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今回、登場するのは、あのハウス界の大御所、『ROOTS』の『Koji(コウジ)』です。今から7、8年前の第2次ダンスブームの際にZOOのメンバーとして一世を風靡し、またJSBでもニュースークルーヒップホップの担い手として活躍、そしてその後N.Yからハウスを日本に持ちこんだ人物であります。あおやま個人的にもファンでして、今回のインタビューはかなり楽しみにしておりました。そんなわけで、今回は長文でお届けいたします。 |
ダンスとの出会い |
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ZOO時代にTV『DaDa』を見てKojiさんのことを知りましたが、ダンス自体にはいつ頃から関わっているのですか? |
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もともとダンスの世界に入ったのは、『フラッシュダンス』(83年日本公開)がきっかけだったんだけど…僕ぐらいの年代の人はみんなHipHopカルチャー・ムービー※に影響されて踊りに入ったと思うんですよ。 |
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※HipHopカルチャー・ムービー:『Wild Style』『Break Dance』『Beat
Street』が御三家として有名。 |
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僕は自他ともに認める、ダンサー界きっての映画好きで、まあそれで映画をよく見ててね。それでたまたま『フラッシュダンス』のワン・シーンで人生が決まったようなもんですね。(笑) |
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遍歴 |
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クラブとかよく行ってましたね。もともと僕が一番行ってたのは…17〜18歳の頃は『ゼノン』(新宿 現『CODE』)とか『ラスカラ』(渋谷)とか…まあディスコの時代の頃ですね。当時のclubシーンは、今みたいにHip-Hop、Houseといったように分かれてなく、全部一緒くたに流れてたんですよ。その頃Hip-Hopテイストの曲をFunkyMusicと言ってたんだけど、1時間に1曲くらいしかかからない。ストレス溜まっちゃってたんですよ。それが18歳の頃、渋谷に『HipHop』というclubがオープンして…僕が知る限りじゃ、そこが初めてHip-Hopカルチャー中心のclubだったんじゃないかな。DJたちもコスったりすることを目指しはじめたし。 |
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その頃のダンスシーンはどんなカンジだったんですか? |
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やっぱり、日曜日が熱かったと思う。昼は原宿ホコ天、夜は『B&B』(新宿)というディスコにブレイカーが集まってた。 |
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いやー、踊りをやめて、玉突きに凝っちゃったんですよ。ハスラーになろうと思って。 |
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何十年か前に『ハスラー』(THE HUSTLER '61年 ロバート・ロッセン監督ポール・ニューマン主演)というモノクロ映画があったんですよ。それを見てハマっちゃったんですよ。いや本当に映画の影響受けやすくてね(笑)。こりゃかっこいーや、これが俺の生きる道だとか思って。2年くらいやってましたね。 |
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もうclubはぜんぜん出なかったですね。戻ったのは23歳くらいの頃かな。ふとしたキッカケでショーパブで働くことになって、そこには今有名なメンバーがいろいろいたんですよ。でJazzのチーム組んで。 |
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ダンスの遍歴としては、ブレイクダンスで入って、Jazzをやって、次にヒップホップというカンジですか。 |
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そうですね。80年代終わりにニュースクールのブームがきたんですよ。ボビーブラウンとかMCハマーとか。そのときに僕は『サーカス』(六本木、現『クワイル』)でよく遊んでいて、『Bobby』と出会ったのもそこですね。そしてコンビを組んで、ロスのLAスタイルをやりましたね。ZOOのメンバーやBobbyと一緒にニュースクールの土台を作ってきたキッカケがそれですね。 |
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LAスタイルというと、ホーシングのことですね。 |
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あ、そうそう、日本ではホーシングって言われてましたね…向こうではL.Aスタイル。24歳のときに『ZOO』に入って…9年前ですか…LAスタイルを盛り上げていったという。その後ZOOを抜けてから『JSB』(Japanese
Soul Brothers)というチームを結成しました。今はメンバー変わってますけど、その頃は僕とBobbyと、ZOOの『ヒロ』と『ルーク』の4人でやってました。この4人でBobby
Brownのバックダンサーをしたことはけっこういい思い出ですね。 |
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へぇ、さすがすごいですね。いつ頃のことですか。 |
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