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舞台ASTERISK 「Goodbye, Snow White」 特集 MIKEY×長谷川達也

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 ■建築的な長谷川流、感情的なMIKEY流。

 

TDM 今回、DAZZLEとして出演のお誘いがあった時はいかがでしたか?

 

長谷川達也
IMG_2217「あ、来たな」と(笑)。純粋に嬉しかったです。MIKEYの作品は、前回のASTERISKもそうだし、舞台も映像で見ています。僕はMIKEYの発想がすごく好きなんですよ。MIKEYは、人間誰しもが持っているけど隠していることをダイレクトに出すんです。それが見た人によってはちょっと嫌悪するようなことだとしても、「それも含めて人間じゃない?」と教えてくれる。それをダンスで表現できる人ってみたことがないから。ただ、今回果たしてDAZZLEがMIKEYにどう調理されるんだろうかという期待と不安があります。もし「パンツ一丁で踊って」と言われたらどうしようとか…(笑)。

 

MIKEY
男性は絶対にそれを怖がるんですよ~(笑)。難しいですよね。すごく長谷川さんのお気持ちもわかるから。もちろんTバックとか履かせないですけど、「これぞDAZZLE」という純度の高いDAZZLEもありながら、いちお客さんとしては、「今まで見たことのない、ここでしか見られないDAZZLE」も見たいなと思っちゃうし。

 

 

TDM MIKEYから見たらDAZZLEってどういうふうに見ていますか?

 

MIKEY 私の脳内では絶対に組み立てられない、精密なプロセスがある感じがします。私の場合、感情なんです。突発的で、思いつきとかの起伏。男か女でわけると、女性的な感覚ですかね。長谷川さんの方は建築的で地図っぽい。でも、私は精密に考えることができない。その場の思いつきで、しかも、その時の感情で、「何かわかんないけどこっち」で決めていく感覚派です。

 

 

長谷川達也 だから、僕はMIKEYに憧れているんだと思います。僕はMIKEYが言った通り、建築的で感情では作れないんですよ。カウント表を書いて、ひとつずつ動きや構成をあてはめていきます。その手法はいい時はいいです。でも、感情という部分では、表現しきれない部分がある。振付は物語や情景を見せるものや、動きとしての美しさを見せるもの、音に対する身体のアプローチなど、いろんな見せ方がありますが、MIKEYの振付は感情の部分で伝わってくるものがある。僕にはそれがないから憧れますね。

 

 

MIKEY
私は、長谷川さんは感情の表現さえもコントロールできていると感じます。動きや構成で、こういうふうにこの人は思っているのかなというのを作れるから、逆に私はすごく憧れます。相性もあると思うんですけど、ダンサーも長谷川さんに演出された方が、安心なのかなと思うんですよね(笑)。私は「今朝思いついちゃったので昨日までの振付を変えます」と言うこともあります。下地作りができないんですよ。

 

 

長谷川達也
僕がASTERISKを作る時に意識したのは、各振付があまりに自由すぎてしまうと、作品の流れや物語が繋がらなくなる可能性があるので、なるべく枠組みを定めてから「この枠の中から絶対に出ないでください。ただし、この中であれば自由にやっていいですよ。」という状態で渡すようにしていました。そのためには事前に全体の流れや設定ができてないといけないので、それを作る行程は確かに建築的かもしれません。そうして自分の中で説明できる状態になってから、各振付師に、「ここから始まってください」「ここで終わってください」など、いくつかの条件を提示しました。

 

MIKEY 建築は、最初にまずいろいろ骨組みとかいろいろ練って、最終的に、家じゃないものにはなりませんよね。私も一時期ちょっとそれに憧れて、ちゃんと準備しようと思ったんですけど、どうしてもダメなんですよ。そう決めると、「もう家なんか作らない」と壊したくなる衝動に駆られます。そういう病気みたいです(笑)。だから、それは諦めました。ただ、こういう大きなプロジェクトになるほど、いろんな人が携わるから、私の突然の方向転換に、迷惑する人も増えるので、できるだけまずは1人で考えようとは思うんですけど…。

 

長谷川達也 でも、そういう感覚だからこそ、爆発的にいいものができたりしますよね。それは僕にはたどり着けない領域です。

 

 

MIKEY 私の根本的な性格がすごくあまのじゃくで、根が意地悪なのか、「この人たちはこういうものを期待しているな」と察すると、「その期待に絶対応えてやらない!」って思うことがモチベーションだったりするんですよ。だから、作品に対しても「今の感じより、昔の感じが好き」という人がいてもいいなとも思っています。最近、そうやってずっと変化し続けるのが自分の本質なのかなと感じます。

 

 

長谷川達也 p01僕も、葛藤はあります。僕は怒りとか悲しみといった負の感情が大きいほど、その対極にある正の感情、喜びや楽しさが際立つと思っているんですね。だから、例えば残酷な設定や、強い不快感を与えることも大いにやりたいと思うのですが、それをすべての方が受け入れてくれるわけではないんですよね。それをやっちゃうと、もしかしたら作品に批判的な感情を抱くことの方が多くなるかもしれない。それでもいい!という気持ちと、いや、やっぱり批判は怖いなという気持ちとがあります。お客さんには舞台で何かを得ていただけるような、そしてそれが明日への活力になって欲しいとも思いますから。どういったバランスで作品をつくるのかはいつも悩んでますね。

 

 

TDM MIKEYは演出をやっていて、どんな時に決断で悩む時が多いですか?

 

 

MIKEY 作品を作るということ自体に悩むということは、あんまりないですが、やっぱ、人間関係ですよね。ひとりで作る分にはいいんですけど、誰かがそこに関わることによって、自分のエゴだけじゃできない時に悩みます。「ここはどんなに嫌われようが、自分のわがままを突き通す」としても、それで不快な人がいると「あ、嫌われちゃったかな」とやっぱり考えるし、「これをやるとこの人の迷惑かな」としょうがなく自分のエゴを押さえてしまう時は、結果、何か大事なものを失った気がします。わがままを突き通しても突き通さなくても、自分の中の神は全体的に許してくれないし、自分の法律にどっちにしても逆らってしまう。そんな罪の意識になりますね。

 

 

■白雪姫の物語で、一番人間的な感情を持っているのは魔女。 

 

 

TDM 今回どんな経緯で中村うさぎさんの原作が実現したんですか?

 

 

MIKEY
まず、私がもともとうさぎさんの作品が好きで、読んでたんです。そもそも私がダンスだけが興味ではない。まさに長谷川さんもそうだと思うんですけど、趣味として本や漫画、映画も好きなんです。興味の対象がダンスだけではないんですよ。今やっているのがたまたまダンスという感覚はすごくあって、私にとってダンスが得意だからダンスで表現しているけれども、きっと私の体が不自由になって踊れなくなったら、もしかしたら文学で表現してると思います。それくらい文学は好きです。中でも、うさぎさんの哲学がもともとすごく好きで、「世の中でみんながそれを認知しているけど、でもそれって本当はこうじゃない?」という、概念を覆すような世界観に共感しました。今回の白雪姫のいきさつは、うさぎさんがエッセイの中で、「白雪姫はただ寝て待っているだけの女で、一番あの話で人間的な感情を持っているのは魔女だ」みたいなことを書いていたんです。魔女目線で白雪姫のことを書かれていてすごくおもしろいと思った。私自身、「本当はみんな青って言っているけど、それ赤じゃん!」という裏切りみたいなものが好きなんです。だから、白雪姫の中で、魔女は悪女だと誰もが思っているけれど、その背景にある、女としての切なさとか悲しみを、うさぎさんの新釈でやったらおもしろいなと思いつきました。そしたら、たまたま、うさぎさんと共通の知人がいたので紹介して頂いて、OKを頂いたという流れです。実は、前からうさぎさんも、ダンスにすごく興味があったそうです。やりたかったけれども、ちょっとハードルが高くてできないなと思っていて、ダンサーへの憧れがあったらしいんです。だから、今回ダンス公演にすごく興味を持ってくださって、意気投合しました。

続く

[PICK UP]原作・中村うさぎ、演出・牧宗孝。*ASTERISK 「Goodbye,Snow White」 新釈・白雪姫

 

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