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浦上雄次 〜 Steps Upon Japanese Intensity 〜
浦上雄次 〜 Steps Upon Japanese Intensity 〜
センスに富んだ彼のタップという足音で、あらゆる観客を魅了してきた浦上雄次a.k.a. SUJIは信念を持ち、努力を重ね、誰もやったことのないことをやってきた。その生き様には、勢いと潔さ、そして彼らしさがある。先日行われたBillboard Live Tokyoでのソロ公演もまた、シーンにとってダンサーの目指す新たな表現の場となったのは言うまでもない。もっと彼が生み出すタップを多くの人へ伝えたい。今回聞けた彼の“これまで”と“これから”には、そんなメッセージが詰まっている。今月末のWORLD WIDEに生バンド編成で出演するのも、気になるところ。どんな足音を奏でてくれるのか、是非その目で確かめてほしい。

浦上雄次●浦上雄次

タップダンサー。1976年2月22日生まれ。熊本県出身。16才から小原朋浩氏にソウルダンスを学び、熊本のダンスチーム「DEE-LITE」のメンバーとして活動後19歳で上京。24才でHiguchi Dance Studioに入門、タップダンサーのHIDEBOHに師事。2001年から2005年までの5年間、HIDEBOH主宰のリズムパフォーマンスグループ「THE STRiPES」のメンバーとしてイベントに出演。北野武映画やTVCM、シカゴのタップフェスティバルに講師、ゲスト出演を果たすなど、日本屈指のタップダンサーとして活躍している。

Billboard Live Tokyoでダンサー初のワンマンライブ。

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先日のBillboard Live Tokyo(以下ビルボード)での“Dancer's Premium”、お疲れ様でした。拝見させてもらって、本当に素晴らしかった!

浦上

浦上雄次やると決まってから時間も1ヶ月ちょっとしかなくて、集客はすごく大変だと思ってたんだけど、ビルボードでやれることは僕たちにとっても特別なことだから、今までタップダンスを観たことがない人にも是非観てほしかったし、今後タップダンスを踊っていく上で参考になることばかりだったね。

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どういう経緯でやることになったの?

浦上

ダンサーのKENTAくん(monograph / Developmaker)がある日突然自分に連絡をくれたんだ。ビルボードで企画していたライブをいろいろ模索しているうちに彼の仲間が「SUJIさんがいいんじゃないか」と名前を挙げてくれたことが最初のきっかけだね。

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なるほど。すごく素敵なダンスライブだった。ダンサーの目指したくなる、わかりやすい場所の一つになったと思ったよ。

浦上

“Dancer's Premium”という企画第一弾として自分を選んでくれたんで、せっかくなら第二弾、三弾と繋がっていって欲しいと思ったし、何より声がかかったことで自分のテンションも上がったよ。

ライブや公演をやることよりも自分のダンスを1から見つめ直していた時期だったんだけど、とても良い機会をもらえたと思うしいろいろ勉強になったね!

やっぱり自分たちが好きなダンスや感覚を出していきたいよね。


浦上

そういえば国際フォーラムで開催された公演「ASTERISK」もAKKOちゃんが企画やっていたんだね。ストリートダンサーにとってはすごく地位の上がる活動だよね。

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SUJIくんがビルボードでやることを大事に思った感覚と同じだね。

浦上

浦上雄次うん、「ついに国際フォーラムでストリートダンサーがやる時がきたか!」って思ったよ。

ダンサーが大きな会場でパフォーマンスをやることは本当にすごいと思う。選ぶ会場によってその人たちが挑戦してる意識もわかるしね。

自分たちのパフォーマンスもたくさんの人たちに観て欲しいし、そういう環境を作っていくべきだと思ってるよ。

音楽とかダンスとか、その世代の好きなものがあってそれが基盤になってるから、やっぱり自分たちが好きなダンスや感覚を出していきたいよね。

それらはちょっとした演出で見え方も変わるし、実際には普段の踊りとそんなに変わらないのかもしれないけど、そこまでの企画力や衣装、照明によってかっこ良く見えたり、駅に降り立って会場に着くまでのワクワクからショーが始まっている。そういうものは自分たちの公演にもっともっとあっていいと思う。

自分自身の挑戦がしたかった。


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今までの転機はあった?

浦上

浦上雄次HIDEBOHさんのタップグループ(THE STRiPES)に入れてもらっていろんな舞台やイベントで踊らせてもらいながらタップダンスを勉強してたよ、HIDEBOHさんとお世話になったヒグチスタジオがあってこそで、それがなければ今の自分はないと思うよ。

29才の時、自分自身のチャレンジはどこなのかな?と思いはじめたんだけど、地位とかお金ではなくて、アーティストとしての挑戦がしたかったんだろうね。今思えば無謀だったんだろうけど(笑)。30才の時にグループを離れてソロ活動がスタートしたんだ。

高校生の時から黒人のタップが好きだった。特にソロで踊っているシーン。 サミー・デイビス・ジュニアとか、グレゴリー・ハインズみたいに、エンターテイメントしながらショーをやりたいってイメージもあったし、タップダンスをはじめてからは音楽との関わりが変わって、ミュージシャンの人たちと接する機会が多くなったし、ソロ活動をスタートしてからダンスに対する考え方や姿勢がだいぶ変わっていったよ。

以前からタップダンサー熊谷和徳くんの活動を見ていたこともあり、彼のパフォーマンスにも影響を受けてきた。彼はずっとタップダンサーとしての表現を提示しているし、パイオニア。もちろん今でも自分の目標になってるよ。

はじめはソウルダンス。 


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SUJIくんのダンスのはじまりは?

浦上

はじめはソウルダンスだね。地元・熊本のスタジオで、小原朋浩さんという人が俺にダンスを教えてくれた最初の先生だよ。

今から20年前、「天才たけしの元気が出るテレビ」の企画で「ダンス甲子園」が流行っていた。LL BROTHERSは独自のスタイルで突出していたし、ZOO、れいかんやまかんとんちんかん、といったいわゆる東京スタイルにすごく憧れてて、テレビで見ててもマネできないし、スタジオに行ったらそういうのを教えてくれるだろうと思ったんだよね。

でも、地元のスタジオに行ったらソウルミュージックがかかってて、「なんか難しいし地味だし、MCハマーとかかかんないし・・・イメージと違うな!?」って(笑)。

レッスンでは先生が手を回してたから、「あ!テレビで難しそうだと思ったロックダンスだ!」と思って、パンキングやソウルステップを教えてくれたんだけどその渋さがまだわからない(笑)。

でも小原さんが踊るとかっこいい。小手先だけじゃない何かを感じた高校1年生の自分、それからはもっともっと練習したいと思ってのめり込んでいったのを覚えているよ。

先輩からはソウルトレインの映像を見せてもらったり。アフロヘアにパンタロン、ラインダンス。でも、その渋さは全然わかってなかったと思うよ!(笑)。

浦上雄次今の歳になってやっと、「あー、あれはこういうことだったんだ」と思う、小原さんは当時から「お前はジャズを聴いてんのか?ジャズを聞け」って自分に言ってた、それが今は繋がったよね。だから、最初の入り口は渋いところから、先生が最初に教えることは本当に大事なんだと思う。

伝説のドキュメンタリー番組「ALIVE TV」の映像がニューヨーク〜東京〜熊本に入ってきて、流行に敏感な奴らはそれ見て髪をドレッドにして、POLO1992のシャツを着て、GUESSのジーンズにティンバーランドのブーツを履いていた。ZOOの裏PVとかもダンス界に出回って「こういうのもかっこいいなー」と知るようになった。

でも、福岡にはBE BOP CREWがいて、やはりその存在を知ったら「日本人で、ソウルダンスでここまでやれる人たちがいるんだ!」と思ったし、クラブでBE BOP CREWオールスターズのショーを観た時は目が飛び出たよ!しかも、当時BE BOP CREWは40人くらいの編成で活動していてホールを借りて既にダンスライブをやっていたんだよ。ダンスの歴史を紐解く感じのショーで、ブレイクダンスのシーンをYUKIさんやSETOさんがBE BOP CREW GANGとして踊っていたり。

今から20年以上前にフリースタイル、オリジナルスタイルをBE BOP CREWは既に形成していた。それを舞台化してエンターテイメントの形を作っていたんだよ、そんな先輩たちのすごいダンスを知っているからこそ、自分たちもこだわりを持つべきだと思っているよ。

STAX GROOVE、SYMBOL-ISM、THE STRiPES。


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東京に出てくるきっかけは?

浦上

ダンスというよりも舞台関係で働きたかったから2年くらい専門学校に通ってたんだ。TV撮影や映画を勉強して制作スタッフになろうと思っていたんだ。

その頃、SPICY CHILIだったIZUMIやSOUたちと渋谷の美竹公園で出会って一緒に踊りはじめたんだよね。

IZUMIたちはBrother's in JazzとかI.D.Jっていうジャズで踊るロンドンのチームや、「フュージョン」というスタイルに目を向けていた。俺はニューヨークにセヴィアン・グローバーっていうすごいタップダンサーがいることを知り、タップダンスにはまっていったよ。

タップダンスとストリートダンスを両立しながら活動していたんだけど、今はもうおなじみのダンスコンテスト「ダンスディライト」にTAKUYAのすすめでエントリーしたんだ。TAKUYAと踊るきっかけはそれからで、以後SYMBOL-ISMのメンバーとしてもクラブイベントで何度か踊ったよ。でも両立が難しくなってたんでタップに集中することにしたんだ。

SYMBOL-ISMとTHE STRiPESの活動は少し被っていて、当初THE STRiPESの現場で俺はタップは全然できてなかった。自分の役目はストリートダンサーとして参加していたんだけど、ショーをする時はもちろんタップをしなくちゃいけない、しかも踊る相手はHIDEBOHさんとRONxIIさん。。。深夜はTAKUYAたちとダンスディライトの練習をやって、昼はHIDEBOHさんたちとリハやっての繰り返しが2年くらい続いたんだ、きつかったけど、それがあったから無理やり体に叩き込めたと思う。

浦上雄次THE STRiPESのステージは常に板の下にマイクが入っている状態で、モニターからもどんどん自分の踏む音が聞こえてくる。タップダンサーの人たちがものすごく行きたい場所にHIDEBOHさんが俺をヒョイと乗っけてくれたんだよね。でもその当時は、「うわ!俺の音が聞こえちゃう!やばい!これじゃミスれないじゃん!」て、今だから言うけどそーっと踏んでた(笑)。それがタップの最初。25歳くらいかな。

先輩という立ち位置になって伝えられること。


浦上

夢に一度挑戦したくて貯金を使って3ヶ月ニューヨークに行ったんだ、グループを離れてからは憧れのニューヨークで活動してみたかったんだ。

でも、ビザの取得にはお金がかかるし、時間もかかる。9.11のテロ以降からニューヨークは不法滞在に対して厳しくなっていた。いい弁護士を立てれば取れるのは聞いていたけど、そんなお金はもうなかったから、一度日本に戻って、その後ブラジルに行くことにしたんだ。

ボサノバのリズムでタップを踊ることもあるんだけど、ブラジルという国やラテン系の音楽にまったく興味がないと思って、「たぶん一生行かない国だろう。だったら、行ってみようか!」ということになってね(笑)。

浦上雄次カポエリスタのSHIBAくんに「俺たちを連れてってくれないか」と頼んで、俺は何も調べてなかったから、着いていったら気付けばサルバドールって山の中にいた(笑)。リオとかサンパウロだったら、オシャレなギタリストとかいてセッションとかしただろうに、いきなりビリンバウが鳴り響いてて「あれ?ブラジルってすごく田舎だね!」みたいな(笑)。およそ1ヶ月程の滞在だったかな。

ブラジルから帰国した次の日、TAKUYAから代々木にANCEという場所を作ったと連絡があった。ブラジルで見たホーダーていうセッションにすごく感動していた俺は、「ホーダーは毎週やっていた。日本人の俺たちもタップでやってみてもいいんじゃないか。」と思ってANCEではじめたのが足音っていうイベントだよ。毎週木曜日開催してて、今年で7年目だね。

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7年も毎週続いてるんだ!タップの練習会みたいな感じ?

浦上

いや、ちゃんとミュージシャンも呼んでショーとしてのセッションだよ。ステージを作って「じゃ、踊りたい人〜」っていったらタップダンサーが上がってきて、その場のノリでセッションしちゃう。タップはそれができる。曲はジャズでもポップスでもいいし。ピアノの人がギターの人を連れて来てくれたり、ピアノとパーカッションとドラムでやってるのが多いかな。

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足音はホーダーがきっかけだったんだね。

浦上

自分でもブラジルに何しに行ったのかなと思っていたけどね(笑)。でも、SHIBAくんがコントラ・メストレっていう師範代の称号をもらった時だったんだよ。俺たちは「うそ!?日本人でもらえるの!?」って思いつつ、皆で乾杯したよ。あれは一生忘れない思い出だね。

SHIBAくんが称号をもらったし、ブラジル滞在も最終日だからカポエラを見に行こうかと・・・その時のホーダーに感動したんだよね。

腰までドレッドの勢いのある若者と、お腹の出たポコポコ太鼓叩いてるおじいちゃんがいて、若手は勢い任せに踊ってた。俺は若干、若者を見てイライラしてた。そしたら、名前を呼ばれた太鼓叩いてたおじいちゃんが出てきて、若者とバトルしはじめたら全然おじいちゃんの方がすごくて、若手がタジタジになってたんだよね。

カポエイラにはヘジョナルとアンゴラがあるけど、若者が派手な技のあるヘジョナルで、それをアンゴラのおじいちゃんがいなしたから、俺らは「カポエイラは深いぞ」と思ったんだよね。

多分、カポエラマスターのモライスが、「あいつにカポエイラを教えてこい」っていう感じだったと思うんだけど、そういった部分が教育というか、教えというか。俺らも後輩はたくさんいるし、先輩という立ち位置になってきているからそういった部分をダンスで共有できた方が良いよね。

浦上雄次先輩たちから学んできたことを踏まえながら後輩に教えることってまた少し違うと思うし。最近は学校でもヒップホップを教える時代になってきたでしょ?まさかそんな時代が来るとは思わなかったけど、ヒップホップなんてものは学校の先生がステップだけ練習して教えるようなもんじゃないと思うんだ。

何でもそうだけど、文化発祥の背景には歴史があり、ちゃんとそれを勉強して受け継いでいくべきで、そこにある信念や精神的なことも教えないと意味がないと思うよ。

先輩たちから受けてきたバトンを次世代に渡していくのは表面的なものでもなく理屈でもない。自分たちがしっかり鍛錬して踊り合って見せていきながら、新しい展開を模索していけば良いと思うよ。
interview by AKIKO
photo and edit by imu
'14/08/23 UPDATE
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8/30(土)に浦上雄次(SUJI TAP)/佐田慎介(ギター)/Sunapanng(ベース)/庸蔵(サックス)出演!


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