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Yacheemi

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音楽を愛し、クラブを愛し、ダンスのカッコ良さを愛するダンサーYacheemi(ヤチーミ)。ダンスによって人生が上昇気流になったのは、自身が好きと信じたものへ純粋に向き合い、柔軟に感性に身をゆだね、研ぎ澄ませながら、周りからの期待に全力で取り組んでいるからなんだと彼との対話から感じた。Yacheemiの名前はこれからもひょんなところで目にするだろうし、「アイツは誰だ!」と我々に気にかけさせる存在になるはず。独自の感性で未来を切り拓いていく彼にこれからも注目したい。

 

  • yacheemiYacheemi (餓鬼レンジャー / G.G.C)
    結成20年を迎えたヒップホップグループ『餓鬼レンジャー』に正式メンバー兼マスコット”タコ神様”として加入した異例のフリースタイルダンサー/DJ。
    人間としては’13年にWorld Reggae Dance Championship日本大会優勝、ジャマイカ大会で準優勝。DANCE@LIVE2016にてHIPHOP SIDEで1度優勝、ALLSTYLES SIDE FINALベスト4の大健闘。
    また「りんご音楽祭」に唯一のダンサーとして2年連続出演を果たし、バンド『G.RINA & MIDNIGHT SUN』ではダンス&コーラスを担当するなどシーンを跨いで東奔西走中、な横浜の新生物。

 

■自分でも何者かわかりません(笑)。

 

 

TDM 様々な活動をされていますが、ざっくり教えて頂けますか?

 

 

Yacheemi わかりやすい言葉で括ると、ダンサーの中に混じって踊るダンス、音楽家の方と対面するダンス、DJ、そしてタコ神様ですね。もう自分でも何者かわかりません(笑)。周りからはいろいろやり過ぎと良く言われますが、すべての活動が自分を表現するものなので、ひたすらやるのみと思っています。

 

 

 

TDM 好きなことをアウトプットする場所を見つけて、形にできたら楽しいですよね。形にする作業を表現として模索して、20代後半はダンサーにとってそういう時期なのかもしれません。では、餓鬼レンジャーに入ったきっかけは?

 

 

 

Yacheemi

On The Bed feat. m.c.A・T / 餓鬼レンジャー(full) from plusGROUND on Vimeo.
ある日突然、知り合いから「餓鬼レンジャーがあなたにタコ踊りをしてほしいと言ってる」と電話をもらったのがはじまりです。最初は、まるで意味がわかりませんでした(笑)。

 

なんでも、DJを務めているNOBBさんがダンスイベントで踊る自分を何度か見てくれていたようで。「なんか変なやつがいる」と。それでグループ復活のシングル『TACO DANCE』をリリースするタイミングで声をかけてくださったんです。
青春時代を餓鬼レンで過ごした自分にとっては、想像もしていない出逢いでした。しかも、タコですからね。

 

 

TDM のし上がり方がストリートですね。かっこいい!

 

 

■好きなことをやるのは今じゃない。今は嫌なことをやろう。

 

 

TDM 音楽はいつからどんな風に聞くようになりましたか?

 

 

Yacheemi p023歳くらいの頃はクラシックが好きで、歯医者で流れているBGMを聞いて、「これはシューベルト!」とか言うような、まったく可愛くない子でした。年中さんくらいの頃、当時流行していたコンピレーションアルバムの『NOW』を家族が持っていたので、それがきっかけで洋楽に触れはじめます。 

小学生に入ると、テレビ神奈川で放送していた「Billboard Top 40」を毎週録画するようになります。録画したビデオを見るために、友達から遊びの誘いを断ったこともある可哀想な子です(笑)。

 

初めて買ったCDは、国内のアーティストだとUAとYEN TOWN BAND、海外だとバスタ・ライムスとTLC。それが’95年ですね。

 

TDM チョイスがヤバめですね(笑)。それからダンスに出会うまでの経緯は?
 
 

 

Yacheemi
物心ついたときからなんとなく「音楽に関わる道に行きたい」という想いはありました。中・高生時代に、バンドも誘われてやってはみましたが、しっくりこなくて。「好きなことをやるのは今じゃない。今は嫌なことをやろう。」と思いました。

そうして体育会系の縦社会を学ぼうと、サッカー、バスケ、剣道、水泳、あらゆるスポーツに触れながら部活生活を送ります。 

大学に入り、ヒョロヒョロな身体でなぜかアメフト部に入りますが、デビュー戦開始5分で手首を骨折しまして(笑)、そのときに「もう好きなことをやろう。」と思い立ちます。

今考えると、その頃までずっと迷走中の人生でした。一番愛しているのは音楽なのに、それを語り合う友達もいませんでしたし、本気で話すと相手が引いちゃうから、周りに合わせた話をして過ごしていました。だから今度こそ音楽に関わることをやろうと思って、身ひとつでできるダンスを始めることになります。

 

 

■ストリートダンスとの出会い。

 

Yacheemi p01いざ習おうとダンススタジオを調べてはみるものの、実際にその方が踊っているのを見てないとピンときませんでした。そんな矢先にテレビでJuNGLEさんが踊っているのを見て衝撃を受け、翌週には赤坂のスタジオFaithの門を叩きNUMERO UNOお二人のレッスンに行きます。初めて受けたレッスンがジャズ中級クラスだったので毎週ほぼ棒立ちの日々。怒られたり、脚を蹴られたりしながら、それでも毎週通い続けました。それが18歳のころ、あだ名はテメーでした(笑)。

同時にレゲエダンスにも夢中になってLOVE MILKのKIYOさんの元に行ったり、20歳の頃からWAPPERさんのもとでフリースタイル道を教わります。

ジャンルで選ぶというよりは、「この人はいったいどういう人なんだろう!」という好奇心で会いに行く感覚でした。人選が濃厚すぎますね(笑)。 

ダンスを始めてからは、それまでの10数年、自分の内側にためこんでいた有り余るものを発散していきました。1ステージくらいじゃ収まりきらないほどのエネルギーのストックがあったのか、後々ビデオを見ると、常に何か怒っているのが印象的です。

 

■東京発REBELな無国籍ダンスクルー、G.G.C

 

 

TDM ここ数年チームとして活動しているGalang Galang Crew (ギャラン・ギャラン・クルー、通称G.G.C)ですが、SO DEEPとしても知られるNAO CHA CHA CHA、ラテンを軸に国内外で活動するダーリン.SAEKOと、個性的なメンバーですよね。

 

 

 

Yacheemi
SAEKOさんとの出逢いも遡ると20歳のころ。やりたいダンスをなかなかできずくすぶっていた時に「ヤッチくん、一緒に踊ろう。」とまさかの大抜擢をしてもらいました。ここから心身ともにダンス人生がググッと深くなっていきます。

 

同じ頃、泥酔してクラブでNAOさんと踊り合ったのをキッカケに仲良くなり、3人が急接近しました。2012年ごろ、生意気にも自分からお二人にお願いをしてG.G.Cが結成されます。

 

当時ちょうどハマりはじめていた南アフリカのグループダンスのステップや雰囲気に影響されながら、自分たちならではのスタイルに発展していきました。

 

 

 

TDM G.G.Cはセンスの塊で大好きです。お2人とやってみてどうですか?

 

 

 

Yacheemi 交わされる会話が高次元過ぎて、たまに僕はショートしてます(笑)。ただ動くのではなく、ダンスを用いてその空間をロックする、という視点は他のチームでは得難い感覚ですね。3人が3人共に「自分がこの変わり者2人を取り持ってる」と思っているところが、いいバランスを生んでいるのだと思います。

 

TDM 最近は更に色んなチーム活動もされてますよね?

 

 

 

 

Yacheemi はい。WAPPERさん、KIN3とのチームTRI-BEER(トリビアー)は、男3人ならではのダンサブルなフリースタイルに挑戦しています。厳しいパパとキラキラお兄ちゃん、僕は甘えん坊末っ子役です。ジャマイカの大会も共にしたUCHIKOさんとは、SQUID & DEVILFISH(スクイッド・アンド・デビルフィッシュ)という名前でダンスホールを踊っています。ちょっと毒々しい、スモーキーなダンスが特徴です。

 

どのチームもアプローチが違うので、本当は一気に全部見てもらいたいくらいです。組んでいるのは先輩方ですが、一生闘いを共にしていく同志だと思ってます。

 

 

 

TDM 音楽シーンでのダンスはどんな活動ですか?

 

 

 

Yacheemi
DJでありシンガーソングライター兼ビートメーカーでもあるG.RINAさんのバンド、MIDNIGHT SUNにサポート参加しています。先日のワンマンショーでは、ゲストを交えて一緒に踊ったり、時にはコーラスをしながら1時間半ほどのステージに立ちました。自分だけの時間ではないので、そのステージにうまく作用できるように意識ながら立ち回るのは、難しいですがとてもチャレンジングで楽しいです。
バンド名からもわかる通りの、ブギーファンクなサウンドなので、ダンサーの皆さんにももっと観てもらいたいです。

 

また2015年から2年連続で、長野県松本市で開催されている『りんご音楽祭』に、フェス唯一のダンサーとして参加しました。いつどこでなにを踊るかは一切決められていなくて、すべて直接DJやバンドに自分で交渉です。昨年は2日間で計6ステージは踊りましたね。衣装は毎回変えました。意地でした(笑)。

 

タコ神様のときもそうですが、ダンサーがいちアクトとして成立することを目指して、今まで様々なラッパーやDJ、ミュージシャンの方と共演させていただきました。自分の中では「本気のストリートゴーゴーダンス」と位置づけしていますが、最長では約1時間くらい踊り続けたこともありますね。

 

 

■クラブダンスはかっこいいということを今一度知らせたい。

 

 

Yacheemi 昔から、食わず嫌いして文句を言う人が余り好きじゃなくて。簡単に他人事にしたくないんです。だからダンスも、少しでも自分の興味が向いたものは、ちゃんと自分で納得してから「それ、良いよね」って言いたい。ダンスバトルも真剣に向き合うことで、その道の人の信念がわかりましたし。自分のわからないものをオシャレとかヤバイで済ますのって、楽なんですよね。
 

 

 

TDM
Yacheemiの様々な活動には、すべて試練がありますね。

 

 

 

Yacheemi そうですね。そこの流儀をきちんと理解するようには努めたいです。くじけそうになることも多いですが。郷に入ってから、外したいんです。

 

 

 

TDM 近い将来のビジョンはありますか?

 

 

Yacheemi
今は、恵まれた環境で色々な企画を与えてもらっていますが、自分発信でディレクションしていきたいです。フォーマットはまだわかりませんが、そのためにもっと自分と向き合う時間を取らないといけないですね。何をやってもその人であることはブレなくて、知識と夢がカルチャーに直結している。いとうせいこうさんみたいな大人が目標です。

 

 

 

TDM 自分のダンススタイルのポイントは何だと思いますか?

 

 

 

Yacheemi 20代前半のときは、自分にしかないアイデンティティを追い求めるのに躍起でしたが、いかんせん好きなものは多いし、すぐに影響されるので、余り考えなくなりました。何を踊っても自分でいられる自信が少しついてきたのかもしれません。なんでも踊りたい。本気で踊るのが楽しい、肉食な時期。
そんな扉を開いてくれたのはWAPPERさんですね。ある程度活動が安定すると、リハや練習の時から本気で踊る機会って減っちゃうんと思うんですが、WAPPERさんとは一晩中サイファーもするし、踊りがあいさつ代わり。ダンサーは汗かいてナンボだな、と。頑張るからお酒も美味しい(笑)。音楽の趣味とは裏腹に狭かったダンスの壁をぶち壊してくれました。今では毎日のようにレッスンを受けています。

 

 

TDM
Yacheemiは遊びもしつつ、向き合って戦いながら音楽を愛するクラブ人というイメージがありますよ。

 

 

 

Yacheemi
p03嬉しいですね。そこを貫ける人が好きです。僕はクラブのダンスシーンがかっこいいと思って始めましたし、ずっとそこで認められたいと思ってやってきました。クラブでゲストダンサーとして認められるのって、とても難しいライン引きで。コンテストで賞をとったからとかバトルで優勝したとかではなくて、その空間にいる皆が同時に感じ取るものだと思うんです。「あっ、この人いったな~」みたいな。あれがすごく好きで。
でもその価値って、なかなか今は伝えるのが難しいのかもしれません。たくさん稼げるといったら別ですし。最近は「これをやれば仕事につながる」「これをインスタにあげよう」といった、不純物をステージに持ち込む人が多くてワクワクしづらいですよね。その場にすべてを置いていける人のカッコ良さを、どうにか伝えていきたいです。

 

 

 

TDM
今のダンスシーンをどう感じていますか?

 

 

 

Yacheemi 学校のクラスに例えると、文化祭で前に出て行く人ばっかりもてはやされてるなぁという感じです。僕はクラスの端からムーブメントを起こすタイプだったので、隅っこにもエネルギーは溜まっているんだぞ~、と主張したいです。無視しないでほしい(笑)。追いやられたり、いい想いをしてこなかった人たちの方が、ハングリーですから。そこをヒップホップ精神で咀嚼してプラスに変えている、そんな力を持ったダンサーたちにもっと目を向けてもらえたら、未来の才能にも可能性が広がるのかなと思います。

 

 

TDM
今日はありがとうございました!!

 

 

 interview and photo by AKIKO &  imu

’17/03/27 UPDATE

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tokyodancemagazine

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