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結成20周年記念インタビュー GLASS HOPPER

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20周年を迎えるチームやイベントが増えている。ストリートダンスシーンがアンダーグラウンドに浸透してから、誰かの努力や情熱の上でそれほどの時間をかけて素晴らしい才能が輩出し続けている結果だろう。GLASS HOPPERの2人がこれまで見せてくれたかっこいい景色にも感謝せずにはいられない。先日のJAPAN DANCE DELIGHTでの優勝も経て、ますます跳びはね続けるであろう2人への期待と祝福を込めた20周年記念インタビュー。

 

  • TATSUO(GLASS HOPPER, BLUE PRINT)
    自由な発想力と身体能力を生かしアクロバティックな動きから、ハイスキルなステップを自在に操るハウススタイル、ストリートダンサー。斬新なアイデアで常に開発、開拓を繰り返し成長し続けるスタイルは、ハウスシーンだけでなく、ダンスシーン全体に大きく影響し、国内外を問わず刺激を受けたダンサーは数知れない。コンセプトに寄った作品創りを得意としながらも、世界大会にて多数の優勝を経験する異端児である。Funkin Stylez(ドイツ)、STREET DANCE KEMP EUROPE(チェコ)、THE WEEK(イタリア)、CERCLE UNDERGROUND(フランス)ではアジア人初の優勝。その他コンテスト、バトル、舞台と幅広い分野でも素晴らしい結果を残し、現在はBLUE PRINTにも所属し芝居や舞台などに積極的に参加。また指導する立場としても、海外20ヶ国以上の国で、約150回以上のワークショップを行うなど、幅広く活動中 。
  • ITSUJI(GLASS HOPPER)
    19才からダンスを始め持前の身体能力を生かし数々のムーブを生み出す。1995年にGLASS HOPPERに加わり全国各地に活躍する。今や日本を代表するハウスチーム。早い段階から独自の世界観をもち数々のダンスコンテストで優勝。1997年から東京に拠点を置き精力的に活動の場を広げる。1999年から徳島に拠点を戻し現在にいたる。2007年にはフランスで開催された。JUSTE DEBOUT JAPAN2007 2×2にて日本予選を勝ち抜きフランス本選でもベスト4に輝く。人気ダンステレビ番組『スーパーチャンプル』にも出演し、国内外でのレッスン、ショウケース 、数々のイベントなどに参加し活躍している。又、2007年6月に徳島県にてダンススタジオBOUND BOXをオープンさせ若手ダンサー育成、イベントオーガナイズ等に力を入れている。

 

 

■自由奔放だった20代を経て30代から選んだそれぞれの道。

 

TDM GLASS HOPPER20周年おめでとうございます。

 

 

ITSUJI ありがとうございます。いや~こんなに長いこと続けると思わなかった(笑)。

 

 

 

TATSUO もちろん最初から20年やろうなんて計画はなかった。その場その場でいろいろ変わるし、目標はあるけど身近なものを掲げてやってきたね。

 

 

ITSUJI でも、単純に、とりあえずうまくなりたいというのが一番強かったね。

 

 

TATSUO うん、その精神が無くなったらやめてるね。

 

 

 

TDM
20年を経た今は、自分のスタンスやチームとして、どういう風に感じていますか?

 

 

 

TATSUO 何にも変わってないかな。ちょっと先の目標に向かって精一杯やっている。だからフレッシュでいられる。目標が一個だと自分が持たないし、変わった方が面白いと思うし、それを探すのが楽しい。それを経て、2人でショーを作るときに、互いに得てきたものを持ち寄ってどうするか。するとまた変わるんだよね。その繰り返しでいいと思ってます。

 

TDM そもそも、2人で始めたきっかけは?

 

 

 

TATSUO
p1000574僕は昔、名古屋で”P.D. UNITS”というニューヨーク在住経験のある大御所の人達のショーを見て「このオシャレな踊りは何だ!」と、そこで初めてハウスダンスを知りました。それから、いろんなビデオや情報を集め、岡山の子たちがハウスをやってると聞き、ショーを見に行くと、やはりかっこ良かった。岡山や広島でKOJIさんのワークショップがあると聞き、逃さず行きました。その辺りからだんだん岡山や広島の子たちと仲良くなって、原付でフェリーに乗って岡山へ行って、何週間か家に泊まらせてもらって一緒に練習したりしてました。その時に一度岡山でチームを作り、SHELTERというチームでJAPAN DANCE DELIGHT Vol.2に出たことがあります。

 

ITSUJIとやり始めたのはそのあたりで、もともとITSUJIの兄貴と僕はチームを組んでいたので、練習場に来るようになって、黙々と一人で練習してる彼を見て「一緒にやらない?」と誘いました。その後、DJ BARを経営することになり、週末は店でショーを行なっていました。その店の名前がGLASS HOPPERだったのでそのままチーム名となりました。それが22歳の時。

 

 

 

ITSUJI
ダンスを始めた当初は、友達がほしいと思わなかったし、1人が気にならなかったですね。大人になってから、人ともつき合っていかんとこの世界は難しいなと思うようになりましたし(笑)、練習場所やイベントで先輩達に、すごくいじられることが多く、今思えば可愛がられていたんだなと思います。

 

 

 

TDM お2人の20代、30代はいかがでしたか?
 

 

 

ITSUJI 20代のころは自分のやりたいことをやって、やりたいところに行くことができました。30代になっていろんなことを仕切る立場になり、それが一番難しくて、苦しかったです。地元のダンスシーンが少しでも良くなるように、自分も楽しくなるように、スタジオ経営を初めたり、イベントをしたりしてきました。すると、環境が激変。人付き合いが苦手なのに、人とかかわることが増えましたね。それによってダンスのモチベーションを保つのが難しくなりました。でも、その苦しい状況を察してか、イベントに相方やHIROが誘ってくれて、なんとか保つことができました。

 

今は40代に入り、後輩らがイベントをやったりしているので、ある程度、自分がやってきたことが形になり始め、人に任せられるようになったので楽しいですね。30代にしんどかったのが少しは報われた様な気がしています。

 

 

 

TATSUO 僕の20代の前半は飲食店をやったり、ダンススタジオも経営したし、何かあったら東京に行って、やりたいと思ったことは実行していたので、充実もしてたし、良かったです。だけど、20代後半に色々と手を広げすぎて身動きができなくなり、その限界が30代の前半に来ました。「スタジオや大きなイベントなどバックアップする側をこのままやり続けるなら、中途半端になるダンスはやめた方が良い。」悩んだ結果、すべてを辞めて原点に戻り、ダンス一本で行くと決め、東京に出てました。

 

 

 

TDM
それはITSUJIさんには相談したんですか?

 

 

 

TATSUO 相談はしてないです(笑)。

 

 

ITSUJI でも、何となく近しい人たちはたぶん、みんなわかってたと思う。スタジオの関係者はびっくりしてたけど(笑)。

 

 

TATSUO その分、30代はすごく大きな変化はないですね。自由にやりたいことに没頭しました。海外に頻繁に行くようになったのもこの頃ですね。小さな変化としては、舞台に立ち始めたこと。もともと芝居や舞台は好きだったけど、東京に来た時にJUNさんとか、既にダンサーがしっかり舞台に立っている環境があって、より興味が持てるようになり、関わりを持たせてもらうようになりました。

 

 

TDM
舞台に立ったことで何か気付いたことはありましたか?

 

TATSUO
舞台上でのストリートダンスの甘さを知りました。自分には舞台の知識がないので、舞台を専門にやっている人たちと一緒に立ったときに悔しい想いをしました。「ストリートダンサーだから分からないんだね」と思われているのもわかるから。それが悔しい。

 

ならば誰よりも舞台を経験するしかない。そこからジャンル問わず色々な舞台に積極的に参加するようになりました。それは発表会だったとしても感じます。例えば老舗スタジオ、WINGの発表会では、講師も生徒のみなさんも舞台のプロ、なので舞台上の常識もわかってるのでストリートばかりの発表会と比べると動きがとてもスマートで、リハーサルの質がとても高い。なので、本番のクオリティがとても素晴らしいものになる。学べることがとても多くいつも勉強になります。ストリートダンサーも学びさえすれば同じ位置に立てるはず。とにかく負けたくない(笑)。

 

舞台好き、これはずっと作っているミックスCDの選曲にも表れていると思います。今、20周年記念のCDを作っているんですけど、舞台で表現できそうな、いろんな感情を持った曲が大好きなので、CDを頭から最後まで聞いただけで一つの映画や舞台を見た時のような感覚になるように意識して選曲してみました。一枚はハウス中心、もう一枚はジャンルレスな選曲。聞いた人それぞれが自由に想像して楽しんでもらえると嬉しいです。

 

 

 

■ちょうどいい“がむしゃらぎりぎり”ができたJAPAN DANCE DELIGHT。

 

 

TATSUO p1000550今の若い世代と戦える”ぎりぎりがむしゃら”は、もうこれ以上後にはできないと思ってる。だから、それができるうちにやりたかった。もちろん、それをやらなくても別に活動はしていけるが、後で戦いたいと思っても今とは違う見せ方になってしまう。今なら若さの運動能力と経験のバランスをうまく生かせると感じていました。なので、今回のJAPAN DANCE DELIGHTに出たのはちょうどよい“がむしゃらぎりぎり”ができるから。もちろん20周年のきっかけも大きいし、「そろそろかな」と時期を伺ってたので、良いタイミングでもあった。このタイミングを逃すと次は50歳で出ようかとかになってしまうしね。
 

 

TDM
20年経ってもJAPAN DANCE DELIGHTとか出たというのがすごい。そしてがむしゃらギリギリにやってみた結果の、見事な優勝。感動しました。本当におめでとうございます。

 

 

TATSUO ありがとうございます!!

 

ITSUJI ありがとうございます!!結果が出たことは、もちろん嬉しかったですが、相方にはもちろんですが、ここまで熱くさせてくれるJAPAN DANCE DELIGHTや応援してくれる仲間達に感謝で一杯です。

 

 

■「レッスン全部やめました。」

 

TDM 今までで辛かったことは?

 

 

ITSUJI
33歳くらいの時の腰の怪我。あの時は3~4年きつかったな。踊れなくなったのがきつかった。練習好きやったから、練習もできない。すごく焦るし、きつかった。体幹とかいろいろ調べたんですけど、なかなか治らなくて自分にあったトレーニングがわかってくるまで時間がかかりました。ここ何年かで徐々に良くなって、結果、自分のイメージに近い動きができるようになってきました。

 

 

 

TATSUO
僕は、ここ何年か、やりたいことがなくなった時がつらかった。今までそんなことはなかったのに、舞台はやっていたけど、何か突き抜けてやりたいことがなくなった。そうすると精神的にうまくいかなくなって、その状態で本番を繰り返しても良くないし、作品を作っても良くなくなる。それでこれはダメだと思って生活のルーティン化をやめようと思い、レッスン全部やめました。

 

 

TDM え!?

 

 

ITSUJI p1000235衝撃でしょ。今どき、僕らの世代でダンスやっていてレッスンやめるって。四国中から「TATSUOさん大丈夫なんですか?」とこっちに連絡が来る。いやいや僕も知らんよ(笑)。

 

 

 

TATSUO
やめたのは最近だけど、2年間くらいずっと悩んでた。ちょっとずつレッスンを減らしても何にも変わらなかった。これは全部やめなきゃダメだと思った。すると景色が変わったんだよね。まず、収入が一気に減った。この焦り!生活どうする?毎月家賃やってくる!どんどん貯金も減ってくる!でも、それから楽しくなってきた(笑)。すべての見え方が変わって、どんな仕事をする時も、「この仕事を中途半端にすると次がない!」と思うと、集中力が変わりますよね。自分は常に何か障害がないと燃えてこないタイプなのだと思う。

 

最近は、ありがたくも安定できてたから。でも面白くなかったんだよね。だって若い時にぜんぜんお金なくても、やりたいと思ったらどうにかしてでもそこに行く、最高に行動力があった、お金なんかなくても最高に楽しかった。そういう強い想いがないとダメと気付いた。だから1回貧乏になるぐらいで良いのだと。危機感が燃えるよね!

 

 

 

ITSUJI
でも、今回の場合は、自ら危機感を作ったけどね。

 

 

 

TDM すごいですね。今の若いダンサーはなかなかできないでしょうね。
 

 

■四国に“現場”を増やす。

 

TDM ITSUJIさんにとっての少し先の目標は?

 

 

ITSUJI 今、四国4県のスタジオや関係者に声をかけて、The 4 Dance Floorsというイベントをやっていまして、それを成功させることです。ずっと四国内でのストリートダンスの価値を上げたいなと思っていました。その為にバトル、コンテスト、ショーをしていく構想を4県の知り合いに持ちかけました。若い現役のダンサーたちにも耳を傾けながら、取り入れたいと思ってます。

 

 

TDM
今の四国のダンスシーンはどんな感じですか?

 

 

 

ITSUJI
正直、厳しい状態です。キッズイベントや発表会ばかりで、かっこいいストリートダンスが根付いていないと感じます。その根っこがなくなってしまう前に手を打たなくてはいけないという信念もあり、The 4 Dance Floorsの実施になりました。

 

TDM
今四国が抱えている問題は何でしょうか。

 

 

ITSUJI p1000173東京や大阪に比べて、ダンスの評価をされる現場が少ないので、踊りがうまい人、踊りを頑張っている人についていくわけではなく、単純に地域のコミュニティに偏ってしまう傾向があります。また、世界のダンスをYouTubeで見たところで、現場の熱量は感じられないので、垢抜けたダンサーが育たない。まず、評価される現場を増やすことが狙いです。今、四国のダンサーはだいたい小・中・高校生ばかり。大学生から始める人も辞めてしまう人が多く、20代があまりいません。

 

周囲の大人が「かわいい」「うまいね」とすぐにほめて甘やかしてしまう傾向もあるのも、ダンサーが育ちにくい一因だと思います。ワークショップに来る講師はうまくても、受ける側がきちんと学びとるためには、日頃からダンスへの意識を高く持たないと難しい。対する都会は現場もあるし、チャレンジ精神を持っている人が多いです。また、地方都市で難しいと感じるのは、例えばDJとかクリエイターが育たないこと。隣の県にいたとしても片道2時間以上かかったりするので、気軽に呼ぶことができないんです。また、自分には徳島に自分のダンスができる居場所がありますが、下の世代のダンサーが育つ環境や、評価される場所がないので、彼らの居場所がなくなってしまうのが怖いです。

 

そうならないためにも、The 4 Dance Floorsを通じて狭いコミュニティ内で固まらないように、相乗してもらえたらと思います。各所にはこれらの現状も踏まえた上でお話しさせてもらいました。このプロジェクトは絶対に意味があるはずなので、頑張っていかなきゃいけないと思っています。

 

 

■観客の感情をコントロールする。

 

TDM 今のTATSUOさんにとっての少し先の目標は?

 

 

TATSUO 数年前から、定期的に舞台に立てるようになり。舞台上では動きやテクニックだけではなく、感情、考え方、空間や場所をどうコントロールするか、それを観ている人の心情さえもどう動かすべきか、その駆け引きが面白い。それはもちろん自分のダンスに生かされるし、知れば知るほどもっと表現が変わると思う。

 

 

TDM
具体的に踊りとして変わった意識や気づきがありましたか?

 

 

 

TASTUO 観ている人の気持ちの向きを思ったようにコントロールができることがあります。例えば、一瞬ふっとどっかを見た瞬間に、観る人はそれに何か意味あるのかと感じるし、内に意識を持って行き、急にバンと前に発したら、見ている人はドキっとする。そういう仕掛けを作るようになりました。舞台はその繰り返し。前もってそういうのを仕込んでおいて、ここぞ! というところで生かす。舞台を知れば知るほどうまく観客の感情をコントロールできるようになると思います。

 

 

■苦労をしたくてもできない若いダンサー達へ。

 

TDM お2人の背中を見る後輩たちにどんなメッセージを伝えていきたいですか。

 

 

 

ITSUJI 今は時代が良すぎて、みんな選べる。それも大事だけど、若いうちに逆に決めずに、思い切り全部やってみるのもいいと思います。

 

 

TATSUO
p1000226たぶん今の子たちは、残念ながら、環境が良すぎてどうやってもそこまで苦しい思いをできないと思う。やろうと思ったらある程度何でもできるし、バックアップもあるし、どこにでも行ける。逆に苦しい思いをしたいだろうに、させたいのに、自分から本当に頑張ってそこに行こうとしないとできない。昔だったらストリートダンスをやってるだけで、放っていても苦しい環境になってたからね。

 

でも今は、ストリートダンスをやっても苦しめない。これによって、気づけないことがいっぱいある。もちろん、すごく大変な思いをしてやってる子たちもいると思う。でも、その幅が僕たちの時代と比べて狭くなってると思う。もちろん、それはストリートダンスの環境が良くなったことと引き換えに起きている現実。無理矢理苦しめとは思わないけど、今の時代だからこそ、本当に自分を見つめ直し、誰も理解してくれないかもしれないがやってみたいと思うことにチャレンジする、そういうところに行かないと、いい表現者は育たないんじゃないかなと思う。

 

例えば気になるところがあれば誰も行かない所でも、1人でも、とにかく行ってみる、そういう想いで行動しないと、強い自分になっていかない。今は、「皆も行くみたいだから一緒に海外行ってみようかな」「親がお金出して行ってきなよ」となっちゃう。「本当に死ぬ思いをして、バイトして、やっと海外に行く!」「取りあえず借金してから来ました!」みたいな環境がない。昔だったらそうしなきゃいけなかった。

 

行きたい場所にどんな障害があっても行く、そういう強い想いがない。だから行っても吸収できることが少なくなる。それはもったいない。死ぬ気で行動すれば、その想いに比例して感覚が鋭くなる。

 

だから、正直今の若い世代のダンスシーンはやさしく感じる。すごく踊れるんだけど、心に来ない。毒がない。上手いけど、何か心に残らずに流れちゃう。もったいない。下手でもぐっと来る方が、奥底に闇があるぐらいが僕は好き。

 

だから、上の世代はある程度教えたら、次に突き落とすくらいできればいいかもしれない。でも、今はできないだろうね。環境が良すぎて、突き落としてもすぐ違う人に拾われちゃう。それを自分から望まない限り上には行けない。

 

新しいことをやると刺激の量が変わる。その方が全ての感覚が若返る。刺激がなくなったら一気にふけるだろうな(笑)。ただリラックスするだけでも人間は気持ちよくなれるし、生きていられる。でも、楽なことばかりしていると、感覚がぼやけてくるから、刺激を受けた方がいい。皆と同じ行動は刺激を薄めるから、自ら考えた道を進む、誰も味わっていない素敵な障害に立ち向かえるから。

 

TDM
お2人ならではのメッセージですね。最後に、11月にはGLASS HOPPERの20周年のイベントを徳島でやるそうですね。どういうイベントにしようと思っていますか?

 

 

TATSUO p1000244何もしません(笑)。みんなで集まって飲んで語れればいいですね。一応ショーもあるけど、そんな堅苦しくなく、昼間は大きなホールでショーケースをやって、夜はクラブでお祭り騒ぎをします!皆で楽しむ、これが原点なので!
 

 

ITSUJI
地元に仲間たちがたくさん来てくれる!!本当に嬉しいし自分達が純粋に楽しめる時間にします。

 

 

 

TDM
これからもGLASS HOPPERの活躍を楽しみにしてます!今日はありがとうございました!

 

 

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 interview and photo by AKIKO and imu

’16/10/17 UPDATE

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