EVENT「DANCE@LIVE JAPAN FINAL HIPHOP SIDE」にて準優勝、2014年にはドイツで行われたKRUMP世界大会「GERMANY 1 on 1 KRUMP BATTLE. CALL OF BATTLE」にて準優勝し、日本人として快挙となる成績を残す。さらに2015年にはパリで行われた「KRUMP BATTLE PARIS ILLEST」でベスト24 という成績を残すなど、世界レベルのパフォーマンスで若手No.1 KRUMPERとの呼び声も高い。その活動はダンスだけでは止まらず、2014年Coca Cola FIFA ワールドカップ公式飲料「POWERADE FUELX」のNEWデザインイメージモデルや、ヨウジヤマモトと写真家レスリー・キーによる新プロジェクト「Ground Y factory」のヴィジュアルモデルに抜擢されるなど、その体格とビジュアルを生かしモデルとしても活躍。また東方神起LIVE振付などアーティストの振付なども行い、幅広く活動している。

 

■地元スタジオでのKRUMPとの出会い、そして、三重へ就職。。

 

TDM ダンスを始めたきっかけは?

 

 

KTR 小学校から高校3年までずっと野球をやっていました。そのあと、友達の影響でキックボクシングかダンスの選択で迷ったんですが、文化祭で、「一緒にダンスやらない?」と友達に誘われて踊ったのがきっかけで、ダンスを選びました。

 

 

TDM 文化祭ではどんなダンスをしたんですか?

 

 

 

KTR p1020119R&Bです。かっこいいし、こりゃモテるね!と思いまして(笑)。それから友達と練習するうちにどんどんハマり、地元のダンススタジオに通い始めました。そこの講師のKato(ケイト)さんにKRUMP(クランプ)を習いました。KatoさんはそれまでHIP HOPをやっていた方なんですが、僕が通い始めた頃にクランプを愛媛でも広めて行こうとレッスンを始めていたタイミングだったので運命的な出会いでしたね。今思うと地元で唯一のスタジオで、当時まだまだ定着していなかったKRUMPを習えるなんて、すごいですよね(笑)。

 

 

TDM 初めてKRUMPを見たとき、どう感じましたか?

 

 

 

KTR
他のダンスをたくさん知ってるわけではなかったので、大きな衝撃はもちろんあったのですが、ただ、「かっこいいダンスだな。よし、これで上手くなろう!」と素直に受け入れた感じでした。Katoさんは、「東京にJUNさん(現Twiggz)っていうヤバいクランパーがいるんだよ。いつかセッションしたいねー!」と一緒にビデオを見ては、動きをマネしていました。高校最後の半年くらいをそのスタジオで過ごして、卒業後、就職して愛媛から三重に行きました。

 

 

 

TDM 三重を選んだことに理由があったんですか?

 

 

KTR とにかく県外に行きたくて、先生におすすめされたところを、素直に受け入れた感じです。三重の工場で車の部品を作る仕事に就きました。社員寮に入り、近くにダンススタジオを見つけて、休みはスタジオをレンタルしたりして1人で黙々と練習してました。案の定、そこにKRUMPのクラスはなかったので、ヒップポップなどを勉強してました。でも、それだけだとダメだと思い、いつしか毎週末は大阪に行くようになりました。

■師匠SHIGEとの出会い。「あの人に負けたくない…いつか負かしてやる!」

 

KTR
p1020181就職して半年経った頃、毎日工場でネジをひたすら締める仕事だったのですが、自分の人生に疑問を持つようになってきました、自分は本当に何がしたいんだろうと考えるようになりその結果、「…よし、辞めよう!ダンスしたい!」と決めました。一度決めると、すぐ行動に移すタイプなので、まず親に連絡して、それから工場の部長さんに「ダンスしたいんで辞めます!」と伝えました。その時、嬉しかったことがあって、部長がお別れ会を開いてくれたんです。中には「がんばれよ」って時計まで頂きました。半年で辞める新人のために送別会を開いてくれるなんて、感激しました。今でも部長や社員さんの名前も覚えてます。「この人たちのためにも頑張るぞ!」と気合を入れて、大阪に引っ越しました。 

大阪では、三重から通ってた時に出会ったSHIGEさん(B.C.F)のレッスンに通ったり、セッションをする日々でした。バイトしながら京セラドームで練習してましたよ。やはり大阪は周りの人たちのレベルも高かったので「絶対上手くなってやる。負けたくない。」って気持ちでしたね。

 

ある時期に、僕がSHIGEさんのレッスンに行けないことが続いた時があって、それを含め怠けていた自分をめちゃくちゃ怒ってくれたことがあるんです。それに刺激を受けた僕はいつも以上に練習をし始めました。何ヶ月間も朝まで、「あの人に負けたくない…いつか負かしてやる!」と思いながら。

 

大阪にいる間にも、何度か東京に行って、JUNさんにも習いました。ある時、JUNさんから「東京に来れば?」と言ってもらったんです。軽い気持ちだったかもしれないですけど、僕にとっては「あ、そういう道もあるのか!」と、とても響きました。SHIGEさんから受けた悔しさもあり、絶対うまくなってやると意気込み「よし、東京に行こう!」と決めたのが20歳。大阪には1年住みました。

 

 

 

TDM 大阪はどんな街でしたか?
 

 

KTR
正直、今でも住みやすいのは大阪ですね。雰囲気も好きですし。ただ、自分のその時の感情としてはKRUMPのマーケティングが東京の方が大きかったし、新しいスタイルがあるかなと思ったので東京に行きました。

 

 

■Twin Twiggzの誕生。そして、卒業。

 

KTR 上京して1年くらい経った頃に、JUNさんやFamの何人かとバトルをすることになりました。それが「ようこそTwiggz Famへ」という意味のものでした。KRUMPでは共に活動する仲間たちのことをFamと呼び、家族同然の深い絆を結び、ダンサーネームを一部分けたりします。その時もJUNさんが、「今まで誰にもあげなかった俺の右腕に当たるTwin Twiggzの名前をあげたい奴がいる」と言って、僕を指名してくれたんです。「あ、僕Famの一員になれたんだ!」と思ったあの日から約5年間、Twiggz Famでの活動が始まりました。

 

 

TDM どんな5年間でしたか?

 

 

 

KTR
たくさんありすぎて何から話していいのかわかりません。本当に濃い貴重な経験をさせてもらいました。仲間や絆を学びました。とても自分のプラスになっています。JUNさんがいたからこそ日本でKRUMPが広まったし、その活動をさせてもらえたことにやりがいを感じました。何よりJUNさんは人を大切にしていて、その姿を近くで見ながら、人としてもたくさん得るものがありました。言葉にしてしまうと簡単ですが、Twiggz Famでは他のクルーとは違う、家族愛に近い絆を感じました。反対に本当の家族の重みを改めて感じました。簡単に使える言葉ではないんだと。

 

 

 

TDM その5年を経て、Famから離れたわけですが、そのきっかけを聞いても差し支えはないですか?

 

 

 

KTR はい、ある日、Famの皆で、色々と突き詰めていった結果、本当に個人個人がやりたいことは何か、これから本当に自分が何をやりたいのかをみんなで考える機会があったことがきっかけです。とことん突き詰めた結果、自分の本当にやりたいことは芸能界にあるという結果に行き着いたんです。KRUMPを広めたいのはもちろん、今までFamで積み重ねてきたものもありましたが、もっと幅広くやりたい。その時、自分の中で気持ちが変わってしまいました 

よく「それはTwiggz Famにいた時にはできなかったの?」と周りから言われるんですが、その時の僕の中ではどっちかしかなかった。Twiggz Famの中での自分への責任を感じていたので他のことをやることは中途半端になるので、区切りをつけなくてはいけないと思っていました。

 

正直、自分の中で辞め方に問題があったと反省しています。JUNさんには意思の決定をそのまま伝えてしまったのですが、もっと相談の仕方がありました。でも、一度決めたらやらないと気が済まないタイプで、その時の自分は自分が曲がりませんでした。こうと決めたらこう!という若気の至りといいますか、その時の出来事で学ぶことがたくさんありました。そして今後の人生をかけて恩返ししないとと、心に刻んでいます。

 

TDM その時、すでに芸能界へのツテがあったんですか?

 

 

 

KTR
いえ。その数年前に芸能事務所から声をかけてもらったことはあったんですが、そのときは、KRUMPが上手くなりたい一心でしたし、芸能界にはまったく興味がありませんでした。その数年後に、芸能の道を選んだのは、いろいろな経験をTwiggz Famでさせてもらって、本当に自分のやりたいことを見つめられた結果だと思ってます。

 

 

 

■KTRとしての活動と芸能界デビュー。

 

KTR その後は、The90sJPNとして舞台公演をしたり、2015年3月にDANCE DANCE ASIAタイ公演、その年の夏にはRECKLESSとしてジャカルタ公演にも出ました。The90sJPNは同世代の世界チャンピオンとか、本当にすごいメンバーの集まりです。僕が、上京する前から昔からテレビやインターネットで見てヤバいと思っていた顔ぶればかりなので、メンバーに誘われた時はとても嬉しかったです。こんなKRUMPしかできない僕を誘ってくれてありがたいです。その頃から、KTRとしてソロ活動に力を入れ始め、その年以内に、絶対に芸能界へ足を踏み入れようと決めていました。やっぱり一度決めたらすぐに行動したい性分なんですよ。それから、まもなくして今の事務所に入ることが決まりました。
 

 

 

 

TDM
どうやって決まったんですか?

 

 

 

KTR 業界に自分を売るには、たくさん現場に顔を出して覚えてもらうのがいいと思っていたので、常にオーディション情報をチェックしながら、いろんなオーディションを受けているうちに、最終審査までは行かなくても、スタッフの方に声をかけてもらえるようになりました。そしてだんぜんオーディションというオーディションを受け合格して、龍雅でのデビューが決まりました。現在は芸能活動をしながら、BlackIIImurai(ブラックサムライ)というチームでクラブ活動もしつつ、The90sJPNやRECKLESSとしても海外公演をしている、という感じです。

 

 

■次なる目標、世界大会優勝。

 

TDM DANCE DANCE ASIAの話がありましたが、The90sJPN、RECKLESSとして海外での舞台公演をやってみてどうでしたか?

 

 

KTR
p1020135めちゃくちゃ好きでしたよ。これからも舞台や演じることはもっとやりたいですね。新しいKRUMPができるから面白いし楽しいと思っています。The90sJPNもRECKLESSも、みんなすごい個性の集まりなんで、本番の爆発力がヤバイんです。「自分はこんなメンバーと同じチームなのか!」って何度も思ってます(笑)。

 

 

 

TDM クランパーでここまで幅広く活動してるのは他にいないでしょうね。龍雅はどんなコンセプトでやっているんですか?

 

 

 

KTR コンセプトはまだ今年4月にデビューしたばかりなので、これから定まっていくと思います。

 

 

 

TDM
これから龍雅としてはどんな展望がありますか?

 

 

 

KTR
メンバー各々のレベルアップはもちろん、「龍雅といえばコレ!」と言われるようなオリジナルなものを確立させたいです。いつかはドームやアリーナツアーも視野に入れつつ、今は自分たちの土台とブランドを持つのが第一ですね。結果は後から付いてくると思うので。あとは、僕が龍雅のメンバーで在る意味を追求していきたいです。パフォーマーとして本物を見せていきたいし、歌もやってみたいですし、やりたいことがめちゃくちゃあるんです。今はラップを練習したりしてます。でも、それでKRUMPが疎かにならないように、練習時間は確保してます。

 

 

 

TDM
どんな練習をしてますか?

 

 

 

KTR 暇さえあればとにかく練習してます。やらないと体が気持ち悪いんです。音を聞いてただ動いたり、ムーブを考えたりして、自分を追い込んでます。何日かやらないだけで、技が決まらないとか、なんか違うって思うので、レベルをキープしながら上げていきたいですね。目の前の目標としては、世界大会で優勝することです。
 

 

■相手の意見は自分にはないもの。いいところは吸収しよう。

 

TDM
近い目標、遠い目標はありますか?

 

 

 

KTR 近い目標は世界大会での優勝、あと、KRUMPでショーケースの世界大会で優勝するとか、今までKRUMPで、今まで誰もやってないことをやってみたいです。遠い目標は…その時に思ったことで行動をしてしまうので、プランとして細かくは決めてないですね(笑)。ひとつ言えるとしたら、器が大きく余裕のある人間になりたいですね。心も金銭面も男として余裕を持ちたいなと。そう思わせてくれる周りのスタッフの方が多いので、最近よく感じます。あと、大きなことを言えば、今まで誰も見たことのないアーティストになりたいです(笑)。そのためにも、今の龍雅もBlacklllmuraiも舞台活動も、全部クリエイティブにやっていきたいですね。

 

 

TDM お話を聞いていると、常に周囲や自分を客観視されてますよね。

 

 

KTR
p%ef%bc%90%ef%bc%91いや、昔はできませんでしたよ。一匹狼で自分の意見だけを押し通していました。いろんな活動をやらせてもらう中で、自分の意見を言いながらも、相手の意見も自分にはないものなので学びつつ、いいところは吸収しようという考えになってきました。今はいろんなものを繋げていく期間なのかなと思って、なんでもやりたいですね。あ、ちなみに、上京した後に出たDANCE@LIVEのヒップホップ予選でSHIGEさんと一緒になったんです。結果、その時たまたま僕は上がったんですが、SHIGEさんは敗退。その時の僕を見て「ごっちゃん、かっけーな!」って言ってくれたんです。なかなか褒めない方だし、僕に悔しさを与えてくれた師匠からの言葉だったので、めちゃくちゃ染みましたね。僕はSHIGEさんが悔しさを与えてくれたからここまで頑張ってこれました。悔しさを与えてくれる人は本当に感謝だと思います。そういう人ってなかなかいなかったなと、精神的にも成長させてもらえましたね。

 

 

 

TDM そのまっすぐな人間性がKTRさんの未来を明るくしていくと思います!

 

 

 

KTR 明るくします!

 

 

 

TDM
ありがとうございました!!

 

 

 interview and photo by AKIKO &  imu

’16/11/27 UPDATE

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tokyodancemagazine

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