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Kento Mori / Sohey 〜 Promising Young Dancers 〜
Kento Mori / Sohey 〜 Promising Young Dancers 〜
2006年に名古屋から、2007年に北海道から、単身渡米した若者たちがいた。そして、2008年、Kento Moriはマドンナ、Soheyはブリトニーという著名アーティストのバックアップメンバーに選ばれ、年末年始に凱旋帰国。それぞれのTDM独占インタビューではこの二つの若き才能にクローズアップし、今のアメリカ・LAを生きる新鋭たちの心を覗かせてもらった。

KentoKento Mori

2006年、単身渡米。2007年、TRIO TALENT AGENCYと契約、数々のUSアーティスト、ミュージックビデオ、ステージまたはクラブシーンなどの仕事をこなす。Omarionのバックアップダンサーにまで選ばれるも、当時のビザの関係でそのチャンスを逃すが、2008年、渡米1年半にしてアーティストビザを取得。その後NBA HALF TIME SHOWでのパフォーマンス。 ハリウッド映画“Squeegee Lo”出演をこなし、MADONNAのプロモーション・ワールドツアーダンサーに抜擢され世界中を周り、現在に至る。

SoheySohey

1998年、地元北海道でダンスをはじめる。コンテストやソロバトルなどで優勝するほか、2004年、東京で行われたDance Tribe Grand Prixでは特別賞を受賞。2007年、単身渡米し、ダンスのスキルに磨きをかける。有名振付師 (Roger Lee, Wade Robson, Tony Testa, Tucker Barkley など) の作品に多数参加、LA最大ダンスショーケース「CARNIVAL」にも、ほぼ毎月ピックアップダンサーとしてパフォーマンスを披露。2008年、Andre Fuentesに見初められ、Andreのアシスタントとして、最近では Britney Spearsのミュージックビデオ「Womanizer」「Circus」に参加、Britney 本人のアシスタントをつとめる。ダンススタイルは、Jazz funk / Hip Hop / Wacking / Houseなど。

Soheyのインタビューはこちら


この一年を待ったら
大きなものをミスする感じがした。。。

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まず、ダンスをはじめたきっかけは?

Kento

もともと母親やおばあちゃんの影響でマイケル・ジャクソンやスティービー・ワンダー、レイ・チャールズ、マドンナなどの音楽を聴くのが当たり前にある環境で育ちました。幼稚園の送り迎えの時の車で母親がガンガンかけてたのを覚えてます。

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お母さんがファンキーなんだね。

Kento

そうですね。ダンサーじゃないですけど、ダンスがすごく好きで今でもソシアルとか習って踊ってますし。

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じゃあ、ダンスに対しては反対されなかったんだね。

Kento

Kentoいや、もうまったく。思春期の12・13歳の頃からクレイジーなくらいマイケルが好きなのを知ってたし、ミュージックビデオを見て真似するっていうのは中学・高校でやったりしてました。だから、大学に入ったと同時に好きなことができる!っていうのは当然の流れで、それは理解してくれていました。

進学で東京に来て、一番最初に見学に来たスタジオはジールだったんですけど、そこでクラスを受けるまで、ダンスの技術的なところを地元・名古屋ではやったことがなかったんです。スタジオはあったんですけど、マイケルとかを見ていたので、やるなら本場アメリカでやりたいという意識があって、名古屋では通いたいって思わなくて、一人でいろいろ馬鹿みたいに遊んでばっかいましたね。“今日は一万人の前だ!”ってコスプレしたりしてました・・・ホント馬鹿ですけど (笑) 。

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東京にはどれくらいいたの?

Kento

大学3年の終わりまでなので、3年間ですね。向こうに引っ越したのは2006年の4月。それまでも、休みができてはLAに行き、帰ってきたら次に行くための準備をするって感じで、短期で5回くらいLAに行ったり来たりしてました。

大学に入るまでが俺の目標だったので、入った瞬間に何が一番やりたいかがわかっていて、親の卒業してほしいっていう想いなどもいろいろ考えて悩み続けました。でも、3年生のときに、あと1年なんだけど、もう我慢できなくて、この一年を待ったら何か大きなものをミスする感じがして、大学をやめてLAに行くことにしました。

でも、引っ越す前にTOSHIさんとかLAに詳しい人と出会えていたおかげでLAを知ることができたから、すごく助かりました。

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ところで今回は何で日本に?

Kento

最低1年に1回は家族、おじいちゃん、おばあちゃんに顔を見せようと思って。プラス、ダンスのワークショップで日本のダンサーに触れ合えるのもありますけど、メインは家族に会うためですね。

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LAは自分に合ってますか?

Kento

Kento向こうは気候も合うし、僕のことをわかってくれる人も多い。人間の部分で接せるというか、すべてが上手くいってます。1ミリもLAに来た後悔はないですね。今俺がやってることに関しては、本当にあそこが自分に合ってる。

日本ではフラストレーションがあって、孤独を感じてました。好きな音楽やエンターテイメントでのズレが見えて、自分の好きな物を同じように好きって言ってくれる人が周りにいなかったから。自分はダンスが好きと言うよりも、もっとソウルなもの、ピュアなものが好きで、そこをわかってくれる人たちがLAにいるから、合ってるんだと思うんですよ。単純に話が合うし、すごく楽しいですね。

自分のことをわかってくれるし、相手のこともわかる。ジャンルが違おうが、人種が違おうが、年齢が違おうが、関係ないですね。ダンスがなかったら相手もハングアウトしてこないと思うし、ダンスのおかげで、お互いをリスペクトできる部分がある。お互いにいい影響を与え合えるから、時間を共有する。お金が発生するからとかではなく、無償のリスペクトですね。俺も23歳ですけど、精神年齢がすごくガキで、いい意味で向こうもかなり子供なんで合うんですよ (笑) 。

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最近のLAはどうですか?

Kento

俺が普段スタジオに通わないし、この一年ツアーでLAにいなかったのでわからないところもあるんですが、僕自体は、あの相変わらずのゆっくりとした暖かい時間はすごく好きです。

「この仕事とってやる、これはオレが踊るべきだ!」

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今回のマドンナのツアーにはどういうきっかけで?

Kento

オーディションですね。2007年に契約したエージェンシーからの情報です。

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どんなオーディションでしたか?

Kento

俺の中では他のオーディションとそこまで変わらない印象だったんですけど、行ってみたらやたら人が多いから、「何でこんな人がいんの!?」って感じで、男も女も関係なく、普段オーディションを受けないダンサーまでみんな来てたから、とにかく人が多かった印象ですね。

その日、風邪も引いてたし、エージェンシーからも「マドンナのNext Big Projectよ」しか言われなかった。ビデオの撮影か何かかなと思って、友達と見に行くだけ、と思って行ったら、そんな人の数で、どんな大きな仕事なんだろうって思いました。俺の番号が800番台でしたからね (笑) 。結局LAだけで1000人くらい受けたらしいです。NYでもやったみたいですけど。

そしたら振付がTone & Richmond (トン&リッチモンド) で、彼らがツアーのメイン振付師で。彼らがマイケルと仕事をしてきたってことは知ってたんですけど、踊りはそんなに見たことがなくて、アシスタントとステップをやってるのを見て、自分の得意そうな感じじゃなくて、「帰ろうかな」と思ったくらいなんですけど・・・結局、こうなっていました。

Tone & Richmond (トン&リッチモンド) :
両者共にマイケル・ジャクソンのバックアップをはじめ、Madonna、Kylie Minogue、Missy Elliot、Black Eyed Peas、Usher、Jennifer Lopez、Gwen Stefaniらのライブ・ビデオ・TVショウ、映画『Save The Last Dance』などの振付・出演として有名なコレオグラファー。



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具体的にはどういう選考だったの?

Kento

Kento全部で六次審査まであって、初日は二次審査で、二日目は彼女 (マドンナ) も三次審査から来て、本人も見て決める形になりました。

まずは、とにかく振り移しをバンバンやっていきました。メインの部屋、個別の部屋に分かれていて、アシスタントが個別の部屋で振り入れ、振りをもらったらメインの部屋に行ってオーディションをし、それで受かった人たちは待合室や外で待っています。その間にも新しい振入れが別の部屋で始まり・・・っていう流れ作業ですね。

一次審査は4×8の振り、プラス、フリースタイルをやりました。二次審査にはそこに振りが足されました。曲は『Hung Up』で、一度に6〜7人で踊りました。

自分が踊ったあと、審査員がスタンディングオベーションだったので初日で手ごたえは感じていました。これは後から聞いたんですけど、トン、リッチも初日の俺を見て、受かるだろうって思ったらしく、二日目はマドンナ本人に呼ばれて「Good!」って言ってもらえたりして、友達にも「俺、イケるかも」って言ってました。

2日目の三次審査が先行シングルの新曲『4minitues』で、それ聞いて、「この仕事とってやる、これはオレが踊るべきだ!」って、その時初めてエンジンかかりましたね (笑) 。

三次から男女合同になったんですけど、結局200人ずつ計400人くらいで、初日から考えるとかなりカットされてました。四次審査まで振りとフリースタイル、五次審査は前日の『Hung Up』の振りも追加で2つの振付、プラス、フリースタイル。で、六次審査がフリースタイルだけ。

彼女は、ダンサーを人形みたいにバックアップとしては見なくて、個人でどういう人かを見て、キャラクターで取る人。インディビジュアルというか、ダンサーの個性が見たくて、そういう審査になったんだと思います。

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どういうフリースタイルをやったの?

Kento

Kento Moriをやりました (笑) 。

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自分のどういうところが評価されたんだと思う?

Kento

彼女が好きなのはオンリーワンなダンサー。代えの効かない、このダンサーはココにしかいないといったスペシャルな存在が好きだと本人が言ってました。だから、彼女にとって俺がそう思わせるものだったんじゃないかなと思います。

僕はバックアップダンスにはあまり興味なくて、自分個人、Kento Moriで見せれる踊りをしていきたいと思っているから、俺のスペシャリティは“俺の踊りができること”だと。誰の真似もしたくないし、彼女はそれを求めてるアーティストだったから、それがマッチしたんだと思います。

オーディションも変なものもいっぱいあるし、どんなオーディションも受かりたいって気持ちで受けてないし、なぜかわからないけど、「この仕事は取りたい!」って思ったオーディションには大体受かってきたんです。そのためにすることは特にないんですけど、気持ちが違うのかな。やっぱり「この仕事興味ないや」って思うと、一次審査とか早い段階で落ちましたね。だから、受かる秘訣としては相性かなと。


理想像を解きほぐしていくだけの作業。

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Kento Moriを創る為に心がけてることってある?

Kento

俺の中で、Kento Moriっていうのは、できてるんです。できてるんだけど、後はそれを解きほぐして、広げていくだけの作業って感じで。どんなスタイルでも自分色に変えて出していきたい。着せ替え人形にはなりたくない。踊りを見て、Kento Moriだ!って思われたいし、だから、自然と他のダンサーより、自分に向き合って踊ることが多いと思います。

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己と向き合うって、練習は一人で踊ることが多いの?

Kento

一人で踊るの、すごく好きです。自分の好きな音楽かけて、自分の好きな服着て、自分のノリに乗る。自分の中から出てくるものを自分で表現するというか。

もちろん友達や周りのダンサーから影響を受けることもいっぱいあるけど、それをそのまま使うのは嫌だし、この先も絶対ないと思う。

自分を表現するのに、もともとのKento Moriっていうのはあると思うから、それを出すための手段としていろいろ学んでいこうとしていくというか、大きくしていくというか。

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そういう作業はダンスだけ?生活にもリンクしてるの?

Kento

俺はわがままだから、好きなように過ごしてて、LAにいてもクラスは受けないし、人の踊りばかり見るのも好きじゃない。Youtubeとかも好きじゃないし、やっぱり生で見るものを大事にしたいし、技術的なところはあったほうがいいけど、もっと本質的なものを深くしていきたい。心の目をもっともっと開いてあげるというか。

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その感覚いいね。あなたらしい意見が聞けてこちらも楽しいです。じゃ、日本のダンスシーンをどう見てる?

Kento

Kento今回はむつん (サーブ) と仕事をしたことで、初めて日本のダンサーを見たというか、もっと早くに触れ合っておきたかったと思ったし、今回のワークショップ中に大阪・名古屋・東京で触れ合えたらとも思ったんですけど時間がなくて。もっといいダンサーがいると思うんで、チャンスがあれば見てみたいです。

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日本に戻ってくる考えはある?

Kento

日本に永住する感覚は今はないですね。あるとすれば、それは家族のためにいてあげたいと思ったときだと思います。

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日本でのショウタイムも考えてない?

Kento

実は、今まで人生で一回しか自分で創ったものを見せるショウタイムをしたことがないんです。それまでやるきっかけがなくて。LAに行く直前にOH GIRL!のNaNaさんとNANAKOさんが機会を与えてくれてその一回きりですね。最初から興味がなかったのかもしれません。

“Kento Mori”のスタイルを確立していきたい。

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なるほど。では、今後はどういう生活にしていきたい?

Kento

ツアーを回っていて感じたのが、バックアップダンサーはやっぱり自分のやりたくないこともあるけど、仕事として割り切ってやらなくちゃいけない。俺はやっぱり、自分の踊りをやりたいんです。自分の踊りをもっとどんどん大きく広げていきたいですね。

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それはコレオグラファーになればできる?

Kento

そうですね。振りを作るのもすごく好きで、人の振りを踊るのはあまり好きじゃないので、将来的には自分の踊り、“Kento Mori”のスタイルを確立していきたい。それで人に認知されたり、インスピレーションを与えていきたいです。

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具体的にそのための目標ってある?

Kento

Kento一番の目標、人生の目標は、マイケル・ジャクソンと仕事をすること。彼が俺を見て、彼が「この子の才能を使いたい」ということでやりたい。でも、あまりこうやって公に言ってしまうと実現しない気もするんですけど (笑) 。でも、これが俺の人生の目標です。

まぁ、でもとにかく、俺はマイペースに好きなようにやってくのが一番いいかなと思います。今は切羽詰ってもないので、自分に向き合って自分の踊りを見つめようかなと思います。

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日本で“Kento Mori”を見たい人もいると思うので、生で見れる日を楽しみにしてます。今日はありがとうございました。
'09/03/03 UPDATE
interview & photo by AKIKO
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