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NAZUKI 〜 With All My Might 〜
NAZUKI 〜 With All My Might 〜
「NAZUKI」彼女の経歴を見れば、“ダンスで仕事をしている旬な人”であることは一目瞭然。数多くのアーティストに携わり、発表会の演出から、イベントのプロデュースまで幅広く精力的にこなすマルチダンサー。

誰もが「ダンスで食べていきたい」という気持ちを抱いている中、本当にダンスで食べていくことって・・・?ダンスのレッスンももちろんだけど、自分の描いた世界観にダンスがあって、制作側として携わる時にはプレイヤーとして出演する、そして若い世代を導く…。

いろんな人に影響力あるダンスの仕事に携わっていけたら素晴らしい。そんなダンス業界で生きている彼女が目まぐるしい日常を送っていることは容易に想像できるけど、彼女の“ど真ん中”にある精神とは・・・?「表現者として心に届かないと意味がない」と語るその眼差しに強さと暖かさを感じた。そういう精神の表現が一つ一つ仕事に繋がっているのだろうと。

NAZUKINAZUKI

安室奈美恵、BOA、Crystal Kayを始め NELLY、FERGIE 等の海外アーティストTのバックダンサーを務め、安室奈美恵,CRYSTAL KAY、JAY'ED、Sowelu、Melody等のコレオグラフも手掛けているシーンを代表するダンサー、NAZUKI。

映画や CM、雑誌などにも出演するなど多数の経歴を持つ。2003年 『SILLY』を結成後 クラブシーンにおいて、現在もソロやユニットなどで活躍し、多くのファンを魅了し続けている。また最近では、自らのアパレルブランド『MNLCS』を立ち上げ、パーティのオーガナイズも努めるなどマルチな才能をシーンに発信し続けている、まさにエンターテイメントダンサーと呼ぶに相応しいアーティストである。

クラブもレッスンもたくさん通ってました。

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ダンスを始めたきっかけから教えてください。

NAZUKI

NAZUKI母親がやっていたこともあると思いますが、3歳のときに教育テレビやひらけ!ポンキッキなどのダンス番組を見ていて、私がすごく体を動かしていたみたいで、それを親が見てダンスをやらせたいなと思ったらしく、それからですね。

ダンススクールに通わせてくれて、まずはモダンバレエから始めました。当時ヒップホップのキッズクラスなどはなかったので、ダンス教室みたいなところの子どものバレエクラスに入りました。

地元にダンス部に力を入れている中学校があったので、そのダンス部に入りました。コンクールで3年連続優勝するくらい強かったので、毎日朝練から晩まで踊っていました。そのときに、ブラックミュージックを機会があり、「カッコいい!」と思い、オムニバスのCDを買ったりしてはまっていきました。

高校に入ってクラブや夜遊びをするようになり、地下から上までクラブが入った六本木のスクエアビル内のR!?Hallとかに通っていました。KOJIさんとSAMさんがオーガナイズをしていたイベントとか、先輩がハウスをしていたのがきっかけで、ハウスにはまっていきました。実はいきなりヒップホップではなく、ハウスがカッコいいと思ったからストリートに流れていったんです。

17〜18歳の頃はAOYAMA NIGHT, WORLD WIDEなどイベントが盛り上がっていたので、よく観に行っていました。高校ではモダンダンスをメインにやっていましたが、Mo’paradiseも出ていたCITTA’のイベントでRYONRYONさん、Yoshi2さん、薫さん、浩子さんが一緒にやってたショーを見てジャズをやろうと思い、卒業してからWINGに行くようになりました。最初は佐久間さんや石川浩子さんや薫さん、冬子さん、JUNさんを受けていました。

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いい・悪いの話ではなく、WINGの生徒の子の中ではレッスンや発表会の優先順位が高いというか、クラブになかなか来ないイメージがあったんだけど・・・?

NAZUKI

それはあるかもしれないですね。でも、私はレッスンもクラブも両方行ってました。昼間はレッスンに行ったりしつつ、クラブがすごく好きだったので、毎週火曜日HARLEMのRED ZONEに1人で行ってたし、そこでSTEZOくんやたっちゃん(TATSU) とかと仲良くなりました。

メインはジャズに力を入れていたんですが、だんだんヒップホップが好きになってきて、いろんなジャンルの先生を受けるようになりました。

恩師・YOSHIEに見抜かれたこと。


NAZUKI

NAZUKI中でも、YOSHIEさんは私の中でものすごく大きいです。女性ダンサーの中でも本当にピカイチだと思うし、精神的・人間性の面でもたくさん教わりました。

22〜23歳の頃、「これで発表会に出るのは最後にしよう」と思って出た発表会で、YOSHIEさん以外にも5ナンバー出ていて、そのときちょうどBOAちゃんのツアーのリハーサルとも重なってしまったんです。

どちらのリハもなかなか出れず、皆には迷惑をかけそれでも振りは覚えなきゃいけないし、自分的にも辛かった。時間的にも追われて、次の現場に行っては覚えて、また移動して覚えて・・・自分を見失って、心ここにあらずで、どうしたいのかわからなくなりました。

それをYOSHIEさんが見抜いて、一回話したことがあって、「私は同じ作品を踊る上で、誰かが悲しんでいるのは嫌だし、皆が同じ気持ちでナンバーを踊りたいから、NAZUKIが辛そうに見えるし、このままだとダンスが違うものになっちゃうと思うよ。」と言われて、ハッと気づかされたことがあります。

そのとき泣きながら話したことですごくプッシュアップされて、そこから「一生懸命やろう!」と気持ちで晴れて踊ることができました。

今、自分が教えたり、発表会でナンバーを出させてもらう立場になって、「あ、YOSHIEさんはこういうこと言ってたな」「こういう意味で言ってくれたんだな」って思うことがあります。

そういう意味で、先生と生徒という関係でもリスペクトしていますし、ダンサーとしても、私がやっているジャンルは違えど、単純に踊っているわけではなく、ミュージックを体で感じて表現しているというか、音楽を奏でているというか、観れば観るほどその力も増している気がします。あの人は本当にすごいなと思いますね。

温かい気持ちを常に持ち続けて踊りたい。


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ダンサーとして何か心がけていることはありますか?

NAZUKI

NAZUKIダンスは言葉を話さないので、自分の頭の先から足の先までを表現するものだと思っているので、そういった意味でメンタルがかなり重要視される気がします。スキルが高い人は多いと思いますが、表現者として心に届かないと意味がないと思っています。

感謝の気持ちだったり、常に自分がピースでいられたり、仲間を大切にしたり、ダンスや家族、恋人への愛だったり...何でもいいんですけどそういう温かい気持ちを常に持ち続けていたいなと思います。

やっぱり忙しくなればなるほど、大切なものを見失ったり、カリカリ、イライラしたりしがちなんですが、せっかくの表現者であれば常にクリーンでいたいなと思ったし、クリーンでいられるからこそ表現者として発信できて、それが伝わって受け入れられるような気がします。

感情の浮き沈みが激しくならないよう平常心を持ち、人やダンスへの思いやりを持ち続けることが、ダンスをしていく上で大切なことだと思います。その気持ちは年を重ねるたびに増していますね。

もちろんスキルアップすることも大事ですが、そればっかりになるのも違って、総合的なダンサーになれたらいいなと。

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最初に仕事をもらったきっかけは?

NAZUKI

最初はBOAちゃんのバックダンサーのオーディションがきっかけですね。それまでは19歳くらいのときにキッズクラスを教えたりはしていましたが、BOAちゃんのオーディションを受かったことがきっかけで、いろいろ仕事が広がっていきました。それがなかったら…と言うと大げさかもしれませんが、今となれば、そのおかげで自分が大きく変わりました。

オーディションの情報もなかなか全ダンサーには伝わらないし、それを知ることができた縁や、受けられたタイミングが良かったんだと思います。

オーディションを受けて受かることってスポーツ選手と同じだと思います。約1分間の踊りをそのときの勝負でどう踊るか、その1分に賭けられていて、その勝負に勝てば極端に言えば人生が変わる・・・それってレースで勝てばオリンピックに出れるスポーツ選手と同じだなって。

その1分でいかに自分が出せるかの、まさに自分との勝負。実際私がオーディションを受けているときは、そこまで考えることもできず、ただがむしゃらで、「絶対受かりたい!やってやる!」の気持ちだけでしたけど。今となってはそう感じますね。

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今ではオーディションの審査員をする立場でもありますが、受かるのはどういう基準で選んだりしますか?

NAZUKI

やっぱり光るものを持ってる子には自然に目が行きますね。みんな「やってやる!」の気持ちはもちろんあるんだけれど、中でも輝くものを持ってる人には、オーラというか、輝かしいものがあります。

それこそさっき話した、言葉を使わず体で表現するダンサーなので、メンタルな部分でのクリーンでピースにいられる子がそういうものを持っているんじゃないかなと思います。もちろん、それがすべてではないとは思いますが。

思い描いたものを作品にしてくれるのが嬉しい。 


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仕事をいろいろやられている中で、お金をもらう立場として自分のダンスを必要とされるときに、何か気をつけていることはありますか?

NAZUKI

NAZUKI私のやってきたダンサーの仕事は、アーティストのバックダンスや振付、ファッションショーのステージングや演出など、誰かのサポートという形がほとんど。自分の踊り発信ではなく、誰かの頭の中にあるものをよくするため、という形が多いです。自分を出しすぎてもダメで、あくまで、サポートする、本人をよくするという観点を考えて、そういう立場を考えた上で踊ったり振付や演出をしたりします。

逆に、クラブのショータイムとなると、自分がスターになれるように、自分がやりたいことを一生懸命話し合って、その結果産み出します。二つの自分がいる感じですね。

最近はどちらの自分もすごく好きで、アーティストやステージをよくするためのプロデュースをするのがすごく楽しいんです。振付や構成、衣装、空間のクリエイティブにゴールはなくて面白いし、思い描いたものをアーティストやダンサーの子たちが作品にしてくれるのがすごく嬉しい。

先生、プレイヤー、振付、制作・・・ダンサーってすごく奥深いし、本当にマルチだと思います。それまでプレイヤーばかりだったときには感じられませんでしたが、この歳になってやっといろんなことをやらせてもらえるようになって、今はどんなときも自分がメインでありつつ、いろんな自分でいられるのが楽しいですね。

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過去の作品の中で思い入れのある作品・エピソードはありますか?

NAZUKI

うーん、、、一つ一つに愛がないと作れないので、どれも思い出深くて選べないですね。しいていえば・・・ミュージックビデオは短期間ですが、ライブやツアーは3〜4ヶ月作品に対して向き合って振付や演出を作るので、すごく思いいれは強くなるかもしれません。

あとはスタジオの発表会作品でも、私はムチャクチャ感動しますね。まず、自分のナンバーに出たいといってくれる子が30人くらい集まって、知らない子同士がどんどん仲良くなって、そこにはドラマがあって・・・

ついこの間の発表会のリハ中に、生徒が1人妊娠して結婚することになりました。私は辞めてイイよって言ったんですけど、「いや、コレでダンスを最後にするので、できる限りやりたいです。」と言って、結局本番も出たんです。偶然にも作品の最後がR&Bで感動的な曲だったので、お腹の赤ちゃんのため、ダンスを最後にする彼女のため、生徒みんなの気持ちも余計にさらに固まって、一致団結しました。皆で涙して、ダンスをやってたからこそのドラマだなと感動しました。

コツコツと頑張っていれば、人に出会って、おのずと道は開ける。


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今後具体的な目標はありますか?

NAZUKI

NAZUKI海外のアーティストの振付ができればそれは夢のような話だと思いますが、それをしたければたぶん今私は海外に行ってると思うので、そういう具体的な大きな目標は特にないです。

日本にいるので、引き続き振付や演出はやっていきたいと思うし、そうして制作としてもプレイヤーとしてもいろいろな経験を経て、今度は自分が空間をプロデュースして、自分がメインだったり、若い子たちをフックアップしながら、ハングリー精神を持ってもらえるような、そういう空間でダンスを披露してもらえるような環境作りたいです。最近はクラブでしかなかなかできませんが、自分のクリエイティブを広げていって、いつかは大きい場所でやってみたいですね。

でも、たとえ高望みでも、夢を持ち続けて、コツコツ努力しているうちに、不思議なことに、その夢を叶えられるような環境の人と出会っていくんですよね。

自分もそうであると、自分が必要とする相手と出会うもので、そういう縁が必ずあるんですよね。自分が洋服のブランドを手がけるようになると、それに関係した人たちと出会うようになりましたし、コツコツと頑張っていれば、おのずと道は開けるのかな〜なんて思います。

本当に、ダンスってすごいですよね。昨日KEITAがマイケルトリビュートイベントでL.A.から一時帰国していたので、みんな熱くて熱くて、語る語る!!ダンスに熱い仲間がいて嬉しいなって思いましたね。

NAZUKI流・試練を乗り越えるために。


NAZUKI

私は結構深く考えないタイプで、思ったらすぐやりたいんです。その結果、アリでもナシでも、自分にとっていい経験だし、自分が傷つくことで、人の痛みもわかる。何事にもチャレンジしたくて、何でもやろう!というスタンスを昔から心がけてます。

悩みがあっても、自分に乗り越えられない悩みは絶対にない、と思うタイプで、自分だからこそ起きる悩みだし、乗り越えるべき試練なんだなと思います。

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今までどんな試練があった?

NAZUKI

自分が描いていることとまったく違った形で返ってきたりとか、人間模様で辛いこともあったりしました。それを人のせいにするのは簡単で、そこで、自分はどうだったのかな、どうするべきだったのかなと振り返れる人ってなかなかできないと思うので、自分はそうありたいと思っています。

こうしたら人は嫌がるだろうな、こうしたら喜ぶだろうなと、人の気持ちがわかったり、思いやったりできれば、いろんな試練を乗り越えられると思うし、成長できると思います。私は一般企業に就職もしたことがなく、ダンスを通して人生経験を学びましたが、ダンスをやってきて、ダンサーになれてよかったなって思いますね。

ただ、いまだにダンサーの扱いが軽視されていると感じることがありますね。隣の韓国では既にダンサーのエージェンシーがきちんと成り立っていて、ネイルやヘアサロン代もちゃんと保障されていますが、日本ではすべて自分たちが負担。バンドメンバーなどのミュージシャンよりもギャラは低いけど、日々のトレーニングや体形維持などのコンディションケアは、それなりに時間とお金がかかっていて、ダンサーを本当に必要とされているのであれば、それなりの扱いをされてもいいのになと思います。

ニューヨークのタイムズスクエアでは毎日ミュージカルが上演され、そういう娯楽にお金を惜しまず、経済的にも成り立っているし、エンターテイメントからのエネルギーを吸収して元気になろう!と思う人がすごくたくさんいるということなので、すごいことだなと思います。日本でもそういう風に娯楽にもっとエネルギーやお金を惜しまないようになれたらいいなと、思いますけどね。

やりたいことは全身全霊込めてやる。後悔しない人生を!


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最後に読者に向けてメッセージをお願いします。

NAZUKI

NAZUKIやりたいことは全身全霊込めてやる。ダンスだけじゃなくてもイイ。何に対しても。何かやりたいと想うコトがあったら、それに対して無我夢中に一生懸命にやることが一番大事。諦めず、努力してそれに対して思いを注いで、まずやってみてほしい。「やりたいけど・・・」って言い訳とかをしてる場合ではなく、やってみることで、新しい自分に出会えたり、新しい出会いがあって、いろいろ産まれてくる。

人生は一度きりですから。自分の人生を楽しむのは自分次第であって、後悔しない人生を送ってほしいと思うので、少しでもダンスに触れたいと思うんだったら、まずはチャレンジしてみてもらいたい。その後に自分に合うか合わないかがわかると思うので、まずはやって決めて欲しいですね。

私はけして裕福な家庭ではなく、片親で育って、その分ハングリー精神があるのかもしれませんが、自分が人一倍頑張らなくちゃいけないって思っていました。週末家族で旅行に行ったり、食卓を家族で囲むという思い出がなかったので、すごくコンプレックスがありました。

でも、今思えば、昔からダンスをやっているときはそういう嫌な自分を忘れて、自分が自分でいられた。だからこそ続けられてたのかなと思います。

すごく辛かった分、その弱みを見せるのが嫌だったし、だからその分頑張ろうって言う底力が強かったんでしょうね。

去年、一緒に住んでいた大好きなおばあちゃんが95歳で亡くなったんですが、私はすごくおばあちゃん子で、おばあちゃんと遊んだ記憶がたくさんあります。亡くなった日、自分は本番で立ち会えなくて、本当にどうしようかと思って悩んだ結果、おばあちゃんのために踊ろうと思って踊ったんですが、そのときのダンスはすっごく楽しかったんです。とても気持ちがすっきりしました。

おばあちゃんは私のダンスを応援してくれていて、「思うように生きなさい」と言ってくれていたので、すごくプッシュアップしてくれていました。発表会や舞台、テレビなどにすごく喜んでくれていたから。おばあちゃんのおかげでダンスを頑張れた部分も大きかったです。

死に顔はすごく穏やかで、後悔しない人生をおばあちゃんは送ったんだなとわかりました。自分も一日一日を後悔しないように、ダンサーとして仕事をするようになって、ダンサーとしてあるべき姿とか、ダンサーとしていろいろなことを伝えていけたらなとさらに実感しました。

客観視すると、こんなにダンサーがいる中で私にリスペクトを持って習いに来てくれる生徒がいるって本当に感謝だしすごいことだなって思います。生徒や仲間の皆と出会えたことは、何かしら縁があるなって思うし、そういう周りのみんなを大事にしてあげたいなって思います。

先のことなんて、わからないし、こうなりたいと思ってもどうなるかわからない。だったら、今を一生懸命に生きようと思います。そうすると、おのずと道が開けたり、そういう仲間と出会えたりするだろうなと思うので。

TDM

今日はありがとうございました!
'10/08/12 UPDATE
interview & Photo by AKIKO


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