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UNO

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ストリートダンサーはお洒落な生き物だと思う。踊り、ファッション、趣味、生き方etc…一貫してブランディングしていくセンスが心地よく、気持ち良い。中でも、UNOは若いころから踊りと普段から身につけるものに対してのこだわりとセルフプロデュース力が高く、唯一無二の存在だ。最近はダンスシーンに限らずファッション界とも繋がり始めている彼女の“開拓者(研修中)”な生き方にクローズアップ。彼女が創りだす新たなトンネルによって、ワクワクできる未来が楽しみだ。

 

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    高いダンススキルと独自の粋なセンスを持ち合わせる唯一無二の女性ダンサー。安室奈美恵、SPEED、三浦大知などメジャーアーティストのサポートだけでなく、クラブショーや、ペイント、ファッションショーの演出など、様々なシーンにおいて自身のセンスを活かしたパフォーマンスを展開する良質なクリエイター。

 

 

 

 

 

 

 

どっちつかずの自分に自信と愛を持てるようになりました。

 

 

UNO p02今年、27歳になりますが、この3~4年は本当にいろんなことがありました。自分のベースにあるクラブシーンを少し離れて、あえてメジャーな場所に行こうと決めて飛び込んでみました。渋谷、原宿、西麻布、六本木などの中心で行われるパーティーに参加して、名刺をいただいては、次のパーティーのインビテーションをもらって、また名刺をもらう、その繰り返し。行った先で何が起きるかはわからないまま、とにかく、その立ち位置になることによって、きっと何かを得られると感じたんです。だから、もっと自分をブランディングしていこう、自分の名刺を強く見せたいと思ったし、どんどん個性的になっていく自分に惹かれていく自分がいました。パーティーに呼ばれて、シャンパン飲んで、いつも会う顔ぶれも 分かってるきたりして、「こんなにキラキラした地上60階の世界もあるんだ」と知ったのと同時に、地下の世界も知っている私は、「じゃ、私は何階が好きなんだろう?」と考えはじめました。そして、出た結論は、私が好きなのは地下2階だなと。私は、実はディープではなく、背伸びすれば地上が見えるくらいの場所が好きでした。地下深くいる人たちも好きだけど、地上60階の人に呼ばれたらパッと行ける人間でもありたいから、地下2階が私のベースだと気付きました。 

その結果、丸裸にされるのが嫌じゃなくなり、「地下の人たちもかっこいいし、地上の人もかっこいい。でも、私はここにいます!」と胸を張って言えるようになりました。どっちつかずの地下2階の自分に自信と愛を持てるようになりました。だから、今の自分は好きですね。

 

TAISUKE、こはる(菅原小春)、りえちゃん(RIE HATA)など、同世代のダンサーたちが、最初に誰が一番先に花が咲くのかが気になっていましたし、みんなが花を咲かせる瞬間を見てきました。その花は、豪華なバラじゃなくて、スズラン、ヒマワリ、竹かもしれないし、それぞれの良さがある中で、咲いてしまえば、結局違う花だし、いい意味で住み分けられていくと思いました。

 

同世代のみんなにも憧れ続けてきたので、「いつの間にそんな花を咲かせたの?」と後から気づくより、花を咲かせる瞬間をリアルタイムに見れてよかったと思います。これから10年後のみんなのことも楽しみですね。

 

 

■未来の自分を愛しながら、ダンサーとしての旬を終える覚悟。

 

 

UNO

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[fashion_art] UNO

ファッションショーのプロデュースとして携わらせてもらうことになりました。今までは華やかな表方を好きでやってきましたが、今はコツコツやってる裏方さんの方がかっこいいと思ってきて、そっちに進み始めました。今まで見てきたものや経験を活用しながら、表にも裏にも寄り添える裏方になりたいですね。シャカリキに踊ってる自分が、もっと違うことに情熱を傾けたいと思うようになり、踊りを外から見始めたこの期間を、目をつぶって進むのではなく、「今いる場所もいいけど、もっと面白そうなことがあっちにあるんでちょっと行ってきますね!」と行く準備が整ってきました。それは嬉しいし、周りの人に感謝ですね。外側の世界に素敵な人たちはいて、ダンサーもダンサー以外の先輩もたくさんいます。今は外の世界に片足突っ込んでて、そこではまた一年生からのスタート。今日もファッションショーの会議だったんですけど、業界用語がわからなさすぎてちんぷんかんぷんでした(笑)。でも、それがわからなかったことがわかっていけるのが楽しいですね。 

すぐではないけど、今の自分が未来の自分を愛しながら、ダンサーとしての旬を終える覚悟が出来てきました。

 

私はトンネル開拓者(研修中)。

 

UNO p01私はダンスで何を表現するか。それは、裏に回って、ダンスシーンの交通整理や、たくさんの人が外の世界へ繋がるトンネルを新たに開拓することかなと思っています。ダンスという村に対して歩み寄る人口を増やすことが、私がダンスの中心に居たからこそやれることだし、私がダンスに出会ったことへの恩返しです。私はまだ開拓者の研修生ですが、ワクワクします。なぜかというと、自分が開拓した土地の30年後が楽しみなんですよね。最初は10人しか通れないトンネルだったのに、どんどん20人、100人、1000人、1万人が通れるようになっていくでしょうし、一方通行ではなく、相互の行き来も生まれます。最近は、最初の10人をトンネルの先に連れて行ける権利がたまたま私に巡ってきていて、他の人では開拓できない、私にしかできないことだと感じるし、この10人のために絶対に開拓しようと思えるし、30年後の1万人になれるはずと思うと頑張れる。もう、ワクワクしかないですね(笑)。音楽で言うと、キャッチーな音楽もずっと聞いていたし踊ってましたが、本当は何度もリピートしたくなって、気付けば眠っちゃうような味わい深い音楽が好きなんです。舞台公演も、クライマックスの山場が大きく、息が止まって、涙が出るほど心が震える公演もいいけれど、山場はなだらかで、よそ見していても心地が良いくらいの公演の方に惹かれちゃうんです。 

25歳の頃の私は、「あれ?素敵ぶってたけど、私はこんなもんなのか?」と欠けてることを不安に思ってましたけど、今は「うん!私はこんなもんだ!」と言えるようになったんですよね。

 

TDM ファッションの影響を受けたダンサーはいますか?
 
 

 

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たくさんいますが、そのうちのお1人はKETZさんですね。ショーはすべて覚えてます。特に衣装も含めた印象が強くて、本当に影響を受けました。

 

 

■ストリートダンスとの出会い。

 

 

TDM ダンスを始めたきっかけは?

 

 

UNO 保育園でしたがはっきり覚えてます!江東区大島6丁目団地の集会所のモダンバレエの先生に憧れまして、毎週火曜日、保育園の帰りに遠回りをして集会所に寄って、ガラスに向かって踊ってる人たちを見ていました。犬が散歩中に止まるように、私もそこに止まってじっと動こうとしないので、母親も1時間くらい付き合ってくれましたね。「スタジオに入ってみる?」「ううん、いい」を繰り返していましたが、ある日、「うん!」と入ってみたのが最初のダンスでした。小学3年生のとき、亀戸のサンストリートにパニクルーが毎週ストリートパフォーマンスをしに来たんです。雨の日も風の日も、お客さんが5人だろうが、ずっと見に行きました。メンバーさんとも話せるようになり、パニクルーさんが出てる深夜番組を録画するようになって、ストリートダンスにハマっていきました。その時期に、親が離婚し、母親側に引き取られました。ダンスを続けるためのお金はないし、どうしようと思っていたとき、時代は安室奈美恵さんやSPEEDの全盛期で、アクターズスクール東京校の存在を知りました。そこに学費が免除になる枠が2席あったんです。 

一度体験レッスンを受けに行ったらKIEさんやKAICHOUさんが花形スターとして踊っていて、ゲストで山田優さんが出るようなとこで、「これは無理だろうな!」と思いながらも、試しに応募してみたんです。

 

書類で受かって、実技審査になったとき、審査員にはJUNさんがいたり、カメラマンや父兄の方や、アクターズ予備軍を見たいファンの方など、たくさんの人がいました。めちゃくちゃ練習して行ったんですが、いざ自分の番になったら緊張しちゃって、全然踊れませんでした。

 

一人一人自己PRタイムがありましたが、踊れなかったから話すことないし、自信もなくなっていて、「さっきは緊張して頭真っ白でした。今日はうまくいかなかったんですけど、練習ではすごくよくできてました。だから、それをもう一回誰かに見せる機会があったらいいと今思います。」みたいなことを言いました(笑)。

 

結果発表になり、スタイルのいい子たちが特別賞で名前が呼ばれていく中、なんと、学費免除の枠で私の名前が呼ばれたんです。めちゃくちゃ驚きました!それからすべが始まりました。それが小6の時です。

 

元気な姿が伝わることが恩返し。

 

 

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[fashion_art] UNO

その後、14歳からはLDHに通い始めました。最初は、新宿村スタジオでレッスンをしていて、知り合いに連れられて受けに行きました。帰りにスタッフの人から「明日からおいでよ!」と言われて通うようになり、クラスアップなどを経てどんどんスパルタレッスンになっていきました。最初の3年間は本当にたくさん泣かされたし、悔しい思いもたくさんしたんですが、育ててもらえて本当に幸せでした。その後、いろんな現場を見た結果、19歳の時にEXPGという船から降りたほうがいいかもしれないと感じました。いろんな人に相談して、背中を押してくれる人もいれば、私を怒る人、嫌う人もいました。でも、「船を降りても私はこうして元気だよ!あの日々をありがとう!」と胸を張って言える環境を自分で作らなくちゃいけないと思っています。そして、私から伝えなくても、私の元気な姿が勝手に目に入るくらいの活動を自分がしていくことが恩返しだなと思っています。その気持ちが原動力になって、自分の柄ではないかもしれないけれど、メジャーな世界でも挑戦できていました。

 

 

ガンガンよそ見をしよう!

 

TDM 今の若い子たちに何を伝えたいですか?

 

 

 

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[fashion_art] UNO

よそ見をすることを大事にして欲しいです。今、音楽、ファッション、カルチャーなど、いろんなシーンが、ひと昔前と同じように再びコネクトし始めています。昼間は別々で活動していますが、夜はみんなで同じ遊び場を共有しようとしてる傾向が生まれているんです。そして、いろんなシーンで若い才能がたくさん新しく生まれています。この前買ったミックステープも二十歳の子が作ったと知って驚きましたが、カメラマンもデザイナーもダンサーも、今のハタチ前後はイケてる子が多いと思います。ただ、やっぱり彼らをさらに外の世界に繋げるトンネルが見つけられていません。今は、スタジオだけ、バトルイベントだけ、DJイベントだけ通って帰るだけで、同じ渋谷にいるのに顔を合わせられていない。それはもったいないですね。 

だからこそ、よそ見をガンガンして、今のうちに外の世界と手をつないで、一緒に階段を登っていければ、高くなればなるほど見える景色にワクワクするはずです。一緒にワクワクしていきましょう!

 

TDM
仲間意識を持って繋がっていけるといいですね!素敵なインタビューをありがとうございました。

 

 

 interview and photo by AKIKO

’17/04/25 UPDATE

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tokyodancemagazine

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