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海外公演特集 Part1 DAZZLE・飯塚浩一郎 〜 もしも世界を目指すなら。 〜
海外公演特集 Part1 DAZZLE・飯塚浩一郎 〜 もしも世界を目指すなら。 〜
コンテストやバトル、バックダンサー等で活躍することが「ダンサーとして成功している」という実績に見えるところがあるけれど、新しい活動のひとつとして自主公演を成 功させていくことも、今後視野に入れていきたい。いわゆる、すべてに共通しているのは「自分のファンを作り、流行りで終わらせない」ということだろう。

実際、舞台公演作品を出展するフェスティバルは世界で多く行なわれており、世界に評価される場所になっている。どうしたらそのような機会にチャレンジできるのだろう?いろんなケースがあるけれど、やはりチャレンジしてみないとはじまらない。海外公演を3回経験したDAZZLE飯塚浩一郎くんにいろいろ話を聞いてみた。

飯塚浩一郎飯塚浩一郎

株式会社博報堂で、コピーライター・CMプランナー ダンスカンパニーDAZZLEでは、ダンサー・脚本・映像・プロデュースを担当。

ダンサーでありながら広告クリエーターでもあるという特性を活かし、CM・PVでダ ンス企画を手がける。 日産「ROOX」のCMでは企画・振付を担当。 Sony「Recycle Project Jeans」ではカンヌ広告賞シルバーを始め、国内外の広告賞 を多数受賞。 同企画内のWebムービー「Recycle Dance」ではDAZZLEを起用し、自らも出演。 アジア最大の広告祭アドフェストで、フィルム部門ファイナリストに。

DAZZLEでは、脚本を担当した舞台「花ト囮」で、演劇祭グリーンフェスタグランプ リ、若手演出家コンクール優秀賞を受賞。 同作品で、韓国SAMJOKOアジア演劇祭、世界三大演劇祭の一つであるルーマニアのシ ビウ国際演劇祭にも招聘される。 また、2011年にはコンテスト「シアトリカル」、「LegendTokyo」(DAZZLE主宰・長 谷川達也作品)で優勝。

●DAZZLE Official Web site
http://www.dazzle-net.jp/

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DAZZLEが舞った世界の舞台。 

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前回のインタビューがCM制作のときかな?2年前と大きく違うことってなにかある?

浩一郎

うーん・・・ダンス全体の話でいえば、ダンス界以外の人が、ダンスに目を向けてくれるようになったことでしょうか。

特にDAZZLEの場合、ダンス界でも異端児というか、ストリートダンスのメインストリームでもない。かといって、コンテンポラリーでもないので、業界内では、“常に何か変なことしてる人たちだよね”という感じだったと思うんですけど、それが、どちらの業界からも評価されるようになりましたし、外の人たちからも知られるようになりました。

昨年優勝したLegend Tokyoやシアトリカルのように、作品性や社会性など僕らが追求してきたことに近いコンテストも生まれましたし。それに、僕らが海外で公演を重ねてきたことも大きいのかなと。


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今回はストリートダンサーが海外で公演することをどういう風に実現していけるのか、DAZZLEの経験から聞けたらなと思ってます。

浩一郎

語るべきことがいっぱいあります。DAZZLEが舞台をやりはじめたときから、海外でやりたいっていう話はしていました。「海外のほうが受ける」と言ってくれる人も多かったので。

でも、なかなか難しいじゃないですか。ストリートダンスのチームが海外に行って10分間ショータイムをするのは気軽ですが、舞台だとそうもいかない。まず、きちんとした団体としての形があり、さらに作りこんだ作品が必要です。

逆に、どうなんでしょう?ストリートダンスをしているみんなは海外に行きたいと思ってるんですかね?

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私の周りの話になるけど「最近の目標は?」って聞くと、「海外でやりたい」っていう話はよく聞くよ。

浩一郎

そういう人たちのために役立つ話にしたいと思います。ダンスだから、言葉がいらない作品を創っている人たちが多いと思いますが、僕らはダンスを知らない人が120分楽しめるよう、公演で物語を描いてきました。もちろん、120分を成立させるための映像による字幕だったんですが、その字幕を翻訳すればそのまま海外に持っていける、という計算もしていました。

最初の海外公演は韓国だったので、ハングルに訳していきました。字幕を変えるだけで、ダンスや演出を変えなくてもいいというのが、DAZZLEが海外に行きやすい部分だと思います。


芸術にお金を出さない国、日本。


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浩一郎

海外に行くには、ただ日本で踊っていて、誰かが見つけてくれるわけではないので、自分たちで動かなければなりません。そこで「TPAM 東京芸術見本市」に参加しました。日本の舞台芸術を海外に紹介するためのイベントで、国際交流基金や国際舞台芸術交流センターなどで構成されます。そこに、海外や地方のフェスティバル・劇場のプロデューサーが呼ばれます。

プレゼン(プレゼンテーション・プログラム)とブース(TPAMショーケース)という参加の仕方があって、DAZZLEは2010年に初めて参加して、プレゼンもして、ブースも出しました。

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プレゼンは実際にダンスを披露するんだよね。ブースっていうのはどういう風に参加するの?

浩一郎

プレゼンは、壇上で映像と言葉で団体の紹介をする場です。近年は、ダンスを見せることができるプログラムもあります。ブースはそれぞれの団体に2畳くらいのスペースが与えられて、長机と椅子があります。自分たちのポスターや写真を貼って、手渡せる資料を用意します。そこに来場したプロデューサーが回ってきて話をしたり、「今度この国でこんなイベントがあるけど、出られるのか?」みたいな商談もできて、決まる時はその場で決まるという機会にもなります。

でも、僕らが参加したときは、僕らだけか、もう1団体が決まったかどうかぐらいで、なかなか海外公演が実現しなくなっているようでした。それは、日本という国自体への注目度が下がっているのと、日本全体が経済的にも落ちているし、それが文化面にも影響が表れているということだと思います。

日本って芸術にお金を出さない国なんです。

僕も海外に行くようになってすごくそれを感じるようになったんですけど、海外に行くときには、費用を呼ぶ国と呼ばれる国で折半することが多いんですね。でも、日本は呼ばれる国になった場合、全然出さないんですよ。だから、僕らもけっこう自己負担が発生していて、最初の韓国は数十万とか、次のルーマニアは数百万単位の額を払って行きました。

だから、本当に行きたなら相当の覚悟が必要です。でも、そこで実績を積んでいったので、3ヶ国目のイランでは全額先方に出してもらえることになりました。最初はそういう冒険が必要なのかなと思います。日本でいくら実績があっても、それが海外の人々を感動させられる保証にはならないので、ゼロからの挑戦になります。

そうなってしまうのも、日本の芸術支援の体制が脆弱だからです。一応、費用を出すシステムもあるんですけど、申請が一年前だったりするんですね。でも、海外からの公演が決まるのなんて半年前とか数か月前ということもあります。今回のイランの本番も2月が本番なのに、12月に言われましたから。だから、日本では決定してから申請しても、助成金が下りないんです。それで、海外に行けないという団体の話もけっこう聞きますね。呼ばれてるのに、行けないっていう・・・。そういう状況なんです、日本は。すごく特殊で、世界から孤立しています。

よく海外のプロデューサーに言われるのが、「アジアの演劇祭は韓国とか中国の団体ばかりだよ」と。日本は本当に頑張らないと舞台芸術で世界から置いていかれます。というか現状、勢力としては、ほぼ存在していない状態ではないでしょうか。ダンスで長編作品を海外で上演できる団体はDAZZLEの他にどれだけあるか・・・。

演劇祭:
便宜上「演劇祭」という言葉を使っているが、英語ではPerforming Arts Festivalとなり、演劇だけでなくダンスやポエトリーリーディング、ときにはライブなども含まれる総合的な舞台芸術のフェスティバルであることがほとんどである。



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ステージが前傾!?初海外公演、韓国。


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最初の海外公演で韓国に行ってみて、本番を初めて迎えたときの段取りや、やったときの現地の反応や自分達の感触はどうでした?

浩一郎

初めて参加した「東京芸術見本市」に来ていた韓国のプロデューサーが呼びたい言ってくれて、行くことになりました。場所は、サムジョクっていう釜山から車で1時間くらいの地方都市で、おそらく村おこしのようなものとして開催された演劇祭でした。当時、僕らは日本で単独公演を3回やった程度で、本当に実績がなかったですから、海外公演経験もない僕らを呼んでくれて、本当にありがたいなと感じました。

その演劇祭はアジア国際演劇祭という名前がついていて、韓国の団体が8割くらい。その他がベトナム、タイ、カンボジアなど、アジア各国の団体が出ている感じでしたね。演劇・ダンス・ライブに近いものも含んだ、芸術祭でした。

実際にやってみると、やっぱりマネジメントの面では、日本より優れている国はありません。でも、それが海外での前提というか。事前に「この機材を用意しておいてくれ」って言ったものが、用意されてなかったり、返事がなかったり、あっても「現場で話そう」というものだったり。

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音響設備の申請とかも全部出さなきゃいけないの?

浩一郎

そうです。できる・できないは事前のメールや電話なりでやり取りをしてから行きます。それでも、あるはずの設備がなかったりとか、いろいろありますけどね。韓国に行ったときは会場が野外で、ステージも組んだものだったのですが、僕たちが行って驚いたのは、舞台が傾いていたという(笑)。ちょっと前傾していましたね。でも、海外だとそういうトラブルは普通で、そういうことに対応するのも公演の一部ですね。完璧なものが用意されていることなんて、ない。ないんです (苦笑)。

スケジュールも、前々日現地入りして前日に仕込みをするはずが、雨でやれたりやれなかったりしながら、当日を迎えるという状態。ついてからずっと台風だったんですけど本番は奇跡的に晴れました (笑) 。なんとか踊れてよかったです。

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「やるしかない!」 海外での踊りやすさ。


浩一郎

でも、これはすごく覚えてるんですけど、始まってみると精神的にとても踊りやすかったですね。メンバーもみんな動きが切れていました。以前から、DAZZLEのリーダーの達也さんは、杏奈さんという方が振付をしたコンテンポラリーの作品で、ヨーロッパにも行っていたんですけど、海外ではいい踊りが出ると言っていました。

韓国とイランには日本から応援に来てくれた方がいましたが、基本的に海外は知っている人は誰もいないので、どう思われるかもわからない状況の中で、「やるしかない!」と開き直れるんですね。だから、余計なことを考えずに集中できるんだと思います。日本代表という意識が背中を押してくれる部分もあります。

もちろん、舞台の環境は整っていないんですけどね。舞台の傾きもそうですし、前日からの雨で雨漏りして袖もグシャグシャとか…。スクリーンもちゃんと用意してくれるのかなと思ったら、白い布を人が後ろで二時間押さえてくれていましたし (笑)。その姿を見ながら裏を走ったり、横で着替えたり・・・。韓国の方と一緒に手作りしてやりとげた感触がありました。

でも、お客さんはすごく熱狂してくれて、小さい子から年配の方々まで終演後サインをもらいに来てくれたり、喜んでくれたみたいで「色々あったけど、来てよかったなぁ。」と。終わったときの拍手は初めての海外で自分たちの表現が受け入れてもらえた感動で、震えましたね。


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PA卓等の設備は現地でも対応できたの?

浩一郎

それは現地調達です。僕らが日本から持っていくのは、舞台上の道具と衣装だけです。もちろん、音響、照明、映像の人はコネクタとか、細かいものは持っていくと思いますけど、基本は現地の機材でやります。

仮に「あ、これ使えない」ってなっても、臨機応変な対応できるように、スタッフもかなりの経験が必要ですね。僕らをバックアップしてくれるスタッフの方々は、僕らなんかよりも経験豊富で、海外での仕事をしたこともあるので、頼りになります。

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問題はそんなにないんだね。

浩一郎

僕らの中では、大きな問題ないですが(笑)。スタッフの方はかなりの試行錯誤があったと思いますけどね。

なかなか聞けない、おカネ事情。


TDM

でも、費用は負担して行ってるんだね。知らなかった。

浩一郎

韓国のときだと、だいたい自己負担は60万円くらいですかね。かなり韓国側も出してはくれたんですけど、そのときの公演「花ト囮」で使う障子を韓国に送るだけで70〜80万円、ルーマニアだと100万円ぐらいかかるんですよ。

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え!?運ぶだけでそんなにかかるの?!

浩一郎

かかります、かかりますよ。あんな大きなもの、簡単な郵送では送れないじゃないですか。だから、特殊な業者に運んでもらいました。届かないと何もできないですから、そこにはお金をかけないと。

本当は船が使えたらよかったんですけど、時間がかかりすぎます。1〜2ヶ月前に送らなきゃいけないんですけど、それでは直前の練習ができないので・・・。なかなか難しい問題でした。輸送費がなければ、お金の負担ももうちょっと軽くできたかなと。

TDM

あの障子は作品にとってやっぱり大事なものだもんね。

浩一郎

そうですね。日本的だし、あれを海外の方は見たかったんだと思います。そんな感じで、韓国からは無事大盛況で帰ってきました。2010年の8月くらいでしたね。


2カ国目、ルーマニア。初の遠征でトラブル祭り。


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浩一郎

その次のルーマニアは、世界三大演劇祭のひとつと言われる、シビウ国際演劇祭に参加しました。舞台芸術業界では、権威ある演劇祭で、それに行ってるとなると、一目置かれます。日本からはなかなか参加できません。

ちなみに、世界三大演劇祭とは、シビウと、フランスのアヴィニョンと、イギリスのエジンバラと言われています。アヴィニョンとエジンバラはどちらもすごく大きなフェスティバルで、自由参加部門とかもあったりするんですが、シビウは呼ばれないと参加できない。ディレクターが映像をチェックして、本当に呼びたいと思うものしか呼ばないので、おもしろい作品が見れる演劇祭としてヨーロッパでは有名なんです。

この規模の演劇祭を例えるなら、日本で言うと万博みたいなものですね。期間中は都市全体がお祭りみたいな感じで、ルーマニアの観光資源にもなっている。会場も街全体に幾つもあって、路上でもパフォーマンスーマンスやっていたり、レストランでも朗読会をやっていたりして、街にある何か所もの劇場やステージが、全部同時に動いているという感じです。

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どういうきっかけで行ったの?

浩一郎

ルーマニアから「芸術見本市」側に「日本で最近いいダンスカンパニーはいないか?」って話がきたときに、 “自腹で海外に行く根性のある若者達がいる”という話題から僕らが候補になり、映像を見てもらって、決定しました。

費用に関しては、ルーマニアもそんなにお金がある国ではないので、両者が半分ずつ出すことになりました。でも、それは普通です。彼らにとって半額出すことが当然のことで、日本の芸術への意識が世界的に見ると異常です。日本の団体が行くと「これだけの作品が作れるのに、自分の劇場を持っていないの?」と驚かれるそうですから。

スタッフを入れて約15人の旅費と宿泊費、障子の運送料などで、トータル半分出してもらっても、結果的に200万円くらいは自己負担をしなければならないので、DAZZLEでもかなり話し合いました。震災後だったこともあって、日本の芸術の健在を世界に証明したいという想いも加わり、行くことを決断しました。それくらいシビウ国際演劇祭っていうのはすごいものなんですよね。

距離は時間にすると成田から、25時間くらい。アムステルダム経由で、ルーマニアの首都ブカレストへ。そこからさらにバスで6時間くらいかけてシビウっていう都市まで行くんですけど、アムステルダムから、ルーマニアへの乗り換えで、衣装の入ったスーツケースが3つくらい置き去りにされました。基本、演劇祭は1回公演きりで、お金もかかるので、公演が可能なギリギリ直前に現地入りします。だから、着いた時点ですでに2日前なのに、物が無くなった。すぐにアムステルダムの空港に連絡すると「あ、乗せ忘れちゃった。次の便に乗せるわ〜。」みたいなことに (苦笑)。結局、衣装は前日に届きました。

僕達の得た教訓のひとつで、衣装は絶対手荷物で持ち込まないといけないなと。海外に楽器を持っていく人とかは、必ず機内に持ち込むっていう話を聞いたことがあったんですが、そういうことだったんだなと。

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いや〜、参考になるね。

浩一郎

はい。これから行く方は絶対、衣装は預けちゃダメですよ(笑)。海外では何が起きるかわからないんですからね。

でも、ルーマニアの適当さでラッキーなことがあったんです。前日に、僕らの会場でやるはずだった団体が、急遽出演をキャンセルしたということになって、「前日から仕込みをしていいよ」と (笑)。

なので、ホテルに着くなり荷物を置いて、そのまま劇場に行って、バミったり、セットを仕込むことになりました。そんな状況で仕込んでいたら、過酷すぎてメンバーが2人倒れて、点滴を打ったりしましたけど (笑)。風邪と過労ですかね。現地は夏とはいえ、日本よりもかなり北ですし、乾燥していたりで、やっぱり日本と違う環境でやることの大変さはありますね。

でも、それは、まだ二回目だったので、いまやDAZZLEで四回海外にいっているので、みんなだいぶ旅慣れてきました。はじめて遠征すると、いろんなことが起きるもんだなと。あと、ルーマニアでのトラブルは、知らされていたのと劇場の形が違いました (苦笑)。

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浩一郎

プロセニアム (舞台上方のアーチ) があって、奥のスクリーンに映像が、うまく当たらないんです。1階席と2階席の角度のせいもあって、プロジェクターをどう置いても、思っていた形で舞台の奥に映像が出ない。

結局、プロセニアムに字幕を出し、絵を奥に出す形に変更したので、本番前夜に僕が徹夜で映像を作り直したりしました。そういうことも有り得るので、現地で変更せざるを得ない事態になったときにフレキシブルに対応できる準備は常に必要です。本当に何かがあるんですよ、毎回。「万全の備えをした!」と思っていくんですけど、毎回トラブルが起きるんですよね。

あと、とても大事なのが音源の著作権!

海外の大きなフェスティバルに参加するときは契約書に必ず著作権がクリアになっているかという文言があります。海外の舞台でやりたいのであれば、作品は必ずオリジナル音源で作りましょう。

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世界に誇れるDAZZLEの緻密さ。


浩一郎

韓国よりは屋内だったし、舞台は傾いてもいなかったんですけど、袖は釘が出ていたり、なかなか大変な劇場でした。でも、ルーマニアでは観客全員のスタンディングオベーションがありました。あれは、感動しましたね。メンバーも泣いてました。

原発の問題など日本に向けられる視線がシビアだった時期だったからこそ、ヨーロッパに行って日本のよさを伝えたいと思ったし、それが伝わってよかったなぁと。よく海外の映画祭で「10分間拍手が鳴りやまなかった」、というような記事を目にしたときに「誇張してるのでは?」と思ったりしていたんですけど、フィナーレ前のダンスから10分以上拍手が鳴りやまなかったです。

あの、自分たちのことを知らない異国のお客さんが拍手しながら立っていくという光景は、舞台上からしか見れない。それを巻き起こしたアーティストにしか見れない光景だから、それは本当に感動的な光景でした。それを見れただけでも、来た甲斐があるし、一生心に刻まれると思います。

ルーマニアでは、現地にいる日本人の方々が見に来てくれていて、みんな感動してくれていましたね。シビウは舞台芸術の街で、お客さんも目が肥えていて、ほとんど終演後にスタンディングオベーションにはならないらしいので。

TDM

DAZZLEが持つ日本人としての精密さと器用さは、パッションも含めて、向こうの人からしたら衝撃的と思うよ。

浩一郎

はい。DAZZLEが世界に誇れるのは、緻密なところです。好きか嫌いかは別として、僕らの緻密さは世界に伝わるものなんだなと感じました。あとは、踊りの気迫というか狂気ですね。

TDM

そのときの観客に日本人の舞台評論家がいたって聞いたんだけど?

浩一郎

そうなんですよ。僕らはコンテンポラリーの世界から注目されていなくて、コンテンポラリーのコンテストに応募しても、「あなたたちはコンテンポラリーではない」と書類で落ちたりしていたんです。かといって、ストリートダンスのコンテストでもストリートダンスではないと言われていたし、ストリートダンスシーンからもコンテンポラリーシーンからも阻害されていたというか。味方はお客さんだけという感じで。

だからこそ、海外で評価されるというのは、やっぱり嬉しかった。そのシビウで出会った日本の舞台評論家の人も、シビウが大きい演劇祭だから来ていたようでした。

僕らは、その評論家の人にも映像を送っていたんですけど、良さが全く伝わっていなかった。でも、シビウで、DAZZLEを生で観て、日本にこういう人たちがいるのかと思ってくれたそうです。ルーマニアで日本人に発見されました (笑)。

イランからのとんでもない変更依頼とは。


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浩一郎

今年2月のイランは、ルーマニアで見ていたイランのプロデューサーが、観劇直後に「呼びたい!」と言ってくれたので、「いいよ!」と応えて、そこから詰めていきました。ですが、同時期にイスラエルからも呼ばれていたので、イスラエルとイラン、どっちに行くかをDAZZLEで話し合いました。

ちなみに、その2カ国は互いに対立しています。だから、両方に行きたくても、どちらかに入国すると、どちらかには入国できないという状態。

イスラエルは半額自己負担。いわゆる普通の招聘。対するイランは、全額出すと言ってくれました。全額出してくれるというのはやはり何よりの誠意であり、熱意だと思うので、イランに行くことを決めました。

イランで参加したのは、中東最大の演劇祭、イランの首都テヘランで行われるファジル国際演劇祭でした。でも、とてつもなく大変でしたね。今までで一番大変でした。今までも大変でしたけど (苦笑)。

とにかくイラン人は、韓国人よりも、ルーマニア人よりもおおらかというか。

スタッフがメールを出しても、全然求めている返事が返ってこなくて、正確な本番日がわかったのが1ヶ月切ってからです。メンバーもスタッフもレッスンや仕事を休んだり、調整したりしなきゃいけないので、海外公演の本番が1ヶ月前にならないとわからないっていうのは、普通は有り得ないんですけど。その時点で、「大丈夫かな・・・?」という不穏な空気が流れはじめました (笑)。

とりあえず出発して、今度はドバイ経由です。僕らの照明と通訳のスタッフさんは女性なんですけど、現地では宗教的に顔や肌を隠さなければならない。僕は、イランに行くまで、あれは宗教にものすごく忠実な人だけがやればいいと思っていたんですけど、イランでは女性は必ず全員やらなきゃいけないものなんですね。

イランの女性も、外国にいるときは隠していない人も多いみたいで、イランへの飛行機の中で、女性たちがみんなザワザワって準備しはじめて、その瞬間に「違う世界に来たんだな」と実感しました。

テヘランの空港に降り立って、ゲートを抜けると、イランの政治指導者2人の肖像がバーン!空港からは一応、演劇祭のDAZZLE担当のカタコトの日本語と英語が話せるコーディネーターの方が着いてくれたんですけど、空港は撮影禁止。「どうなるからわからないから気をつけてくださいね、冗談じゃなく。」と言われました。

建物を出ると周りは砂漠。そこから、バスに乗って、ホテルまで行きました。ホテルは5ツ星のテイランで一番いいホテルで、ちょっと安心しました。やっぱり、イランの食べ物とか、治安とかが気になっていたので。それから、劇場に行ったんですが、1000人収容のオペラハウスで、今までで一番しっかりしてましたね。

ただ、リノリウムを用意しておいて欲しいっていったんですけど、「前年の演劇祭が終わった後に、野外に放置しといたら、使えなくなっちゃった。」と言われたりしましたが。

さらに、舞台が可動式になっていて、アクティングスペースにその切れ目がガッツリあったので、それをガムテープで塞いだり。「リノもないけど、もう、やるしかない」と思いながら、舞台を作りました。

本番前日、着いてからはいろんなことが変更になりました。

本番前日と当日ずっと僕らの仕込みの時間があって、夕方6時から本番の予定だったんですけど、着いていきなり、「当日は会場で3時から大統領が演説することになりました。」と言われたんです。

「え!?じゃ、その時間使えない・・・?」
「はい。」みたいな(笑)。

だから、とりあえず、僕らの道具は舞台の隅っこにはけて、演説が終わるまで隣の建物で待たなきゃいけないと言われたので、それまでに照明や映像の仕込みを終わらせなければならなくなりました。

さらにすごいこととがあって、前日に演劇祭の審査員が来て、「ちょっと内容を見せてくれ」と言われ、踊りを見せたら、「このままでは、この演劇祭でできない」って言われたんです。

このダンスは、アメリカ的だと。

アメリカとイランとの間には強い政治的対立があります。ファジル演劇祭のファジルとは「革命」という意味で、彼らの革命記念日に行われる国家の威信をかけた演劇祭。かなりデリケートな行事でした。そこで、敵対している国を想起させる作品は、やらせられないという話に。

「どこがアメリカ的??」という話をしたら、デジタル音で、ユニゾンを踊るのが、彼らの感性ではマイケル・ジャクソンに見えると言われたんです。僕らは、「いやいやいや」と(苦笑)。

あとは、腰のことをすごく言われました。「腰を使うのは扇情的だ。だから、腰をなるべく使わないように踊ってくれ」と。

「それを前日に言われても、今から変更できない。」
「いや、できないと言われても、困る。」
「じゃ、やらないで帰る。」
「いや、それも困る。」
というやり取りを日本語と英語とペルシャ語で散々やりました。

そこで、僕らがそのままでやっちゃうと、彼自身も立場がなくなってしまう、それくらい一大事という話になりまして。

TDM

事前に映像はチェックしてたんじゃないの?

浩一郎

はい、映像は渡してあったので、チェックしているはずなんですけど、見てなかったのかなんなのか・・・。

でも、演劇祭側でも「あのままでいいじゃいか」「いや、ダメだ」と、いろんな意見があるようで、ダメだって散々言っているその横で、「もう、いいじゃないか」って言っているイランのスタッフもいたりして。

結局、ちょっとだけ彼のメンツを立てるために、腰を使っていたところを使わないように、前夜に徹夜で振りを作り変えて、本番に臨むことにしました。

しかも、大統領の演説が、夕方5時に終わって僕らが6時に開演するはずが、案の定、演説が終わったのが6時・・・。

その後、すぐ会場に入って、「急いで支度しろ。お前らができ次第やるから」と言われ「いやいや、そんなこと言われても・・・」という感じでしたけど (笑)。結局、開演は1時間20分押しでしたね。

イランは全4回公演だったのですが、そんな感じで、1回目をやってみると、準備の苦労が吹き飛ぶ大盛況で。お客さんは「海外のものが見れて嬉しい!」って感じでしたね。

ただ、1回目と2回目の間が、一時間くらいの予定でそもそも短いぐらいだったんですけど、最初に1時間20分押していたので、1回目終了後、「もう、すぐやれ」と言われて (笑)。なので、1回目が終わって、お客さんがはけて、その20分後くらいにはまた公演をスタートしました。

すべてが終わってみると、みんな「とりあえず、できてよかったね」と (笑)。

あの演劇祭はイランにとって大きなイベントで、映画監督とか、イランのナンバーワン女優とか文化人もたくさん来ていて、「よかった」と言ってくれました。あと、「脚本がよかった」と、英語で言ってくれる人がかなりいましたね。ペルシャ語が用意できず、英語字幕でやったのですが、けっこう理解されていました。

「白い傘と、赤い傘があったけど、あれはどういう意味なんですか?」と英語で聞かれて、「白い傘はあちらの世界を表していて、 赤い傘はこちらの世界を表しているんですよ」と説明したかった。

あちらの世界っていうのは、英語のHeavenではなく、スピリチュアルな異世界。そういう解釈で僕は脚本として表現しているんですけど、ただ、英語でそういうことを説明できなくて(苦笑)。僕も英語で日常会話くらいはできるつもりだったんですけどね。もう少し英語を勉強しなければいけませんね。

公演には現地の日本大使館の人が観に来てくれていて、「イラン人がこんなに盛り上がっているのを見るのは初めてだ」と言ってくれました。

命の危険がなくて、生きて帰ってこれただけで、まず成功ですね。それに、自分たちとまったく違う価値観を持つ人々から満場のスタンディングオベーションを浴びて、幸せでした。

しかも、帰国後に演劇祭の特別賞と舞台美術賞を頂けました。グランプリはイラン作品だったので、海外勢としては一番評価されたということですし、初の海外賞獲得で嬉しかったです。イランはなかなか行けない国とだ思うので、とても貴重な体験ができました。

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海外で得たこと。行けない領域に行ける。


TDM

実際に海外でやってみたやり方、結果的に大変だったこと、成功したこともあるけど、そういうことを含めて、最終的に海外でショーをやるって、どういうことなんだろうね?

浩一郎

ん〜。もちろん一番は、より多くの人に見てもらえるという価値。他にもいろんな面があると思うんですけど、僕ら自身が成長する部分はすごくあります。不測の事態とかもそうだし、全然知らない人の前で踊ることもそうだし、日本では経験できない修羅場をさんざん経験しました。

サッカー選手が海外でやらないと本当の強さを身につけられないと言われますよね。やっぱり海外で踊ることで、自分たちのやりやすい環境でやってるだけでは行けない領域に行けるっていうのは、まずあると思うんです。精神力とか、表現力とか。

TDM

なるほどね。想定外の世界だから。

浩一郎

そうです。あとは、海外に行ったということで日本国内での評価が上がるということは間違いなくあります。日本では海外で認められているということが大きな価値になるので、僕らを見る目もまったく変わりましたね。

特に、ルーマニアのシビウのあとは、経歴に書いてあるだけで、今までこなかったような依頼がたくさん来るようになりました。海外実績は一番のお墨付きになるんでしょうね。

TDM

知らない人へのわかりやすさになるからね。韓国、ルーマニア、イランか・・・あれ?L.A.行ってなかったっけ?

浩一郎

あれは、Legend Tokyo優勝の副賞です。今年1月にショーをしに行ったので、公演ではないですけどね。VIBEという振付のコンテストにチャレンジャーとして出ましたが、アメリカもおもしろかったですよ。

TDM

出演枠があったから参加したってこと?それも自己負担?

浩一郎

はい。海外は基本的に自己負担ですよ。副賞なのにそれはいかがなものかっていう話もありますけど、やっぱり、海外に行くっていうのは挑戦っていうことだと思うんですよね。

海外に行ってみて思ったのは、バトルやショー、バックダンサーで日本人が活躍していても、日本のダンス「作品」はブランドとして存在もしていないようなもの。キャッツやコーラスライン、シルク・ドゥ・ソレイユのように、世界中から愛される日本の舞台作品は皆無です。

これからそれを創っていかなければならないので、全部お金を出して呼んでくれるっていう話を待ってても、絶対に出来ないです。そんな状況を切り開いていかなければならない。

僕らも、イランでは全額出すって言ってもらえるようになったし、海外での実績を少しずつ積み重ねてきました。この人たちを呼んだらお客さんが喜んでくれるとか、演劇祭としての価値が上がるっていう価値を証明していかないとそこまでいけないんです。だから、最初は自腹覚悟というか。道場破りに行くつもりで行かないといけない。生ぬるい気持ちではいけない。そうでなければ、行って、踊って楽しかったね、で終わりですから。

次につなげるという意味でも世界に自分たちを認めさせる、という強い意志と覚悟が必要です。

TDM

なるほどね。浩一郎君たちは韓国、ルーマニア、イランは全部つながってきてるんだもんね。

浩一郎

そうです。実際、DAZZLEへのオファーは、北米や中国、ヨーロッパなど、数え切れないほど来てます。でも、国からの助成金が出ないのですべてに応えられないだけで。


TDM

そうなんだ。他の国は国が援助してるんでしょ?

浩一郎

はい。ヨーロッパは国の支援が大きくて、アメリカは寄付も盛んみたいですね。たとえばヨーロッパが本当にステキだなと思うのは、イギリスでイギリス人が作品を創ったとすると、フランス、スペインなどヨーロッパ諸国に作品を発表しにいくのに、実費でもそんなにかからない。しかも、ちゃんと両国が折半で出してくれる。そういう風にツアーができると、衣装や道具や練習場所代などは償却できますからね。

アジアの日本以外の国も、そういう動きは盛んで、韓国、中国、東南アジアなどは、ツアーしている人もいるみたいです。日本だけが孤立している状態なんですよね。韓国なんて、ソウルにノンバーバルシアター(言語に寄りかからない作品を上演する劇場)がいくつもあって、国家レベルで観光として形にしようというビジョンがあります。日本では芸術は仕分け対象ですからね。

特にストリートダンスには、本当に助成金が出ないです。コンテンポラリーでも、もっとアートっぽいものには助成金が出ますけど、DAZZLEでも「ポップ過ぎる」という理由で、却下されたこともあります。

だから、ストリート系の人は国に期待はしないほうがいいかもしれないですね。本当にお客さんと勝負して、自分の力で切り開かないといけないんです。

TDM

DAZZLEがポップすぎるかぁ。日本の文化っぽくないってこと?

浩一郎

多分アートよりエンターテイメント寄りに捉えられたんですかね。事実僕らはエンターテイメントでもあるんですけど。アートは集客だけでは成立しないから支援する、という考えも本末転倒だと思いますが。

本当だったら、ダンサー人口の比率からいってもバレエやコンテンポラリーよりも、ストリートダンスの人たちにどうやってお金を回すか、もっと考えられるべきだと思いますけどね。


TDM

今後ダンスが義務教育化になることで、お金の出所も変わってくるんじゃないかなとも思うんだけど。

若い世代へ。覚悟を持って厳しい道を選んでほしい。 


浩一郎

あと、この機会に伝えさせてもらいたいこととしては、僕たちと同じような気持ちで20歳くらいからスタートしてほしいなと思います。やっぱり僕らは20代後半から本格的に公演をやりはじめて、これだけ時間がかかって、ここまで来ているというのがあるから、もっと早くそういう意識でやりはじめたほうが良いんです。

DAZZLEも20代前半でディライトで準優勝して、「その後」に対して向き合うタイミングは早かったほううだと思うんですけど。日本の若者は、そういう強い決意でやってほしいなと思ってるんですよね。もちろん、年齢を重ねるからこそ創れる作品もありますが。

世界でやっていくことを考えるなら、若者は本当に厳しい道を選ばないと、難しいと思いますね。

海外からDAZZLEが呼ばれる理由は、オリジナリティが大きいと思います。ダンスも、演出も、誰も見たことがない。僕らにしか作れない作品です。

Legend Tokyoで審査員をやっていたVIBEのオーガナイザーは、「なんで日本のストリートダンサーはアメリカで10年前にやっていたことをやってるの?」と素朴に疑問に思っていた、という話を聞いて納得してしまう部分もあります。

日本でストリートダンスをやるとしても、日本ならではの価値を産み出そうという意識があるといいですよね。もちろん、国内のコミュニティで評価されたいというのはあると思うんですけど、もし世界でリスペクトされるようになりたかったら、そういうことが必要なのかなと思います。

TDM

別に和服でやれというわけじゃないけど、文化的な、日本らしさっていうのを魅力としてなにかしら使える手法は大事かもね。

浩一郎

ストリートダンスの中でも日本独自の発想はあると思っていて、僕は“音ハメ”はとても可能性があると思っています。TAKAHIROくんが、アポロシアターで勝った作品も音ハメというか、音のおもしろい魅せ方じゃないですか。日本のダンスシーンでは一般的だけど、向こうではゲームの音を使ったりするのが新しかったわけで。ストリートダンスの中でもそういう新しいカテゴリはできると思うんですよね。日本人しかできないようなもっと緻密なものを創るとか。。

TDM

結局、オリジナリティだよね。

浩一郎

ハウスやヒップホップはアメリカで産まれたもの。新しいダンスのジャンルがそろそろ、日本から一個くらい産まれてもいいし、それを産み出そうっていう野心のある人が出てきたらいいのに、といつも思うんですよね。

海外公演特集 Part1 DAZZLE・飯塚浩一郎 〜 もしも世界を目指すなら。 〜

国境も人種も越える、美意識を突き詰めたい。


TDM

今度の4月の公演では、何にチャレンジするの?

浩一郎

海外を回っていた作品の再演なんですけど、そこで感じた進化させるべき部分を、進化させている感じです。

結局、国も越えて、ダンスを知らない人にも伝わるものって、DAZZLEの作品でいうと、“どれだけ美意識を突き詰められるか”ということにかかってるんじゃないかなと思っています。だから、衣装も新しくして、踊りの隙みたいなものとか、シーンとシーンの間の隙みたいなものをできるだけ無くしていって、完璧な作品を目指しています。

TDM

なるほどね。楽しみだなぁ。DAZZLEの運営費は浩一郎君がまとめてるの?

浩一郎

はい。僕らが作品にお金をかけすぎなので、黒字にするのは難しいですね。お客さんのためにできることは、すべて費やしてしまうタイプなので。それだけすべてを懸けているから、応援してくれる人が増えている、ということもありますし。DAZZLEの作品でダンサーに出演料を払ったことは一度もないです。

でも、ダンサーはみんなそうですよね。お金を稼ぐ手段としてはレッスンやバックダンサーをしつつ、本当は自分が主役になりたいと思っているはず。自主公演は自己表現であり、自分の理想の追求ですからね。ただ、作品を磨いて、団体としてレベルアップしたいと思っている人たちは、出演者を増やして、ノルマで成立させる仕組みはやめたほうがいいと思います。

それをやっている限り、自分たちがどれだけお客さんが呼べるのかわからない。どれだけ、作品がお客さんの心に届いているかわからないので。本当に小さい100人収容の会場からでも、チームのメンバーだけで創って、公演をやったほうがいいと思うんですよ。

人を呼べるダンサーになれるかどうか。


TDM

浩一郎君からみて、舞台、ライブ、ダンスシーンは今後どうなっていくと思う?

浩一郎

舞台で食べていくってほぼ無理なんですよね、構造的に。宝塚とか劇団四季とか、ああいう形にしないと無理ではないかと。あの2団体はメンバーが入れ替わるじゃないですか。人がお客さんを呼ぶっていう形でやるなら、やっぱり、タレント化するしかなくて、EXILEみたいになることしかないと思うんです。

だから、本当に自分たちが表現したいことをステージやライブで表現して、それだけで生きていくというのは、とても難しいことだと思います。でも、それがダンサーとしての本来の究極の目標だと思うので、それをDAZZLEは実現したいと思っています。

自分たちが作品を作り続けたいという想いと同時に、日本のダンスのためめ、後進のダンサーのためめにも、一番可能性のあるDAZZLEがそこに挑まなければならないという使命感もあります。

ダンスは音楽や映画のように複製可能なものではないですし、映像では伝わらないものもありありますからね。

TDM

スターにならなくちゃいけないんだね。

浩一郎

はい。今のダンス界のスターだと、コンドルズの近藤良平さんですよね。コンドルズは日本のダンスグループで一番集客力がある団体だと思います。1000〜2000人規模の会場で全国ツアーできますから。ストリートダンサーでAERAの表紙になれる人はいないですよね。

彼はやっぱり、新しい価値を発明していると思います。

近藤さんが発明したのは、踊れない人が踊ることのおもしろさというか。近藤さんはとても上手なほうですけど、他のメンバーは踊れる人というわけではない。そんなメンバーが学ランで全力で踊る姿には、ダンスという概念から外れた力があるんですよね。最近そういうスタイルの人たちも増えてきましたが、最初にやったのはコンドルズ。それがすごい。 ストリートダンスでもエリート・フォースとか、オリジナル・ロッカーズみたいな人が日本人から現れたらいいですよね。

エリート・フォースやオリジナル・ロッカーズはずっとかっこいいのは、やっぱりオリジナルだからだと思うので。

DAZZLEでいえばストリートダンスでありながら「美意識」を内包しているというのが発明だと思いますし、公演のスタイルも独特だと思います。

でも、これは、ダンスを芸術として見たときの意見であって、スポーツとして見ると、バトルのようにひとつの決められたルールの中で競い合って、スターが生まれるというのも、もちろんアリだと思います。

積み重ねてこれたから、行ける場所がある。


浩一郎

産み出すものが「作品」になっているかどうか、ということも大事になってくると思います。伝えたいことが形になっていないと、ダンスはどうしても風化していきやすいので。

あと、公演は最低3回はやったほうがいいですね。それができてやっと気付けることがいっぱいあるので。公演をやる団体は増えましたが、同じメンバーで3回目を待たずに解散する団体が多い。僕らが海外を回った「花と囮」も3回目でできた作品です。

だいたい、1回目はすごく大変で、赤字になって、「二度とやらない」という感じで終わったりとか、メンバーが変わったりとか。

やっぱり、積み重ねることでいける場所って絶対あるんですよ。ストリートダンスだと1回振りを作ったら、形に残らず、たまたまその場にいた何人かが観て、「あ〜よかったね。」で、終わってしまう。それはとても、もったいないことだと思います。その一期一会な部分がストリートダンスのいいところでもあるんですけどね。

僕は今DAZZLEに入って6年経ってますけど、そういう気持ちでやってきたから何とか6年目に辿り着いたのかなと。そして、ここで終わりじゃないですからね。5年やれるか、10年やれるか、一生やれるか・・・。そういうことを前提にチームとかもやったほうがいいと思うんですよね。本気でダンスで、「作品で」世界を目指すなら。

僕の周りでも、毎回いろんなメンバーが集まってはゼロから創るっていうのが多いなぁ、なんでだろうなぁと。ま、それが、良くも悪くも、ストリートダンサーのノリなんですかね (笑)。

TDM

実際、もともとストリートダンスシーンの広がり方として、チーム文化みたいなものがあって、ショウを創ってアンダーグラウンドで有名になるためめに組むというか、そこまで先の目標を考えていないだろうし、そこから自分の力で集めて公演をしていくっていう意識はこれからの流れかもしれないね。

浩一郎

そうですね。若者に向けた意識かもしれません。そういう気合でやったら、5年後、10年後楽しみですね。

TDM

チームが上がっていったときに、中には、個人で評価されるメンバーが出てくると、お金になることに時間がとられざるを得なくなるっていう状況もあるかもね。メンバーの意識や時間の格差が出てくるというか。

浩一郎

海外公演特集 Part1 DAZZLE・飯塚浩一郎 〜 もしも世界を目指すなら。 〜だから、自分にとって何が一番大事かということですよね。DAZZLEのメンバーはDAZZLEとしてのビジョンを共有しているので。僕らは僕らの観たいと思う作品を全力で創る。そして伝える努力をする。僕らが将来にわたって存在していけるかどうかは、僕らを愛してくれる人がどれだけいるかにゆだねます。

TDM

そんな仲間に出会えて、積み重ねていっている今の浩一郎君の話を聞けてよかったです。公演、楽しみにしてるね。ありがとうございました。
'12/04/06 UPDATE
interview by AKIKO
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